北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

日露戦争勃発
日本軍の連勝を何よりも嬉しく感じた

樺太アイヌ移住民の一人、山邊安之助は樺太の故郷にもどって10年が経ちました。この間、日露の対立は激化し、明治37(1904)年2月、ついに日露戦争が始まりました。戦場と遠く離れた樺太にまだ戦火は及んできていないものの、少しづつ安之助の周囲にも戦争の影が忍び寄ってきます。
 

あいぬ物語 (13)

 
樺太アイヌ 山邊安之助著 
文学士 金田一京助編
 
 

五 湖畔の漁民

 

(四) 一諾

 
二年三年は夢のように過ぎた。私は何の為すところもなく、ただただ安らか湖畔の村に年を重ねた。二七歳の若さ盛の時に初めてこの里へ流転してきてから、もはや一〇年もこうしてこの湖水に漁をして暮らしていた。
 
明治三十六(一九〇三)年の秋も佐々木の番屋の人々は例年の通り漁を仕舞って湖畔の村から日本のない内地に引き揚げた。このあとに三人の越年者が番屋の見張りに泊まっている。番屋の人達や佐々木氏の持ち船などは、来年の四月、漁の始まるまでは来ないのである。
 
もっとも三月下旬には、人夫の人達が真っ先に大泊の定期戦でやってくる習いである。そのため番屋の倉庫には米が沢山に置いてある。いつも七百俵ほどあった。
 
その年も暮れて三七年の二月になると、日本とロシアと戦いを始めたという噂を聞いた。
 
すると越年番の三人も内地に引き上げることになり、米だの塩だの、その外いろいろな用具などをたくさん残して、私達一同へ宜しく頼むと言い遺して立った。
 
そして私には番屋を終始見回ってくれと言ってたから、野幌という所にある漁丁の元番屋に毎夜夜番をすることにした。
 
野幌の番屋は、我々の部落から一里も離れているし、ロシア人の強盗はなかなか猛々しいから夜番をしているにも随分楽ではなかった。どうにかすると越年番屋の窓から鉄砲を打ち込んでやつてきたりなどもする。夜更けて風の強く吹いてくるおりなど風の音で寝ることも出来ないような塩梅であった。
 
私達は誰も心はみな日本へ引かれているのであるが、身はロシアの国にいる。力に思う番屋の人たちは皆内地に帰ってしまった後であるから、心細いことといったらならない。
 
夜になって番屋へ寝に行っている間に、色々考えてみると 米だの塩だの野ごの木綿だの、諸道具だの、山程引き受けて夜番をしているが、もしかしたら強盗などが目をつけていぬともかぎるまいなぁと思ってみる。
 
私自身の所有物でもあったから、そんな奴等が来たら手に合うだけ、どんな事でもしても、まかり間違っても死んだってかまうことはない。そう考えると本当に夜の目も禄に眠れなくなる。あまり変なイヤな晩には英吉などを連れて行って二人で泊まった。
 
 
そうやってまあいたが、すると村のほうにいる人達が私を案じだした。もしも悪党どもでも押し掛けてきた日には人死を出すようなことになるんだから、 危ういから止めた方が良いと言ってくれる。それも本当にそうだと思うけれど、今までお陰で我々が健康に暮らしていれたその主人の所有物である。たとえ頼まれなくともしなければならないのだ。まして口づから私に言っていかれたもの。今更よすことは私にはできない。
 
ともかくも出来うるだけのことを私はするから、そう考えたから、村の人たちはそう言っておいた。
 
「まあまあ幸い犬がいるから。犬の声がしたらどのようにも。隠れるなり、逃げるなりしようから、そうしたらそんな恐ろしいようなこともなかろうよ」と言って、毎晩夜になると夜番に行っていた。神様のおかげでその春までは何の変事もなく過ぎた。
 

(五)再会

 
幸いにしてその春まで何事もなくすぎてきた。
春が来るとイトウという魚が真っ先に川へ登ってくる。そこで私たちはその魚を取るためにトーキタイの川やキムナイなの川の方へ、湖水を渡って出かけた。
 
そしてもう魚を捕ろうとして仕掛けを仕終わり、いざ此から取りにかかるという所へ、英吉らが浜から迎えにやってきた。どうしてきたのかしらと思ったら、佐々木氏の帆船が着いたからアイヌ一同一足早く戻ってきてくれというものであった。
 
番屋の人たちが来た! と聞くや久しぶりであり、嬉しくて嬉しくて取るものも取りあえず、浜から下ってきた。そして話を聞くと言うと―――。
 
佐々木氏の番船船頭の香川という人と船頭親分の相原岩五郎という人と二人で人夫を連れて東察加の方へ漁に行く途中寄ったのだと言う。佐々木氏は召集されて戦場へ行っていると言う。そして、佐々木氏の実弟の佐藤平吉氏が函館にいて「アイヌの人たちはどうしているだろう。我々がいなくなった後で、みんなが米など欠乏して困っているだろう」と心配して「米を冨内村へ持っていってやれ」と言うから持って寄ったところだという。
 
そして帆船から米を六〇俵ばかり陸に揚げた。私達はその時、番屋の人たちの親切に、遠い所もかまわず、こうして食料を送ってくれたのを何よりも有りがたく思った。
 
内地の方の様子も、ずいぶん久しく聞かなかったから、聞きたい聞きたいと思っていたところ、今、日本軍が連勝していると聞いて、何よりも嬉しく感じた。
 
そして番屋の倉庫にある塩だの木綿だの、残しているものをその所に置くというと、ロシア人どもがやってきて、奪っていくと悪いから、持っていってくださいといって帆船へ積んでやり、「なお外に網だのあるけれど、それは春の雪が消える前にアイヌ部落の方へ運んでいって倉を建ててその中に保管しておこう。もしもロシア人に聞かれたら『これは日本人の品ではない。我々アイヌが魚代にもらったものだ」と 偽れば持っていきますまいから」と話す。
 
相原氏はではよろしく保管しておいてくれと言って、すぐさま帆船に乗って立ち去った。こうして久しぶりに会った人たちとちょっと会って、またすぐに別れてしまった。
 

 
 

 

なおこの連載は河野本道編『アイヌ史資料集 第6巻 樺太編』(1980・北海道出版企画センター)に収録された『あいぬ物語』(1913・博文館)初版の復刻版を底本にしています。原文は大正時代の忠実な復刻で旧漢字旧仮名遣いであり、当サイトに掲載するにあたって、読者の皆さまの読みやすさを考慮して、旧漢字を新漢字にする、現代では用いられない漢字を平仮名にするなどの調整を行っています。なお『あいぬ物語』は青土社より新装版が出ています。

 

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