
安之助の武勇伝
アイヌと和人の兄弟の契り
対雁での樺太アイヌ移民のリーダーであった知古美郎を疫病で失った山邊安之助の悲しみは大きく、今回の『アイヌ物語』も知古美郎と思いでの続きとなります。
語られるのは侮辱を受けた和人の実力者と兄弟の杯を交わす経緯です。アイヌ民族に対する差別は、この時代からすでに深刻だったことを伺わせますが、知古美郎のとった行動は、大和民族とアイヌ民族との関係が新大陸におけるアングロサクソンと先住民との関係とは似て非なるであったことを示しています。
あいぬ物語 (8)
樺太アイヌ 山邊安之助著
文学士 金田一京助編
三 石狩に於ける青年時代
(五)悪闘
私など若い自分には力も強かったし、負けん気であったから、色々な事を仕出かしては、知古美郎にも生前心配をかけた事もあった。
ある年の正月に、知人の家に呼ばれてご馳走になった。その時、大勢の客があって色々な話をしながら酒を飲んでいた。私達などは家の人達の昔の方でご馳走になっていた。その時、何とかいう人だか知らない人がその席に列していて、向こうの方で酒を飲みながら無闇にアイヌを悪口し始めた。
それがだんだん激しくなって、馬鹿だの、意気地無しだの、聞くに聞かれないほど、罵詈嘲弄をしている。私共はそれを聞いて、飲んだ酒も冷めてしまい、飲む酒も苦しくなる様な気がした。けれども耐えて耐えてじっとしていたが、終に耐えきれなくなってこう言った。
「もしもし! 向こうの旦那! お正月ですよ。どうかお手柔らかにお願いします」
とこうやったら、向こうもこちらをじっと見て、
「なんだ? 正月だ? だからどうしたってんだ」
こう言うから私も負けん気だからこう返した。
「正月というものは互いに笑って面白く酒を飲むのがいいだろうと思う。 アイヌだって正月早々悪口を聞かされちゃ好い気持ちがしないんだ」とやった。
そしたらそのお客は
「何!? 生意気な! アイヌの分際に! 俺を知らんか? この顔知らんか? 誰だと思ってそんな生意気を言う」
よせばよかったのに私もつい若気のむら気で、ぐっと癪にすえかねて「なにくそ!」と思っていたから
「何人だか知らないけど、見たところあまり大したおっかない人でもない」
こうやったら大将、怒るの怒らないの。肩を捲くって怒鳴ってきた。
「何をふざけやがる! もういっぺん言ってみろ! 俺のこの腕は柔道で鍛えた腕だぞ」
こうやって立ち上がってくるから
「ハハハハ、何の腕だか知らないが、腕なら私にもある」
と私もビクともしないでいた。とうとう、その男、拳を振り上げて立ち上がってきた。その時一座の人々が驚いて止めにかかったけれど、聞ばこそ
「吾輩の腕を見ろ!」と叫びながら、私の方へやってきた。
だから私もこう言った。
「これは面白い。どういう腕だか、見せる、というなら見せてもらおう」
と言って私も立ち上がった。皆は慌てて止めにかかるけれど、勢いがこうなってはもはやどうなろうと仕方がないと思ったから立った。向こうの男は目を怒らし
「庭に出ろ! 庭に出ろ!」と言って、
もっぱら自分で庭に出て待機しているから、私もおい来たと、のそりのそり出て行くと
「こんちくしょう!」
と言いざま、私の胸ぐらをぐいっと掴む。その手の来るのが早いか、こっちからその手をムヅと取って、おう! とあたりに投げ倒した。
足も手も宙に向けて、暫時、起き上がれなかった。
それを見て、私はあまり強くやりすぎたかしら? こんなにするんじゃ無かったと、気の毒に思っていると、むっくり起き上がって、垣根に結ってある木を一本引っこ抜いて、それで私を打とうと振りかぶって、打ち掛かってきた。
下を潜って打とうとするその肘をぐいっと掴むと、木はカラリと後の方へ転がり落ちる。 引っ張ってドシンと鳴るほど据え付けた。
起き上がるかとと見ていたけど起き上がりもしない。心ならずも腹立ちまぎれにしはしたけれど、こんな人いじめをして嫌な目を見たから、自分の家へ帰って来た――。
その晩、遅くなって呼ばれた家の妻君が何か心配そうな顔をして私の家に這いった。そして私に向かって云うには
「大変な事になってしまったよ。あんまりお前が強く打ったと見えて、彼の人はもう助からないそうだ。私はよく知らないけれど、何でも肋骨とかいう骨が折れたんだそうな。まぁどうしたらいいんだろうねえ。何とかしなきゃいけませんね」
と途方に暮れていた。私はそれを聞いて今更後悔をした。私も見舞いに行ったもんだろうか、どうしたらよかろう? 一旦こうやってしまったもの、どうされよう。どうならばなれ。警察署なり裁判所になり、行く所へ行こう。悪い事をした以上警察へ上げられようと仕方がない。とそう覚悟を決めて落ち着いていた。
二 ~三日経って御年始に行く途中で知古美郎にふと逢った。そして私にこう言った。
「とんでもないない事を仕出かしたなぁ。俺が平生お前達に言って聞かせているのに聞かずにさぁ! 乱暴な事しちゃいけないぞ。今後こんな振る舞いをしたなら、今度は俺は知らんぞ。お前らが勝手に臭い飯を食おうと、何をしようと俺は知らんぞ!」と言った。
連れの西崎西郎、東山梅男のこの2人は微笑して
「どうにも力が強いんだからなぁ! そんなにひどくやるつもりではなかっただろうが、勢い込んでよほどえらく行ったもんだなぁ! お前は強力者だからなぁ!」と言った。
(六)盟契
そんな事があって、もの二十日も経った頃、私の投げつけた人から伝言の使いが来た。伝言に云うには
「ちょっと私の家の主人が先頃喧嘩をした方に、ちょっと家までおいで下さるよういう事でお使いに参りましたのです」と云う。
私は何のためにどういう事が言いたいのだろう! まぁ行ってみようという気になって、その人の所へ出かけた。
そしてその人の家に行ったら、まだ床に就いてるという事であった。けれどもその後の経過がよろしかったそうで、これならば目出度い、全治しそうだ。まぁ心配したほどではなかったとやっと安心した。
そして、向こうの人は、私の来たのを見てたいそう喜んで、床の上に座って、私こう話した。
「こないだは僕が酔っ払って失敬な事を言った。何も酒の上の事であるから決して悪くとってくれ給うな。僕もその通りひどい目にあったけれど、君も酒の上でやった事だから、決して警察でも裁判所などという事はせずに、二人で内々に済ますつもりだ。ついては酒でも買って仲直りをしてはどうか? これから後、改めて昵懇になりたい。どこにまた逢っても仲良く懇意にしてほしいと思う」
私も元から恨みのある人でもないし、こう優しく話されては、今更、誠に気の毒になった。そこで言うには
「イヤどうもそう言われてみると、私も今更誠に面目ない。何も彼も酒の上でやった事であるんだから免じてください。だから君の言われる通り、酒でも買って仲直りをして、 今より後どこで会ってもお互い懇意にしましょう」
と言って私は五升を買い、それから向こうの人も五升を買って、私の方の人達もその人の宿の人達も一緒に兄弟の名乗りの酒を酌み交わした。
私も若い時分までは、何でも負けている事が嫌いだったから、度々人と喧嘩もし、警察へも召喚された。けれども何時でも自分の方から手を出した事はなかったから、処罰される程の悪い事を仕出かしはしない。
石狩で魚取りをして暮らしている間にも、随分、長い間であったから色々な事がある。
漁場には至る所に内地を食い詰めて北海道へ渡った浮浪の徒がごろごろしていた。こういう先生達がアイヌ達の漁を終えて、給料を受け取ったばかりのところをつけ覗ってどしどし入ってくる。そして散々だまして巻き上げて行ったり、中にはひどい乱暴を働いて無理無体に掻っ払っていくものもたくさんあった。
こういうところが目に入ると、どうしても黙って見ていられないから、こんな先生達を何人に打ちのめして懲らしめておいたか知らない。
けれども、こんな話はただ自分の自慢をするようで嫌だから、こんな話はここに留めておく。
なおこの連載は河野本道編『アイヌ史資料集 第6巻 樺太編』(1980・北海道出版企画センター)に収録された『あいぬ物語』(1913・博文館)初版の復刻版を底本にしています。原文は大正時代の忠実な復刻で旧漢字旧仮名遣いであり、当サイトに掲載するにあたって、読者の皆さまの読みやすさを考慮して、旧漢字を新漢字にする、現代では用いられない漢字を平仮名にするなどの調整を行っています。なお『あいぬ物語』は青土社より新装版が出ています。