株式会社の原点を学ぶ
【浦河】赤心社 ②
浦河を拓いた赤心社は、「赤心社株式会社」として始まりました。株式会社といえば資本主義経済の基礎単位ですが、明治13年に創設された株式会社はいまとは相当異なります。株はマネーゲームの主役ですが、そもそも株式会社は、貧しい者が資金を出しあって豊かになっていくための仕組みであったことを教わります。
■赤心社の定款17条
赤心社がどのような「株式会社」であったのか、鈴木が起草した17か条の同盟規則、今の言葉で言えば定款ですが、これをみて見ましょう。
第1条 本社の趣旨たる、無資の貧民をして容易に入社するをえせしめんとするがゆえに、その株金を少額と定め、株数も僅少をもって起こり、従って入社あれば、従って咎めならしめんことを要す。
第2条 株金は毎月五十銭ずつ積立て、満10か年を期とし、総計60円に満るをもって1株とする。
第3条 第1条の趣旨を持って、いよいよ300円内外の資本を得れば、本年7月より着手し、加入に従って開墾をすすめ、積んで5か年にいたるまで入社を許し、いく1000株にいたるも妨げなし。
第8条 満10年の後において開墾せしところの地面を検査し、不同なきよう総株主に割り当てし、番号を付して、抽選の法をもって株主に割り当てす。その所有するところ一株につき、おおよそ耕地反別4町歩の見込みなれば、成功の後は1株を所有するも、一家の生産に足るべし。
第9条 耕夫は社員中、もっとも貧困にして毎月出金するを得ざる者を選んで移住せしめ、その労働に従って、相当の貨銀を給し、給料中より毎月50銭づつを本社に入れて株金に充てる。
第11条 年期中は、本社の有「すなわち株主一般の共有」として、これを耕作し、耕夫には仮に相当の地所を割与し、その勤労に応じて至当の給料を与え、収穫は悉皆本社に収入して資金に附属する。
第15条 4年度より10分の4、5年より10分の5、順を追って9年度は10分の9、10年度は悉皆即時返却す。
第17条 満期以降といえども、けっして本社を解散するを欲せず。社員は各自奮発勉励して、永続の方法をはかり、同盟者は永久に同心協力して各自の生産を経営し、大にしては日本国の財政を隆豊ならしめ、万一有事の日に際せば、北門根室の街路にあたり、屍を北海の浜にさらし、日本男子たるの本分を尽くさんことを最後の目的とする。
ああ、我が同志、愛国の諸君よ。きんきんの酒食料の一部を投じて永く子孫の生産を図り、あわせて報国の赤心を奮起するの意なり。
現代風に紹介するとこういう事業となります。
①まずは本当は北海道に土地を確保して農場を開きたいが、そんなお金はないという株主を広く募集します(第1条)。
②1株は60円で、毎月50銭ずつ10年払いでもOKです(第2条)。
③株主がたくさん集まり、300円が集まったらすぐに浦河で開墾を始めます。(第3条)
④こうして10年経ったら開墾したところを株数に応じて株主に分配します。そのさいは不公平のないように抽選で分配する土地を決めます。だいたい1株で4ヘクタール(町歩)の見込みなので、1株でも一家族なら充分食べていけます。(第7条)
⑤土地は社員の中から金に困った人に開墾してもらいます。その人には給料を与えるともに、給料の中から株の購入資金を天引きしますから、まったく資金の無い人でも社員になれます。(第9条)
⑥浦河の土地はいったん社員共有の会社の土地とします。その中から開墾してくれる人の仮の土地として割り当てます。収穫による収入は本社の資金としますが、耕作者には給料を出します。(第11条)
⑦出資金は、4年後から返還します。4年度は10分の4、5年度は10分の5、と1年毎に増やしていき、10年後に完全に返済します。(第15条)
資力の無い人でも北海道に土地を持ち、自営農家になることができる――。株式会社という制度がどのような姿から始まったかを教わる想いです。
今の言葉で言う「民間活力による開発」ともいえ、移住開墾をすすめようとしてもうまくいかないでいた開拓使にとって、この株式会社による開拓は目をみはるものだったでしょう。欧米の産業制度を研究史、日本で初めて缶詰製造を始めたという事業家・鈴木清の豊かな発想によるものでした。
赤心社記念館②
■創業の理念は「国に報いる赤心」
しかし、この事業はたんに社員の財産を増やす為だけのものではありませんでした。北海道開拓を進めることで国に対して報いていくという大きな目的があったのです。
⑧ 10年の満期になっても会社は解散しません。社員は引き続き鋭意努力し、みんなで助け助け合ってしっかり経営を行い、ひいては日本が豊かになるために尽くしてほしい。
そしてもし万が一有事(ロシアが北から攻めてくる)となれば、自ら犠牲になっても敵を防ぐことで、日本男児の本分をつくしてほしい(第17条)、と結んでいます。
赤心社規則は、以上のような条文を挙げた後、最後にこのように結んでいます。
前条の正副規則承認して入社したる以上は、各自同一の権利を有すればまた、したがって同一の責任無きを得ず。そもそも本社の趣旨たるすでに前条に明記したるごとく、全て愛国の志士相集り、僅少の義金を投じて、無限の大事業を起こし、卿が国家に報いんとするの赤心を表し、自ら赤心社と号するものなれば、前途の困難は甘んじてこれを舐めん。
同盟者はこれを相親愛するの真情を尽くして奏効する期すべし。正則8条のごときは経験者の立算するところを以て、万々外鵠の憂慮なるかべしといえども、自今10か年の星霜を経るの後を期する事なるがゆえに、あるいは時勢の変革、年の富凶、その他の不慮の災害によりていかなる意外の結果を見るもあらかじめ期し難し。ただただ国家に裨益あらんことを祈るのみ。明治13年6月。
浦河の赤心社といえば、社長の鈴木清が、神戸教会の創設者であったように敬虔なクリスチャンだったことから、キリスト教精神による北海道開拓の代表例として紹介されることが多いのですが、創業の理念には、「国に報いる赤心(うそいつわりのない心。まごころ。誠意)」があったことを忘れてはなりません。
【引用参照文献】
・『浦河町史』浦河町・1971
①https://hokkaido-hidaka-kankonavi.com/facility/赤心社記念館/