北海道開拓倶楽部5周年
昏迷の令和、町村金五知事の言葉を聞く
北海道開拓倶楽部はおかげさまで運営開始5周年を迎えました。みなさまのご支援に深く感謝申し上げます。
このサイトを立ちあげるきっかけとなったのは平成30年の「北海道150年」です。記念式典では高橋知事以下、一言も「開拓」という言葉を発せず、ご臨場された天皇皇后両陛下は一言もお話にならず、終始無言でした。そして「北海道150年」の年の12月に北海道百年記念塔の解体が決定します。この様子を見ていて大きな違和感を感じたのが、このサイトを立ちあげた動機となります。
6年目に入るにあたって原点を確認する意味で、「北海道百年」の年に町村金五知事による成人式での祝辞をご紹介します。この年は学園紛争が最も激しかった時代で、今とは違った意味で左右対立が激しく、分断の進んだ時代でした。
そうしたなかで戦然戦後の激動を国政の中枢で経験した町村知事が北海道の明日を担う青年たちに強い気持ちで語りかけた言葉は、現代の私たちにも響くものがあります。
町村金五知事略歴
明治33年 札幌区北2条東3丁目にて生誕
大正13年 青森県属
大正15年 静岡県保安課長
昭和4年 静岡県商工課長兼水産課長
昭和5年 宮内事務官
昭和5年 静岡県警務課長
昭和7年 宮内大臣秘害官
昭和12年 岐阜県警察部長
昭和13年 三重県警察部長
昭和14年 内務省繁保局警務課長
昭和15年 大臣官房人事課長
昭和16年 富山県知事
昭和18年 内務省笞保局長
昭和20年 新潟県知事
昭和20年 警視総監
昭和20年 東京都次長
昭和27年 衆議院議員
昭和34年 北海道知事
昭和46年 参議院議員
昭和48年 自治大臣国家公安委員長 兼 北海道開発庁長官
昭和55年 参議院自由民主党議員会長
昭和55年 勲一等旭日大綬章叙勲
昭和58年 参議院議員任期満了に依り引退
重大な過ちをおかした一明治人として
これから日本を担う諸君に
ぜひとも真剣に考えていただきたい一事がある
風雪百年輝く未来
ことし、昭和四十三年は、明治の新政府によって、それまで「エゾ地」といわれていたよび名が「北海道」と改称され、札幌に北海道開拓の使命をおびた開拓使という役所が設けられてから、ちょうど百年という歴史的な意義深い年に当たる。
開拓の当初、全国各地から、新天地開拓の理想に燃えて北海道に渡ったわれわれの先人は、千古斧鉞(ふえつ)を入れぬ原始林や、昼なお暗い未開の原野にいどみ、あらゆる困難を、不撓不屈の精神力でのりこえ、今日みるような本道発展の礎をきづいでこられたのである。
最近、本道の産業経済もようやく発展の緒につき、道民生活も逐年向上をみているのであるが、これもひとえに先人の血のにじむ努力のたまものであることを思うとき、この記念すべき年に当たり、われわれは先人の不滅の功いに対し、改めて感謝の誠をささげなければならないとと思う。
咋年、この百年の意義を、全道民に認識してもらうための一つのこころみとして、北海道百年を端的に表現した標語を広く募集したのであるが、その最優秀作に選ばれたのは、「風当百年、渾く未来」という、まことに簡素で感動な一句であった。
思えば過去百年は、われわれの祖先が、本州ではかつて経験したことのなかった酷烈な風雪とたたかい、前人未踏のこの地に、すばらしい新天地をきり開いた苫難の百年であったのである。そしていま、これを受けついだわれわれは、この見事な基礎のうえに、産業的にも、文化的にも、北方にふさわしい偉大な北海道を建設する「輝く未来」に向かって開道二世紀への出発をしようとしているのである。それはまことに重大な、しかもやりがいのある責務であるといえよう。
ご承知のとおり、日本列島はその大部分が温帯に属しており、日本人は何千年もの間、この温和な気候風土の中で、外国と接触することもなく暮してきたのである。そういうわれわれの祖先が、明治になってにわかに酷寒積雪の北海道に渡ったのであるから、雪や寒さから身を守りながら、未開の原野に挑むことが精いっぱいで、この雪や寒さを積極的に克服し、産業や生活のうえに活用していくことまでは、到底、力が及ばなかったのも当然のことであろう。
しかし、改めて世界地図をひもとくまでもなく、世界の先進国といわれる国々は、そのほとんどが北海道よりも寒冷な北方地域に位置しており、そこに最も近代的な産業や、進んだ文化を創造しているのである。またその逆に、常夏の国といわれるインドや東南アジア、アフリカなどの南方地域には、概して後進的色彩の濃厚な国々が多いことを考えあわせるとき、開道二世紀を迎える北海道は、雪や寒さが北海道の発展を阻害しているという従来の考え方に、深い反省を加える必要があることを痛感するのである。
〝文化は北方から——〟という言葉もあるとおり、冷涼清冽な北方の気候風土こそ、身体のためにも、頭脳のためにもまことに恵まれているのであって、われわれはこの寒冷な気象条件こそが、将来、北海道を偉大な地域として発展させる原動力であることを自覚し、研究と努力を重ねていかなければならないと思う。
諸君は、この北海道百年というまことに意義深い年に成人になられたのであるが、諸君の前途は、あたかも白雪の大自然に、旭日の昇天するが如く洋々として希望と光に輝いている思いがするのである。厳しい北海道の自然で鍛えたその気骨と創意、不屈の精神力をもって、この北方の大地に輝く未来を創造していただきたいと思う。
私は、諸君の成人を心から喜んでおられるご両親とともに、諸君の奮起を念願し、心から期侍をかけているものである。

青年よ意気軒昂たれ
明治十年、札幌農学校創設の任を終えて帰国の途につかれたクラーク先生は、島松原野において、見送りの学生たちに「ボーイズービー・アンビシャス」(青年よ大志を抱け)の一言を残して去られた。
この教訓が、開拓の苦難とたたかっていた当時の北海道の青年に与えた感銘は大きく、幾多の逸材を生んだ札幌農学校の精神的背骨ともなったのであるが、これはひとり北海道のみならず、明治の青少年をしてひとしく奮起させたように思われる。
長い鎖国から目見めた明治の青年たちは、日を追ってもたらされる欧米の進んだ文物に驚愕の目をみはったのであるが、同時にこれを貪欲に吸収し、一日も早く欧米先進国と肩を並べることを目標に、懸命の努力を重ねたのである。その結果、わが国はわずか数十年にして世界の文明に追いつ、列強の一員に数えられるまでになったのであるが、このことは一身の名誉や幸福を忘れて、祖国と民族の発展繁栄に献身するという強い使命感に燃えた青年の力によるものであったことを忘れてはならないと思う。
ところが今から二十三年前、敗戦という思いがけない事態に直面した日本人は、虚脱混乱に陥り、明治以来の伝統であった国家と民族のために自己の全力をつくすという気概を失い、さらに、社会のため、他人のために自分の力を役立てるという至極当然のことさえも忘れ去ってしまったのである。そして自己の利益追求に狂奔した結果、欲望の満足と物質的安定を求める社会的風潮は滔々として国中に広まり、二十三年後の現在、なお止むところを知らないという事態を招いたのである。
このような風潮が、敏感な青年に強い影響を与えたことは当然で、現在の青年の中には、物質的満足の追求と、小市民的〝マイホーム主義〟を人生の目標と考えるような者が次第に多くなってきたのである。従って、雄大な理想を胸に秘めて、その達成に精魂を傾け、国家のため、人類のために進んで挺身するという、明治時代の青年が示したあの気魄と根性を抱く者は、暁天の星の如く少なくなったと指摘されている。
一国の盛衰、民族の消長は、その国の青年の気力や休力、徳義心、健康などの優劣によって决することは、古今の歴史が証するところである。なるけど戦後のわが国の経済復興は目覚ましいものがある。そしてこのことは敗戦の惨状から一日も早く立ち上がろうと考えた同胞が、困苦と欠乏に耐えて努力を重ねた結果であるが、その原動力となったものは、おおむね明治、大正の時代に青年期を過ごした人たちの力であった。
しかし、あの無謀な戦争によって国民を悲惨な敗戦に導き、先人が営々として築いた貴重な精神的遺産も、経済的成果もことごとく壊滅させてしまったのも、われわれ明治、大正の世代のものたちであったことを思えば、戦後の復興に努力を重ねたことは当然のことであり、われわれは現代の青年諸君に詫びるべきものはあっても、誇るべきものは何もないことは私自身十分自覚しているつもりである。
しかし、われわれ明治、大正時代のものは、やがて社会から姿を消し、日本は遠からずその一切を昭和生まれの人々に引きつごうとしているのである。このようなときに当たって、私は重大な過ちをおかした一明治人として、これから日本を担う諸君に、ぜひと一も真剣に考えていただきたい一事があるのである。
わが国は戦後目ざましい発展を示し、今日ではむしろ戦前を凌駕するまでになり、世界の驚異のまとになっていることはご承知のとおりである。しかし、経済の発展繁栄ということは、いわば国力の上部構造であって、これをささえるものは、下部構造ともいうべき国民の精神力や道議心である。
この点について、わが国の実情はどうかというと、未だに戦後の混乱、虚脱の状態が改まぬばかりか、むしろ、年を追って激化の傾向さえたどるという悲しむべき実情なのである。このような国民精神の空白や混乱がもし長く続くとするならば、現在の経済繁栄はあたかも砂上の楼閣のように、やがては潰え去る運命にあることは火をみるよりも明らかと言わねばならない。
そこで、私が青年諸君に訴えたいのは、われわれが力足りずしてなし得なかった、国民精神の復興、民族意識と道義心の覚醒という、日本が独立国として存立するうえに何よりも重要な基本的課題を、青年の近代的感覚と憂国の熱情、清冽な倫理感を傾けて、全国民の先頭に立ってその打開のために精進していただきたいということである。
明治百年、北海道百年を迎えて、新しい出発点に立つ諸君が、世界の平和と繁栄に寄与できるこれからの偉大な日本を担うのだという自覚のもとに、わが国が直面するこの重大な課題解決に向かって、奮然として邁進されることを、私は待望して止まないのである。

平和について思う
私は外国の事情にはいたってうとい方であるが、昨年、アメリカの各地で黒人の暴動が続発したことをきいて、今さらのように日本という国に生まれたことの有難さをしみじみと感じたことであった。
われわれ日本人は一つの国土に、言語や風習、歴史を異にする異民族と入り交じって生活することによる対立や不愉快さ、あるいはお互いの不幸というものを知らないのである。
もとより、異民族が交錯定住するということは、長い間の歴史的経過の産物であって、何人の責任にも帰することのできない宿命的な現実なのであるが、異民族闘の争いを耳にするたびに、狭いとはいえ、この国土に日本人だけが住むことのできる日本という国の有難さが痛感されるのである。
しかし人間というものは、ふだん健康なときに健康の有難さを忘れ、日光や空気の存在に感謝する気持ちを忘れているように、日本人としてこの国土に生まれ、日本人の中でのみ生活したものは、このことがいかに大きな幸福であるかを感じていないものである。
思えば戦後日本ほど恵まれた国は、世界的にもめずらしいのではなかろうか。人間にとって最も貴重な自由は、政治的にも経済的にも思想的にも、世界に比類なく完全に保障され、国民の生活内容も、今や戦前をしのぐ向上を示し、世をあげてレジャーと太平の夢を満喫しているのである。
日本が太平で住みよい国になったことは、それ自体悪かろうはずもなく、まして戦争の惨禍を身をもって体験した日本人が永遠の平和を希求し、再び戦争を繰り返すまいと誓ったことも至極当然のことと言えよう。しかし残念なことに、この平和という、日本人にとって何よりも大切な国民的課題に対する考え方が、二つに対立する主張によってことさらに混乱し、国論が分裂を深めるというまことに不幸な事態が、次第に顕著になりつつあることである。
国民の一部の人たちは、自分たちの主張こそ真の平和を獲得する道であり、他の主張は日本を再び戦争に駆り立てようとする野望によるものだという非難を、声を大にして叫び、事ごとに対立し抗争を続けているのである。
私はこの悲しむべき国情をみるにつけ、かつて小泉信三先生が言われた二つの平和、すなわち国と国との平和と国内の平和、この二つが実現されなければ真の平和は到来しないという言葉を思い出すのである。今、われわれ日本人は心を虚しくしてこの言に耳を頑け、国際間の戦争を憎むと同じ心情で、国内の対立動乱を憎むべきではなかろうか。
ところが今日、国際間の平和を唱える者が国内の平和を思わず、かえって治安の維持を軽視する例が少なくないことは、何としても許しがたいことである。平和を守るために、いかなる所見も主張ももとより自由であるが、それはすべて法と秩序を守って行なわれるべきものであり、これを破って、一挙に自己の主張を実現しようとする革命的言動は、個人の自由と責任、法の尊重を出発点とする民主主義の本質を破壊する以外の何ものでもない。
ある一つの法や条約が不当であると考えるのは自由である。しかし、その改訂は国会において合法的に行なわれるべきものであって、ほしいままに法を破ることは、民主主義への反逆であり、法治国の国民の断じて黙過できないところである。
自分と異なる立場や思想、主張を封ずるために暴力を是認し、あえて国内の平和を乱そうとする者に対しては、今こそ真の平和を求める国民の情熱と、健康な世論の力をもって制圧しなければならない。
由来、国家民族の興亡の歴史は、外敵あるを忘れて兄弟垣に相閲(せめ)ぐ民族の運命を教えておるが、もしこの民主主義の危機に際して、わが国民がこれを合法的に正確に処理する識見と勇気に欠けるならば、あたかも大東亜戦争の前夜、軍部の圧力に屈し、無謀な戦争に協力し、国民を敗戦の悲惨におとし入れた当時の指導者が犯したとりかえしのつかぬ過ちを、今日のわれわれが再び繰返すことになることを肝に銘じておかなければならないのである。
以上の所論については、あるいは私と異なる所見もあることと思うが、青年諸君は、冷静に両論を対比検討して正論をみきわめ、わが国が真に平和な民主国家として、生々発展するよう一層の努力研鑚を望むものである。

「和魂洋才」に学ぶ
徳川時代の三百年間、鎖国政策の下で長夜の眠りにふけり、諸外国の文明から隔絶されていた東海の小国日本が、明治の開国後、他の地域にみられるような強国の値民地にもならず、それどころか、僅々数十年でアジアの強国にまで躍進したことは、世界歴史における奇跡であるとさえ言われている。
このような奇跡的な発展がなぜ可能であったかについては、さきにも述べたとおり、当時の青年たちの貪欲なまでの先進文明の吸収と、国家民族の将来に対する愛国の至情が、諸外国の窺窬(きゆ=すきをうかがこと)を許さなかったのであるが、それと同時に、維新の大業を成しとげた指導者たちが、身をもって実践した「和魂洋才」の信条こそ、最も重要な役割を果したものと私は確信している。
維新の中心的指導者であった大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らは、欧米の進んだ知識文物は大いに学びとり入れても、日本人としての誇りとその民族精神は護り育てなければならないことを賢明にも洞察されたのである。
ここに日本精神を堅持しながら、欧米の新知識を導入するという国是が確立され、とくに、新教育制度の創設に当たっては、このことに格別の配慮が加えられたように見受けられる。「和魂洋才」とは、この国是を端的に表現したものであり、国民の間に広くこの大方針が支持されたことによって世界の驚異といわれる明治の大躍進が実現したのであった。
さて、第二次世界大戦で敗れた日本は、米国の占領政策によって、国家と社会のあり方に重大な変革がもたらされた。日本に軍国主義が再現されることを極度に警戒した占領軍は、その萌芽となるおそれのあるものをことごとく除去することに全力を注ぎ、一方国民は、敗戦の虚脱の中で占領軍の命令を唯々諾々として忠実に実行したのである。
この結果、日本の民主化は急速に進んだとはいえ、過去何千年にわたってつちかわれた日木人の民族性やその長所美点、伝統や歴史さえもことごとくが誤ったものの如く錯覚され、そのすべてをほうむり去ったのである。
もとより、過去のもので改められるべき点も少なくなかったが、そこには継承され発展させるべきもの、世界に誇るべきすぐれたものが数多くあったのである。
敗戦から二十三年、今や戦前を凌駕する経済の繁栄、国民生活の向上をみるに至った。あの極端な貧窮の中から今日の繁栄をみたことは世界の驚異と言われ、その点では、明治維新の国民的エネルギーにも比すべきものがあるが、なおここに明治維新とは瞭然と異なるもののあることをわれわれは見逃してはならないと思う。
つまり、明治の繁栄の基盤には「和魂洋才」に貫かれた日本人の魂が存在したのであるが、敗戦後は肝心の「和魂」を忘れ、物質的、経済的復興だけが進んだ感を強くするのである。この一点が明治維新と敗戦日本との顕著な相違であり、且つ似めて重大な相違であることをわれわれは真剣に反省しなければならないと考える。
今は、わが国の国論は極端に分裂し対立している。一方に親米、一方に親ソ中共という両論があり、あらゆる場面で対立抗争を続けていることは諸君も承知のところであろう。しかし、いかなる場合にもわれわれは日本人であるという自覚を一刻たりとも忘れてはならない。
たとえ思想、立場が異なろうともこの祖国をよりよき目本に発展させ、さらに世界の進運と平和に寄与できる偉大な日本に成長させるためには、一億国民が、すべて血のつながる同胞であるという自覚のもとに、小異を捨てて大同団結することこそが現下最大の急務なのである。
偏狭な立場を固執し、日本人としての誇りと民族意識に目覚めることなく、蝸牛角上の抗争を続けるならば、内に民族は分断分裂し、外に外国の侮りを受け、やがて今日の経済繁栄も瓦解の道をたどらざるを得なくなることを心から憂えるのである。国家が滅び、民族が分断流浪して、どこに個人の幸福があろうか。
私は、北海道百年を迎えたこの新年こそ、日本人が、国民意識を喪失した過去二十年の悪夢から豁然(かつぜん)として覚醒することを念願するとともに、憂国の青年諸君があらゆる英知と勇気をもって、この亡国的な現状を打開するために、決然として奮起されることを熱望してやまないのである。

農漁村後継者に望む
北海道は農林漁業の生産の面で、日本において極めて重要な役割を果たしていることは諸君のよく知るところであろう。しかし、この重要な産業に働く若い後継者が年々減少し、農漁村とも後継者難のため遠からず重大な危機に直面するおそれが顕著になってきたのである。
このため、私はここ数年来、この後継者対策に、関係者と共ども肝胆を砕いてきたのであるが、もしこのままの状態で推移するならば、やがて食糧の生産は激減し、国全体の食糧自給が困難になることも必至と言わねばならない。自国の食糧を自給できない国がいかに悲惨な運命をたどるかは、民族興亡の歴史が物語るところであり、われわれは深く肝に銘じて努めなければならぬところである。
しかし、考えてみると後継者難は必ずしも農林漁業だけの問題でなく、親の職業をつぐことをいやがる傾向は各方面で顕著になってきたようである。このため、商人や職人といわれる人たちの間でも、現在深刻な人手不足となり、そのことが手間賃の高騰、物価高にまで大きな影響を及ぼしているのである。
これは、ひとから聞いた話であるが、ヨーロッパでは子供に将来何になるのかと尋ねると、ほとんどの子供が「父親よりりっぱな大工になる」とか「父親より腕のいい左官になる」と答えるそうである。アメリカなどでも、靴屋になるのが当然と考え、親も子も、そのことに一向に疑念をもたないということである。
ただ欧米の場合には、どんな職業であっても、他に遜色のない収入が得られ、生活も安定しているので、わが国とは多少事情が異なるのであろうが、父親の職業に誇りをもち、それを受けついでより優れた職業人になろうという欧米の青少年の職業観には、日本の青少年も大いに学ばなければならないのではなかろうか。
わが国では`明治維新の変革で、それまでの士農工商の階級制度を打破し、四民平等の社会を実現したのであるが、このことは、実力さえあれば誰でも伸びることができるという機会均等の社会構造をつくりあげた反面、立身出世主義の風潮も助長し、会社の社長や大臣になることが出世の大目標となり、農漁民や商人職人などを蔑視する傾向をつくりあげてしまった。
ところが世の中は、誰もが大会社の社長や、大臣になれるものではないし、志をたてても必ずしもそのとおり実現するとは限らないのであるが、こと、志と反した場合に、失望落胆のあまり、ついには、自分の不成功はすべて政治や社会が悪いからだというお門違いの恨みごとを並べる者が多いことは、何とも情けないことである。
諸君は能力次第ではどこまでも伸びることができる恵まれた国に生を受けたのであるから、まず自分の能力と識見を磨くことに全力を傾けてほしいと思う。
たしかにわが国にはまだ学歴偏重の傾向が強く、実力本位の社会とは言えぬ一面もあるが、これからの厳しい国際競争の嵐の中では、いずれの方面においても、高い識見、すぐれた能力がものをいうのであって、形式的な学歴などは眼中に置かれなくなる時代が、近い将来におとずれることは必至であると考えられる。
このことは農漁業においても同じことで、これからの農業や漁業は、高度の機械を駆使し、気象条件や労力の配分を分析しながら、生産性を高め、国際競争に負けない企業として育てていかなければならないのであるから、農漁村にこそ、優れた能力をもった頭脳、体力ともに優秀な人材が求められているのである。
一体、人間の真の幸福とはどういうことであろうか。財産のあることや、地位の高いこともたしかに幸福の一つの要素ではあろうが、そういう物質的、社会的なものだけでは到底あがなうことのできない、尊い精神的一面があることを忘れてはならない。人間はその日その日の活動が、何らかの意味で他人なり、社会なり、国家なりに役立っているという自覚を抱き、精神的安住を得てこそ、はじめて真に幸福な境地にひたることがでるのである。
農漁村を捨てて都会へ出る青少年は、自分の幸福を都会に求めるからであろうが、人間がその幸福を、自分の心でなく、外部の条件に求めても、決して得られるものではないのである。私は、自分の仕事に限りない生きがいと、無上の誇りをもつことのできる人が、初めて真の幸福の境地に達することができるものだと確信している。
父祖伝来の農林漁業の後継者の立場にある青年諸君は、自分の職業の意義や生きがいについて静かに思いをこらし、排気ガスや騒音のるつぼである都会の生活が、太陽と大地に恵まれた健康で生産的な農漁村の生活にくらぶべくもないものであることを、改めて考えてみるべきではないだろうか。自分の職業に全力を打ちこみ、人間としての生きる喜びをしっかりと自覚した頼もしい後継者となられることを、私は心から期待するものである。

国を護るということ
昨年十月、天寿を全うして急逝された吉田茂元首相は、敗戦岡日本を今日の姿に発展させる基礎をつくりあげた指導者であるが、昭和二十六年、講和条約の締結に当たってアメリカのダレス国務長官顧問から、講和独立の要件として、日本の再軍備を強く要請されたのに対し。吉田首相は断固としてこれを拒否し通したのである。その後昭和四十年に、京都大学の高坂助教授との対談中で、吉田さんは当時の心境について次のように述べられている。
「当時これを頑強に拒否したのは、日本はまだ国力が回復せず、軍備に多額の国費を投入すれば、日本の再建も、民生の安定もできないと判断したからだ」というである。さらに吉田さんは、「戦後二十年を経て、国力もここまで復興した以上、国力相応の国防力をもつべきである」と述べられているのである。
敗戦の貧窮のどん底にあった当時として、軍事費の支出を避け、当面の経済回復に全力を煩注したことはまことに賢明なことであったと思う。そして日本の経済力が充実してきたいま、相応の国防力が必要だという吉田さんの意見もまた当然のことではないだろうか。
敗戦後、占領軍によって日本の軍備が一切解体されて以来、日本人の国土防衛に対する態度は極めて消極的となり、その考え方も著しく混乱しているのが実態であると思う。
一方において、一切の軍事力を廃し、中立主義を堅持することが国家の安全を確保する最善の道であると主張する者があり、他方においては戦争や侵略が世界の各地で続発している以上、中立主義の宣言だけで安全を確保できるはずはなく、自国の安全は自国民の手で護る以外に道はないと主張するのである。そして前者は概ね親共産陣営の立場をとり、後者は親自由陣営の立場をとっているため、防衛に関する論争は、わが国外交の基本問題に発展し、現下における最大の政治問題となっているのである。
祖国を護るというこの重大にして厳粛な問題について、極端に相対立する論争が続けられ国論が分裂していることは、他の先進国では全く見られないことであり、まことに憂うべきことと言わねばならない。
私はここにあえて率直な所見を述べて、青年諸君の熟考をわずらはしたいと思う。
われわれが先祖から受けついだこの祖国をより発展させ、これを子孫に確実に伝えるためには、わが国が光栄ある独立国としてその存在を保っていくことが何にもまして重要なことは、あえて多言を要しないだろう。
それならば、その独立を永遠に護りぬく者は誰か。それはわれわれ日本人をおいてはかにないのである。もし日本人が国防を放棄し、外国にそれをゆだねるとしたらならば、日本は果たして独立国であると言えるだろうか。もとより場合によっては他国の援助を求めることもあろうが、日本人自らが全力をつくし、いかなる犠牲をも払う決意をもたずに、独立国としての誇りと祖国の栄光を護ることは全く不可能だと言わなければならない。
しかし、わが国では現在、日米安全保障条約によって、自国の防衛を米国に依存しているため、日本人の間に、独立国の国民として当然第一義的に考えるべき、祖国防衛に関する自覚が著しく薄いのでのる。さらに、国民の一部に、世界の各国が自国防衛に真剣な努力を重ねている現実に目を覆い、日本に防衛の必要性はあり得ないと力説する者がいることは全く不可解なことと言わざるを得ない。
人間は、誰しも好んで戦争をする者はいないのである。しかし、それでは世界に戦争の脅威はなくなったかといえば、誰もそれを信じはしないであろう。それがありのままの世界の現実なのである。
過去現在を通じ、世界のすぐれた国民は、みな祖国の栄光を護る精神の旺盛な国民であった。アメリカ、ソ連はもとより、イギリスも中共も、そして最も平和的な国といわれるスエーデンやスイスも、それぞれが精強な自国軍を擁していることは周知の事実であり、日本と同じ敗戦国の西ドイツもすでに再軍備を終わり、祖国をドイツ人自らの手で護っているのでのる。
われわれは自分の家や町や村が、火災や洪水の危険にさらされたとき、家を護り、町を護るために、多少の危険は冒してもそれに立ち向かっていかなければならないはずだ。人問誰しも楽しい家庭で、妻子とともに安全に暮したいことに変わりはないが、個人の幸福も安全も、円満な家庭の安全であってはじめて実現できるものである以上、国家の安全をまもることに、まじめに真剣に、取りくむことはあまりにも当然過ぎることである。
私は成人式を迎えた諸君が、日本が現在置かれている立場と、世界の情勢に活眼をひらき、祖国の永遠の平和と独立を護るために、祖国愛の熱情か傾けて、国をまもることに真心こめて努力されることを心から念願するものである。
国を思う心
最近「戦後の若い人たちは愛国心というものを知っているだろうか」ということをよく耳にする。しかし私は、今の若い人たちに愛国心がなくなったとは思わないし、愛国心とはどういうものかを知らない人もいないと思う。ただ、戦前にくらべて、愛国心というものに対する関心がまことに薄くなってきたということは否めないことではないだろうか。
人は誰でも、家庭や親しい友人、知人を愛し、また、自分が所属する社会やグループなどに親しみ愛情を注いでいる。これは人間としてごく自然な感情であるが、こういう気持ちが次第に発展して、自分の町や村を愛する愛郷心となり、さらに国を愛する心につながっていくのである。それゆえ、自分の家族や友人、町や村のことを悪く言われると、誰もが立腹するのであるが、それは、自分が抱いている親愛の情や誇りが傷つけられるからで、これもまた、まことに自然なことだと思う。
よく外国へ行ってみてはじめて、日本の良さ、母国の有難さがわかると言われる。日本国民である以上、誰でも自分の国に対する親愛の情や誇りをもっているはずであり、外国人から日本の国を悪く言われたり、日本人が軽蔑されたりした場合には、誰でも腹をたてるのである。このような気持が愛国心というものの素朴な感情なのではないだろうか。
ところが、戦後の日本人の中には、何となくこの気持が低調であるばかりか、時にはあえて日本の国を悪く言ったり、愛国心を否定しようとするものがいることは、何としても不自然なことだと思う。
由来日本人は、敗戦までは外国人に決して遜色のない愛国心の豊かな国民であったと思う。しかし、敗戦によってこれが急激に冷却したのは、戦争遂行のスローガンであった「忠君愛国」の精神に対する反動から、国民の中にあたかも愛国心が戦争の火つけ役であるかのような気持ちを植えつけてしまったことと、当時の占領軍が軍国主義の復活を警戒して、愛国心は軍国主義につながると宣伝し、日本を骨抜きにするには、愛国心を悪ものにすることが有効であるという政策を押し進めたことによるものと考えられるのである。
しかし、戦後すでに二十余年、日本の産業はわれわれが予想もしなかった見事な発展をとげ、諸外国も日本の驚くべき発展に目をみはり、日本人に対する考え方も、軽侮から尊敬の念に変わってきたのである。それにもかかわらず、ひとりわれわれ日本人だけが、未だに三等国民的劣等感にとらわれ、国家と民族に対する誇りを忘れているということは一体どういうことなのであろう。
考えてみれば、われわれ日本人は、狭いとはいえ恵まれた四つの島に同じ言語と習慣、歴史と文化をもって暮していけるという世界にもまれな有難い国に生存しているのである。
この一事を考えただけでも、われわれ一億の国民は、内に国内の平和を保ち、全国民が一致協力して、産業文化の発展につくし、国力の充実に努めることが自然の国民感情であって、それがひいては世界の平和と繁栄に寄与する道であるという自覚を新たにしなければならないと思うのである。
われわれがいかに他の国に憧れたとしても、日本人は永遠に日本人であって、アメリカ人でもソ連人でもあり得ないのである。そこに日本民族としての自覚があり、日本民族でなければ果たし得ない世界人類の福祉に責献すべき役割と生まれてくるのである。
このように偉大な民族的使命を思うとき、日本人である誇りに胸躍る感を禁じ得ないのは当然であり、目先の利害や、思想、立場の相違から徒に敵視抗争を続けるようなことは、井の中にいて大海を見るものの愚行に等しいと言っても過言ではあるまい。
われわれは、今日なお続けられている戦後の混乱を一日も早く正し、日本人としての誇りを回復して、国家の将来と、民族のゆくべき道を誤りなく見極めることに、全国民が真剣な努力を重ねるべきであると思うのである。
私は、今日の日本における愛国心とは、このようなものであり、区々たる個人の主張の相違も、階級的利害の衝突も、父祖のため、子孫のため、同胞の永遠の福祉のためという大目的の前には、必ずや解決できうるものと確信するのである。
一八八一年にフランスがプロシアに敗れたとき、フランスの歴史学者プリュンティエールという人が、フランス人を指して「自分の過去の追憶すら忘れ去ろうと努力した民族は、歴史上ただわれわれのみであろう。一巻の歴史をも有せざるアメリカは、今さかんに自分らの歴史をつくらんと努めている。しかるに、わがフランス人は、自国の歴史を知らぬように装うか、あるいはわれわれを歴史から引き離す理由を探し求めんがためにのみ歴史を学んでいるのである」と嘆いた警告が思い出されるのである。このことは一面、現下の日本人の心境、風潮をそのまま物語っているように思う。
国家の興亡も浮沈も、一に青少年の双肩にあることは言うまでもない。もしその国の青少年が自分の目先の利害だけにとらわれ、壮大な気宇を失い、理想を捨て、愛国の至情に欠けるとするならば、その国と民族の前途は推して知るべきものがあると言えよう。
複雑多難な国際社会にあって、国家存亡の危機に直面した場合、国民が一致団結して祖国の栄光の護持に全力を尽くすとき、その国ははじめて独立の保持が可能であることは、世界の歴史が明確に教示しているところである。
今日、日本に生を受けた青年諸君は、この日本をより偉大な国として、次代の人々に残していくという貴い国民的責務を有するのでのる。このことを深く銘記し、現代に処していくところに、愛国心の根底があるといえるのではないだろうか。(終)
【出典】
町村金五後援会北海道連合会『偉大なる北海道の創造を』S43・町村金五後援会事務所・58-84p