施設情報
【旭川】北鎮記念館訪問 展示の質・量に圧倒!
旭川市の「北鎮記念館」を見学しました。陸上自衛隊旭川駐屯地にある施設ですが駐屯地のゲートをくぐらず誰でも入館できます。施設の性格は陸上自衛隊旭川駐屯地の展示施設ですが、屯田兵と旧陸軍第七師団の歴史が中心となっています。その展示内容は質・量とも圧倒的。見どころの多い資料館ですが、北海道開拓倶楽部としての見どころを紹介します。

旧第七師団建物をイメージして平成19(2007)年に建てられました。記念館自体の開館は昭和37(1962)年で、この建物で3代目となります。
【1階展示ホール】
エントランスロビー

1階展示ホールです。中央ロビーは広々としていますが、周囲に図書コーナー、自衛隊コーナー、企画展示コーナーなどがあります。筆者の心を捉えたのが中央の展示ケース。
第七師団史

屯田兵から始まり第七師団へと続いた最強の師団の歴史を綴った書物。実は戦前は機密文書扱いで、終戦時に焼却命令が出ていたものを、当時の司令部に勤めていた黒川幸雄氏がこの歴史を後世に伝えようと決意し、油紙に包んで畑に埋め、終戦後に自宅に持ち帰ったものです。昭和37(1962)年になって陸上自衛隊第二師団に寄贈されました。
こうした経緯を背負った世界に1冊しかない書物ですが、北海道の歴史学者には見向きもされず、未だに活字化されていません。これは北海道にとって、いや日本にとって損失と言わざるをえません。北海道開拓倶楽部で活字化事業を手がけたいと思わされました。
【2階展示室】
北方の幕開け

1階ロビーから続く階段を登り、2階の展示室に入ると、最初に目に入るのがこの展示です。北から迫る欧米列強の脅威から日本を護ることが明治維新の目的であり、北海道開拓の目的出会ったことがよくわかります。
北海道開拓と屯田兵



屯田兵の制度や生活、北海道開拓に果たしてきた役割が豊富な実物資料によって豊かに紹介されています。
[山鼻屯田開墾の図]

明治14(1881)年、明治天皇が北海道巡幸をなされたおり、札幌の山鼻屯田を視察されたときの模様を描いたものです。模写ですが、原画は「明治天皇八大巡幸」の一枚で明治神宮宝物館にあります。明治天皇が北海道開拓に強い関心をお持ちだったことを示します。
「国見の図」

明治18年、岩村通俊が屯田兵本部長の永山武四郎と共に近文山に登り、上川盆地を遠望した模様です。まさにここから旭川の歴史は始まりました。詳しくは

[第七師団の創設]

桑原真人『北海道の歴史がわかる本』など、北海道史の本で屯田兵と第七師団のつながりを示したものは皆無と言っていいでしょう。しかし、第七師団は屯田兵の後継部隊であり、屯田兵が中核にあったからこそ、第七師団は最強の師団と呼ばれる存在となりました。この北鎮記念館ではそのことがわかりやすく展示されています。
右端の「旭」の書は西郷隆盛の弟で日本で最初に元帥の称号を受けた西郷従道の直筆。明治25(1892)年に旭川兵村を視察した際に書かれたものです。
[第七師団と日露戦争]


なぜ第七師団が最強の師団と呼ばれたのか? それは日本を欧米による植民地化の危機から救った日露戦争、なかでも勝敗を分けた二〇三高地の戦いと奉天決戦の主力となり、先勝を決定づける活躍を示したからです。その主力は第七師団に編入された屯田兵でした。

このことは北海道史の本で紹介されることはありません。意図的に隠されているとも言えます。しかし、ここに展示されている豊富な資料、第七師団を指揮した大迫師団長の奉答文の実物などを見るとき、私たちは誇らしい気持ちになります。

こちらは日露戦争の関ヶ原とも言える奉天会戦について紹介したコーナーです。ここで第七師団=屯田兵を主力とする第三軍が左翼から敵陣を突破し、ロシア兵を混乱に陥れたことが勝利につながりました。先頭の模様を伝える資料に加え、この勝利をいかに当時の日本が祝ったかを示す資料が豊富に展示されています。
なお写真中央下の刀はコサック騎兵の軍刀です。北鎮記念館は、このコサック騎兵の軍刀の寄贈を受けた当時の第二師団長が、今のうちに北方防衛資料の収集を始めなければ散逸してしまうとして資料館の設立を提案したものです。管内には、この呼びかけに応えて寄贈された多くの実物資料が展示されています。

左の掛け軸は、2代目第七師団長大迫尚敏中将に対して第三軍司令官・乃木希典将軍が直々に送ったもので、乃木大将の直筆です。大迫中将の曾孫さんから令和2年7月に北鎮記念館に寄贈された大変貴重なものです。

左下の扇は、乃木大将など日露戦争を指導した指揮官達の寄せ書きを扇にしたものです。日露戦争中に著名された者と考えられ、上の掛け軸が収められた木箱の中にありました。名だたる方々の直筆署名で、その歴史的価値は計り知れません。
[大正の第七師団]

シベリア出兵など大正時代の第七師団の活躍が紹介されています。
[第七師団と大東亜戦争]

過酷な戦いを強いられた太平洋戦争中の第七師団の動向が豊富な実物資料によって紹介されています。

なかでも「玉砕」という言葉が初めて使われたアッツ島の戦闘を描いた『アッツ島の玉砕』という絵画は見るものを圧倒します。この戦いで主力となって散ったのが第七師団から編制された 北海支隊でした。

これだけの内容で入場無料! しかも、現役自衛官のガイドしてくれます。旭川に来たならば、旭山動物園よりも北鎮記念館でしょう
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