北海道開拓倶楽部は、令和元年に発足した、北海道開拓の歴史を学び、開拓の誇りを取り戻すことを目指して発信する歴史系WEBメディアです。開拓史の勉強のほか、開拓遺産・史跡の探索、開拓者精神を現代に活かす働きかけなどリアルステージでの活動も行っていきます。
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2025.04.04
【開拓の言葉】及川安次の記憶(今金町豊田)
当時宮城県では北海道の開拓者はほとんどの人が成金になっていて、5年間辛抱すると5万円は必らず残るということで、私逹も入植に踏み切った。
函館から一週間徒歩の旅でイマヌエル(現今金町神丘)まできたが、途中で見たこともない笹小屋が点々とあり、何故か不思議だった。イマヌエルから川舟に乗り、春日井にたどりついた。見るとあの笹小屋が建っていて、土間に笹やひえがらをしき、入口にはむしろが下げてあった。両親は無言のまま私の手を引き小屋に入った記憶がある。
春日井の地は尾張団体の方々が入植していたが、毎年の洪水のため引越して行った。開拓当時は利別川の川幅も狭く、柳や笹が茂り両岸の耕作のため伐木は川へ切り倒し、刈り取った笹、雑草を流したため川の流れが緩俊となり、大雨の度に洪水となった。
明治43年の洪水のときは鈴金の服部さんの空屋に避難し、金原農場の事務所から炊き出しを受け、翌日の午後になりやっと家に帰ったが、小屋は泥で埋まり、家財道具は何一つ残らず、畑の作物もみんな流されていた。幸いにも大豆畑へ避難させたドサンコ馬が流されなかったことが何よりの慰めであった>『今金町史・上巻』(1991)

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