北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

【浦河】赤心社①
開拓は、反乱でも、自由民権でもない第3の道
赤心社は明治13(1880)年に、兵庫県三田藩の士族・加藤清らによって設立された開拓会社です。
北海道の土地条件や気候条件も不安な中ですすめられた明治10(1877)年代の開拓事業はほとんどが失敗に帰した中で、赤心社が目覚ましい成功を遂げ、八雲に入植した尾張徳川家の開墾事業とともに北海道開拓のモデルとなりました。
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【浦河】赤心社②
株式会社の原点を学ぶ
浦河を拓いた赤心社は、「赤心社株式会社」として始まりました。株式会社といえば資本主義経済の基礎単位ですが、明治13年に創設された株式会社はいまとは相当異なります。株はマネーゲームの主役ですが、そもそも株式会社は、貧しい者が資金を出しあって豊かになっていくための仕組みであったことを教わります。
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【浦河】赤心社③
リーダーの条件 澤茂吉
北海道開拓のモデルといわれた赤心社の浦河開拓ですが、滑り出しから順調であったわけではありません。はじめに大きく躓き、事業は崩壊寸前に追い込まれました。このとき、優れたリーダーが抜擢されて事業は前進します。赤心社開拓部長・澤茂吉からは開拓という究極の困難の中でリーダーシップとは何かを教わる想いです
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【浦河】赤心社④
苦難を超え 現在も営業
明治13年に神戸の実業家·鈴木清により現在の浦河に創業した赤心社は、現地農場長の澤茂吉の手腕により、いくたの危機を乗り越え、現在まで営業を続けています。明治の開拓会社が屋号を変えずに現在も営業を続けているのは希有なことです。
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