「北海道百年記念塔」新資料発見
百年記念塔建設費寄附者への「お礼状」原稿発見
北海道百年記念塔の取り組みを進めているところですが、資料調査のなかで昭和45年9月29日に書かれた百年記念塔建設費寄附者への「お礼状」原稿を発見しました。
ご承知の通り百年記念塔は約5億円の建設のうち半額を道民各界からの寄付によって賄われました。この原稿は、北海道百年記念塔を建立した建設期成会が出資団体に出した礼状の元原稿です。北海道百年記念塔がどのような思いで建てられたのか明瞭に述べられています。北海道百年記念塔の解体が議決されてしまった今、改めて読み直したいものです。
合わせて北海道百年記念塔期成会の会長で北海道知事の町村金五の回想録も紹介します。これは昭和50年に道が発刊した「羽ばたけ北海道—北海道回顧録2」からの引用です。道庁赤レンガ庁舎の解体を決めたこと、百年記念塔のこと、野幌森林公園のことなどが、語られています。
北海道百年記念塔竣工について
謹啓、時下いよいよご清栄のこととおよろこび申し上げます。
北海道は明治新政府が開拓使を設け北海道と命名して開拓の大業を起こしてから、昭和43年でちょうど百年を迎えたのでありますが、この意義深い北海道百年にあたり、厳しい苦難と風雪に耐えてわずか百年の間に今日のような素晴らしい北海道を築いてこられた 先人の偉業を長く後世に顕彰し、感謝と慰霊の誠を捧げるとともに、輝かしい本道二世紀に向かって力強く前進するわれら道民の決意の表象として、北海道百年記念塔を建立することになり、推進母体として北海道百年記念等建設期成会が昭和42年6月に誕生し、建設事業を鋭意推進して参った次第でございます。
爾来、お陰様をもちまして道内各界各層より多大なご支援とご協力をいただき、昭和43年11月、道央要衝の地札幌市厚別町下野幌の高台、すなわち道立自然公園野幌森林公園内に工を起こし、その後の工事は順調に取り運び、別添記念塔概要並びに写真でご覧の如く塔高は北海道百年にちなみ100メートル、その外形の容姿は、荒々しい原始の大自然と過酷な風雪に挑んだ雄々しい開拓者の精神を秘めて、千歳の大樹のごとく大地に根を広げて安定し、その尖端は限りなき伸びゆく力を指南し、輝かしい郷土の未来を象徴する誠に 建設の意図にふさわしい記念塔が完成したのであります。
去る9月2日に現地において西田北海道開発庁長官並びに各界の代表者を始め1500名の方々のご参列を頂き、盛会理に竣工式典を挙行するとともに、全道民の総意を込めて記念塔を道に謹呈いたしました次第でございます。
一方、これが建設資金につきましては、建設の趣旨から広く道民一人一人に深いご理解とご協力をいただき、幅広い募金を実施するとともに道内外の企業並びに各種団体の方々に、ご協力をお願い申し上げましたるところ、格段のご協力を賜りましたほか、篤志の方々の浄財を賜り、また北海道百年を記念し催されました各種記念行事の協賛によるご寄付等は、遠く海外において活躍する道出身同胞の浄財等によるご協力などにより、お陰様にて建設費の予算総額を確保することができ、誠に同慶の至りで、ご厚志を賜りました道内外各界各層の方々並びに全道民に対し、深甚なる謝意を表する次第でございます。
記念塔の建立の趣旨につきましては塔の規模構造の概要とともに銘板に刻み、塔基部一面に掲げ、後世に伝承することにいたしましたが、この記念塔が530万道民、なかんづく次代を担う青少年に開拓者精神の真髄を伝承し、今後飛躍する北海道の建設に邁進するための指標となることを祈念するとともに記念塔建設に寄せられたご支援ご協力に対し重ねて深く感謝申し上げ、お礼のご挨拶といたします。 敬具
北海道百年記念塔建設期成会
会長 町村金五
副会長建設委員長 阿部謙夫
副会長 黒澤酉蔵
副会長 佐々木利雄
副会長広報委員長 杉野目晴貞
副会長資金委員長 広瀬経一
羽ばたけ北海道
町村金五 (昭和48年7月9日収録インタビュー)
「羽ばたけ北海道—北海道回顧録2」397−398
■開道百年を迎える
昭和四三年に「北海道百年」という意義ある年を迎えることのできたことは、私にとってはまことに有難いことでした。
過去百年にわたる先人の労苦の跡をできるだけ偲び、かつ、たたえながら、この歴史の上に立って、若人たちが次の時代を担っていくための希望と意欲を胸にふくらませて前進してほしい、ということが当時の私の念願でありました。
両陛下のお出ましを頂いた記念式典も、青年を中心としたものにするために、男女二人の青年代表によって「青年の誓い」を述べさせることにしたのも、開道二世紀を担う青年に対し、大きな期待をかけてのことであったのです。
百年を記念する施設も色々と計画して開拓記念館・森林公園・記念塔などを建設し、また、道庁の赤レンガを保存することとしました。
これについて思い起こすことは、私が知事に就任して事務引継ぎを受けたときに、赤レンガ庁舎廃止の問題があったのです。「道庁構内には木造庁舎が雑然としているので、これを整理して新庁舎を造るためには、残念ではあるがこの赤レンガ庁舎を取り壊さなければならない」という説明がありました。
私はこの引継ぎを受けて、この由緒ある「赤レンガ」は長く保存することとし、新庁舎は別の所に造るべきだと、堅く考えたのです。
この赤レンガについては、私にも小さいころの思い出があるのです。たしかに小学校一年のころのある朝「道庁が焼けている」と言うので、走って行って見た記憶があるのです。この時の大火の光景がいまでも私の頭に焼きついて離れないのです。
知事就任後の数年間は、新庁舎の建築は見合せておりましたが、昭和三九年に至って新庁舎を赤レンガの横に建築することに決め、赤レンガは文化財保護建造物に指定してもらい、永久に保存することにしたのです。
野幌の原始林はへ戦後、開拓者が乱雑に入植し、あの原始林の中に虫に食われたように民有地が散在するに至り、これを放置しておいたらへあの見事な原始林はやがて消滅する危険があることを痛感しました。
そこで、原始林の中の民有地はこれを全部買収することとし、当時十数億円の予算を計上し、大変な苦労をして野幌原始林を「自然公園」として保存することにしたのです。
明治初年いらい、先人である開拓者の血のにじむ労苦の跡を保存する施設がなく、貴重な資料は年とともに散逸しているのです心そこで、私は「開拓記念館」を設置し、全道に散在している貴重な物を集めて保存することにしました。
また大切な記録の散逸を防ぐために、これを収集する施設を設けるとともに、北海道開拓功労者の伝記「開拓につくした人びと」と「新北海道史」の編さん刊行も行うことにしました。
野幌に建てた「北海道百年記念塔」は、有識者に集まっていただいて、百年記念事業についてご意見を伺った中に、橋本東三さん(戦前の道庁拓殖計画課長・帯広市長)のご提案に基づいて百年にちなんで高さ百メートルの塔を、石狩平野の一角に建てることにしました。
若い世代がこれらの施設によって先人のご労苦の跡を偲び、来るべき北海道の躍進のために奮起されることを念じているわけです。