よみがえる世紀の祭典「北海道百年 」
1968年 北海道百年
北海道大博覧会 ②
北海道百年大博覧会には各所に大正7年の
■あすの科学館
エレクトロニクスが社会や生活を変えていく未来を表したパビリオンです。電子器機、電気器機が急速に発展した時代を表しています。現代ならAIやICTなどがそれにあたるのでしょう。
[未来の殿下都市]中央を走るのはリニアモーター(出典①)
東大宇宙研、科学技術庁が実物の国産ロケットを出品(出典②)
1970年の大阪万博に先んじて行われた「テレビ電話の実演」(出典③)
■ホームアイディア館・暮らしの広場
住宅の移り変わりを振り返る(出典④)
道内建材メーカーによる寒地住宅への製品提案(出典⑤)
道博住宅設計コンクールの入選作を実際に建設した「理想の寒地住宅」(出展⑥)
■専売館
煙草の大々的な宣伝が許されていた時代でした。専売公社(現在のJT)は単独のブースを構え、最新鋭のたばこ製造機を持ち込み、100万箱以上の記念ハイライトをこのパビリオンのなかで製造しました。
期間中に会場で4000万本のハイライトを製造した(出典⑦)
■全国・観光と物産館
「北海道百年」に協賛し、青森から沖縄まで全国45都府県から出典がありました。出展希望が膨らんだことからパビリオンも拡大。2640㎡の大会随一のマンモスパビリオンとなりました。
観光と物産館の導入は青森県のブース(出典⑧)
各地の特産品の即売会は大変な人気だった(出典⑨)
■北海道・観光と物産館
当初「全国観光と物産館」に含める予定でしたが、同館への出展希望が膨らんだのと道内業者の出展希望が増えたことで独立したパビリオンになりました。
当時の最先端展示技術を駆使した「北海道観光地図」(出典⑩)
道内物産の即売会も予想を上回る売上(出典⑪)
■アメリカ館
諸外国のなかではアメリカが単独でパビリオンを設けました。大会主催者の強い要望によるもののようです。「当館のテーマは〝きのうとあすのフロンティア〟。道博のテーマ〝風雪百年 輝く未来〟にぴったりと沿うもので、アメリカに見る西部開拓の〝風雪〟と宇宙へ伸びる〝輝く未来〟を独立館の中に描き出した」としています。アームストロング船長が実際に着用した実物の宇宙服の展示は国内初でした。ちなみに同船長による人類初の月面着陸はこの1年後のことです。
1966年3月、世界で初めて宇宙空間でのドッキングに成功したジェミニ8号でアームストロング船長が実際に着用した宇宙服。日本初公開(出典⑫)
月面着立を目指すアポロ司令船と着陸船の2分の1の模型。着陸の1年前の展示(出典⑬)
■世界一周館
世界16カ国から出展。館内を一周すると世界旅行をした気分が味わえる構成となっていました。
「日本の翼」国内航空会社の飛行機を模型で展示(出典⑭)
南北アメリカゾーン(出典⑮)
ヨーロッパゾーン(出典⑯)
■楽しい社会科館
当初はソ連館と無料休憩所を併設するものでしたが、出展希望者が増えたので郵政関係と児童発明工夫展の抱き合わせに。ちょうど郵便番号制度が始まった頃で、郵便自動選別押印機を持ち込んで実演しました。
郵政コーナー。洞爺湖の簡保保養センターを宣伝するジオラマ(出典⑰)
[ソ連コーナー」北方領土をソ連領とする展示が問題となり、当該コーナーが閉鎖となった(出典⑱)
■夢の生活館
テレビ、洗濯機、冷蔵庫の〝三種の神器〟が暮らしを大きく変えた時代からカラーテレビ、クーラー、カー(自動車)の3Cが〝新三種の神器〟と呼ばれるようになった時代を反映し、夢あふれる生活の未来像を示しました。
清涼感を演出するシンボル展示(出典⑲)
[未来のベッド]ボタン一つで姿を変えた(出典⑳)
YAMAHAによるエレクトーンの実演(出典㉑)
■サーキノ館
道博の呼び物の一つで、11台の映写機によって360度のスクリーンに映像を映し出す全円周映画「サーキノ」の東京以外では全国初めての公開実演が行われました。パビリオンも北海道で初め空気圧で膨らませるエアドームが用いられました。
一番の人気で連日長蛇の列ができた(出典㉒)
カラーテレビも普及していない時代の全周映像に観客は度肝をぬかれた(出典㉓)
■ファミリーランド 子どもの世界
会場内の約3分の1は家族ずれのための遊園地となっていました。事務局が自主制作した「ファミリーランド」と雪印乳業の協力で実現した「子どもの世界」2つからなっています。なお、ジェットコースターはこの道博で北海道で初めて導入されました。博覧会終了後、これらの遊具は円山動物園と藻岩山ロープウェイに寄贈されました
ジェットコースターは道内初登場(出典㉔)
これらの遊具は円山動物園の子どもの国で長く道民に愛された(出典㉕)
■作文コンクール
意義深い北海道大博覧会に、一人でも多くの道民が直接間接に博覧会に参加してもらおうと、博覧会にあわせて次のようコンクールが行われました。
●「北海道に建つ明日の住まいコンクール」建築設計コンクール
●「時計の入った児童画」作品コンクール
●「道博の思い出をかこう」図画・作文コンクール
下記は作文コンクールで最優秀の金賞を受賞した中頓別町立松音知中学校2年、土倉 侑子さんの作品です。
道博の思い出
7月3日、待望の道博見学に出発した。まだ見ぬ過去と未来の北海道を、頭いっぱい描きながら。
大博覧会場は、ものすごい人々でにぎわっていた。そして展示されているものは、どれもが珍しく、目を見張るものばかりだった。昔、開拓者が使った農機具をはじめ、進歩した機械、そして未来の農村都市など、どれ一つ取り上げても、私の興味を十分にわきたたせた。
そうした中にも、私の心は開墾者の慟く姿を見たとき、祖先たちの根強い精神と忍耐力のすばらしさを、強く感じとった。
北海道百年間の歴史! それは、どんなに長く、つらかったろうか。手にまめををつくり、汗を流し、身を粉にして慟きつづけ、今日の北海道を築き上げた祖先の尊い歴史なのである。私たちはもう一度、過去百年間を静かに振り返り、深く味わって、祖先に見習わなければならない。その機会をこの道博で得たことを、本当によかったと思う。
会場にくり広げられている未来の北海道の姿は、若い私たちの心を、限りなくふるいたたせた。札蜆のような大都市から遠く離れた山の中で、酷農に苦労している私たちの部落の将米を、思わずにはいられなかった。私たちの貧しい農村だって、こんなにすばらしい未来像のようになるのだろうかと、私は疑い、不安だった。
しかし、やがて力強い自信が、からだの中にわいてきた。私たちは若い。やろうと思えば、なんだってできるのだ。この道博がそれを示してるのではないか。豊かな農業都市だってて、実現させることができるのだ。私たちの時代に実現しなくても、子孫が受け継いでくれることだろう。
私たちは、先祖に負けぬよう、立派な北海道を作り上げたい。毎日の生活の中で、こつこつと、その力を積み上げていこう。[1]
【引用出典】
[①]北海道大博覧会事務局『北海道百年記念 道博』1968・北海道新聞社・144p
【写真出典】
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲⑳㉑㉒㉓㉔㉕ 北海道大博覧会事務局『北海道百年記念 道博』1968・北海道新聞社