北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

詮索を受けるコタン

今に見ていろ! 日本の軍艦がドシドシやってくるから!

 
明治37(1904)年2月9日、日露戦争が始まります。当時、山邊安之助が暮らしていた樺太はロシア領となっていました。戦争が始まっていましたが、樺太には戦火は及んでいませんでした。そんなときかねてから山邊たち樺太アイヌと交流していた日本船がロシアの目を盗んでやってきました。今回は『あいぬ物語』は日本人が帰った後の村のようすです。

 
ここで当時の状況を簡単に整理しましょう。日清戦争によって邪悪体化があらわになった清国は欧米列強の植民地支配にさらされます。これに反発して明治33(1900)年に義和団事件が起こりますが、欧米列強は共同で出兵して鎮圧を図りました。これが北清事変です。このとき、ロシアは満州に出兵し、事変終了後も派遣を続けました。
 
当時、中国市場で有利な立場を占めていたイギリスは、ロシアを警戒し、明治35(1902)年日英同盟を結びます。国際社会の圧力でロシアは満州から撤退する表明しましたが、なかなか実行に移さず、かえって兵力を増強し、朝鮮半島すら伺う様子を見ました。
 
日本は、ロシアの満洲における優先的立場を認める代わりに、朝鮮半島における日本の優越を認めさせることによって妥協を図ろうとしましたが、ロシアは拒絶。交渉は決裂し、明治37(1904)年2月9日、両国は仁川及び旅順港で戦いの火蓋を切ります。
 
旅順をめぐって両軍の激戦が続き、日本は明治38(1905)年1月までに膨大な犠牲を払って旅順を落とします。その勢いをかって奉天での大会戦に臨み、3月10日までに奉天を占拠しました。
 
ロシアでは後にロシア革命につながる国内の混乱が激しさを増し、すぐに反撃に移れません。日本も日本は兵力、弾薬が欠乏し、それ以上の追撃は難しくなりました。こうして戦局は膠着状態を迎えます。
 
今回の『あいぬ物語』はこの頃、ロシア支配下にあった南樺太の様子を伝えるものです。
 

あいぬ物語 (14)

 
樺太アイヌ 山邊安之助著 
文学士 金田一京助編
 
 

五 湖畔の漁民

 

(六) 奇禍

 
それから3日ほど経って、露西亜の兵隊が海岸巡りの為やってきた。その頃、大泊から1週間に1度ずつ巡回する様になっていたから。
 
見回りの兵隊たちが、砂浜の上に、人の足跡のたくさんあるのを見付けて怪しんでだんだん厳しく詮索し出した。私達は何も知らないと言った。近い頃に日本の艦でも来たのではないかと言う。
 
私達は女達にうまく言い抜けるように言い含めておいたから、そこで「女達が知っているかもしれない。私達はイトーを獲るために皆山手の方へ出かけていた時分のことだから、何も知らない」と言って、女たちの方へかこつけてやった。
 
露西亜人たちは、女達を詮索しはじめた。船が着きはしなかったかという。女達の言うには
 
「今時分は、男たちは浜辺にジッとして暮らしているようなものはない。皆、イトーだの熊などを取りに、1里も2里も遠く山の方へ行っているんだから、浜の方に何が起こっても何も知らずにいるんだ。また、私達のようなものは女だから、歩こともせずにただ家の中でばっかり仕事をしているもんだから、浜に何があるんだか知らずにいる」と答えた。
 
露西亜人の言うには「お前たちはそう言うけれど、砂浜には人の足跡がたくさんある。どうしても船が来たに違いない。日本人が密猟にでも来たのじゃないか? 浜に上がって何か持っていったのではないか? 知らぬと言い張って知っていることを隠すと、後でわかった時、アイヌ皆殺しにしてしまうぞ」と言って威嚇した。
 
女達もただただ知らぬ知らぬとばっかり言っていては悪いと思ったから、こう言った。
 
「私達は決して何も隠すものではない。本当に何も知らないのだ。けれどもある日の朝、海の方を見たら愛郎の沖に帆船の帆のようなものを見たことがある。船の帆のようなものであったから、おおかた夜の間にでも船を揚げて何か持っていったのかもしれないけれど、どうだかわからない」と言う。
 
露西亜人は
 
「じゃあよろしい。では船は確かにお前たち見たな! 人を見なかったか?」と尋ねる。

「人は見なかった」と女たちが答えた。
 
おかげで、露西亜人ら、ごまかされて何もそれっきり事なくして済んだ。
 

(七)消息

 
戦いになってから大分月日が経った。
 
******
 
私達という者は新聞というものも見ないし、日本人と名のつくものは一人として見る事がなくなったから、戦争の様子などは、ちょっとでも聞くことがない。
 
よもや負けてはいないと思うものの、どういうものか心にかかって忘れる暇もない。露西亜の人に尋ねるのもイヤだけれど、思い余って時々聞いてみると高慢ちきに自分の方ばっかり勝っているようなことのみを言う。
 
「日本のほうはすっかり敗北して、全く弱り切っているそうだ」
 
「軍艦など皆沈没してしまったそうで、露西亜の軍艦はあの湖水に浮かんでいる鴨群のように海一面とことごとく露西亜の軍艦ばかりになっているそうだ」などと言っている。
 
私達は残念で残念で堪らないけれども、いやいや「本当だろう」と答えていたが、心の中では悔しくて泣いた。が、何もすることもできない。
 
また、ある時は心の中で「何だ? 露西亜の本国からもう大分長く船も来ないので、商店には商品が皆品切れになっているじゃないか? それでもまだ船も来ようともしない。砂糖でも麦粉でも、茶でも切れてしまっている。煙草さえもない。これを見るというと(心の中で思うに)、どれほど大きな事口で言っても、こういうものの切れているのに船も来ないのでは、どうも日本のために恐ろしく打ち負かされて、それで船も来ないのじゃないかしら」とも考えた。
 
この前の支那というあの大国と戦争した時だって、あれほど大きな国で人数も多い国、軍艦もたくさんありはしたが、やっぱり負けてしまったもの! 今までだって、やっぱり、そんなようなものかもしれない。今に見ていろ! 日本の軍艦や、日本の軍艦がきっとどしどしやってくるから!
 
そう思って、今日見えるか、明日見えるかと待ち受け、もっぱら待っていた。
 
 

 
 

 

なおこの連載は河野本道編『アイヌ史資料集 第6巻 樺太編』(1980・北海道出版企画センター)に収録された『あいぬ物語』(1913・博文館)初版の復刻版を底本にしています。原文は大正時代の忠実な復刻で旧漢字旧仮名遣いであり、当サイトに掲載するにあたって、読者の皆さまの読みやすさを考慮して、旧漢字を新漢字にする、現代では用いられない漢字を平仮名にするなどの調整を行っています。なお『あいぬ物語』は青土社より新装版が出ています。

 

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