北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

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第2回開拓先遣隊~南空知編~
を実施します

 

北海道開拓倶楽部では、北海道開拓を学ぶ現地フィールドワーク「開拓先遣隊」を実施しています。第1回は本年6月に石狩から当別まで「大地の侍」こと岩出山伊逹家の当別開拓のルートを辿りましたが、第2回は栗山町と長沼町を舞台に「人跡未踏の大湿地帯を開拓者はいかに豊かな米ところに変えたか」をテーマに関連する史跡を訪ねます。

 

 

【テーマ1 長沼水郷の戦い】

長沼町の水田面積は全道4位、今では北海道を代表する米どころですが、明治初期、千歳川と夕張川に阻まれたこの地は人を寄せ付けぬ湿地帯でした。ここを現在のような農業村に変えた開拓者の努力を、馬追運河をたどり、長沼土地改良区記念公園の「豊水碑」を見ること、長沼神社を訪ねることで学びます。長沼市街がなぜあの場所にあるのかの謎も明らかになります。
 

 

【テーマ2 伊逹角田藩の再移住】

戊辰戦争で明治新政府に反旗を翻した伊逹藩は厳しい処罰を受けました。多くの支藩は領地没収状態になり、伊逹市を拓いた亘理支藩、当別町を拓いた岩出山支藩などは家臣を養うために北海道移住を計画しました。角田支藩では、筆頭家老の添田龍吉と実弟の泉麟太郎が中心となって室蘭に入植します。この後、室蘭に屯田兵が置かれることになると、耕地の少ない室蘭は過密状態に。麟太郎は室蘭を兄に譲って馬追原野に再入植しました。今も残る泉麟太郎邸を中心に栗山町角田で麟太郎の偉業を偲びます。
 

 

【テーマ3 泉鱗太郎の水田開発】

泉麟太郎は北海道開拓史で3つの偉業を成し遂げました。室蘭を開拓したこと、栗山を開拓したことに加え、米どころ空知の礎を築いたことです。北海道の米づくりは松島で中山久蔵によって始められましたが、大規模な灌漑事業を興し、産業として米作を確立したのは、泉を社長とする真成社であり、角田村水利組合でした。北海道最初の灌漑事業の跡を訪ねます。
 

 

【テーマ4 小林酒造と空知の豊穣】

麟太郎の努力もあって栗山は豊かな農業村へと発展します。このまちの可能性に惹かれ明治33年、札幌の酒造業・小林米三郎が栗山に移転しました。小林酒造は栗山の豊かな風土に育まれ、二代目米三郎の時代に大きく発展。その酒は満洲や樺太まで移出されました。栗山の小林酒造ではそうした栄華を今に伝える施設群が残されています。麟太郎らの拝み小屋から始まった開拓が結んだ成果を実感します。
 

 

【テーマ5 吉川鉄之助と空知のあけぼの】

明治に始まった北海道開拓は紆余曲折を経て明治20年代に原野に殖民区画を設定し、これを希望者に貸し出すことで軌道に乗りました。その拓植区画が最初に始まったのが長沼町です。
長沼は仙台支藩水沢伊達家の家臣・吉川鉄之助が単独入植して拓いたまちです。鉄之助は父に連れられて創設間もない札幌に入りますが、このとき札幌農学校でクラークと出会い、大きな影響を受けました。
札幌農学校の1期生、すなわちクラークの弟子に内田瀞がおりました。内田は卒業後開拓使に入り、殖民区画を担当します。その最初の場所に選んだのが、札幌農学校時代の盟友吉川鉄之助が入植していた長沼だったのです。
殖民区画事業が長沼から始まったことを考えると、長沼は北海道開拓の出発点と言えるかもしれません。そうした吉川鉄之助の足跡を尋ねます。
 

 

北海道開拓倶楽部
第1回開拓先遣隊~「大地の侍」の跡を辿る~

 
北海道開拓倶楽部の第1回開拓先遣隊は、令和5年6月29日に行われました。テーマは「『大地の侍』の跡を辿る」は、当別町を拓いた仙台岩出山支藩・伊逹邦成主従が厚田の聚富に入植し、そこから当別に移るまでの足跡を辿るものです。
 
伊逹邦成主従の開拓は、本庄陸男の『石狩川』の小説になり、『大地の侍』という映画にもなりました。当初割り当てられた厚田聚富は農業には不向きな不毛の地で、家臣を養えないとして当別に再移住しますが、このツアーでは『石狩川』の主要な舞台となった石狩市本町の歴史公園を訪ねたあと、実際に聚富で土地の状況を確認しました。
 
その後、当別調査隊が通ったルートをたどって当別町に入りましたが、「樋口季一郎記念館」も訪問しています。「高岡開基百年記念碑」に立ち寄り山口入植団の苦労を偲びました。
 
北海道には満足な史跡がないと思われがちですが、背景となる歴史を知って見てみると、道端の小さな祠さえも感動を呼ぶことが解ったとは参加者の感想でした。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 

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