北海道開拓遺産[豊頃]
尊徳直孫・二宮尊親が拓いた報徳の里 (上)

二宮尊親
幕末の農政家として多くの農村を救い、明治以降の日本の産業政策、地域振興にも多大な影響を与えた二宮尊徳。その直孫である二宮尊親が十勝管内豊頃町の開祖であることはあまり知られていません。
尊親は明治29(1896)年に移住民15戸と共に豊頃に移り住み、明治40(1907)年までの10年間、最も過酷な開拓初期を移住民と共にすごして開墾を指揮したのでした。豊頃町に今も残る尊親の足跡を訪ねました。

生涯学習施設「える夢館」
十勝川を左手に国道38号を進み、茂岩橋手前で右に折れるとすぐに豊頃市街。役場奥にある「える夢館」は二宮尊徳・尊親の教え「報徳思想」の殿堂です。

豊頃の報徳思想の殿堂「える夢館」

エントランス脇には二宮金次郎象

金次郎少年が大人になった二宮尊徳像

尊徳・尊親のおしえをわかりやすく伝える垂れ幕がホール奥に
報徳思想は豊頃のまちづくりの思想になっている
「歴史の森」(える夢館2階)
「える夢館」2階には豊頃町の歴史を伝える展示施設「歴史の森」があります。ここには二宮尊親とその跡を継いだ牛首別報徳会の人々による豊頃開拓の事蹟が詳しく解説されています。

「える夢館」1階ホールの階段を上がると「歴史の森」

正面の「報徳訓」は二宮尊親が豊頃在住中に尊徳の教えをよく
守った入植者に褒賞として書きおくったものです
窓の横に見える「北海道興復社移住民」という幟は豊頃開拓が二宮尊徳の直系事業であることを示すもの

ここでの最大の見ものは二宮尊親直筆の「終遂」の書
尊親は最も厳しい開拓10年を移民団と共にすごし、
開拓が軌道に乗ったことを見届けて故郷の福島県相馬に戻りました。
この書は尊親が豊頃を離れるにあたって開拓事業を
遣り遂げたことの証として書かれました。
「図書館」(える夢館1階)
歴史好きには「える夢館」1階の図書館も見逃せません。豊頃町が長年にわたって収集してきた貴重な報徳関連資料があります。

図書館入り口脇の「報徳コーナー」
貴重な書籍が展示されています。壁には尊徳(左)と尊親(右)の肖像
貴重な書籍が展示されています。壁には尊徳(左)と尊親(右)の肖像

郷土資料コーナーにも報徳関連資料が豊富にあります。
左上段は二宮尊親が帰郷後に編さんに当たった「二宮尊徳全集」(全36巻)
興復社事務所跡(豊頃町二宮)
興復社は二宮尊徳が相馬藩で行ってきた事業が廃藩置県で困難になったことから継承団体として明治10年に設立されました。2代目社長となった二宮尊親の豊頃移住と共に復興社も北海道に移りました。明治30年から10年間、報徳思想の総本山は豊頃町にあったのです。この広場と周辺には報徳社事務所など関連する施設が建ち、報徳思想の聖地になっていました。

二宮尊親像

二宮尊親は大正11(1922)年に東京で亡くなりましたが、
分骨を受けてかつて興復社事務所のあった場所に墓が建てられました
墓碑には「故興復社長二宮尊親先生墓」とあります。

興復社倉庫
リフォームをされて当時の面影は薄まりましたが、
明治時代に建てられた興復社の倉庫です。
こうしたものこそ北海道の歴史遺産として復元保存をしてもらいたいものです。

往時の興復社事務所

尊親が登って入植地を定めた「円山」が近くに望めます

興復社事務所跡は現在駐車場公園になっている
左手奥の林の中に二宮尊親の墓、中央に倉庫、左手に二宮尊親像、開拓記念碑