[栗山町]泉麟太郎邸 (明治31年建造)

北海道開拓倶楽部選定「北海道開拓遺産」の第1回は栗山町角田に残る泉麟太郎の屋敷です。泉の出身である宮城県角田の武家屋敷の様式を伝える貴重なものです。建設は明治31年、麟太郎の角田入植のちょうど10年後です。当時北海道初の造田事業の最中で、事業への理解を得るために要人を現地に案内していました。この立派な邸宅はそうした視察者を迎える迎賓館としても活用されました。現在も残るのは鱗太郎のご子孫が昭和50年代まで住宅として使われていたためです。泉家は今も栗山町に残っています。そして屋敷は町に寄贈され「泉記念館」として公開されています。歴史的な経緯、建物としての価値、保存状態どれをとっても一級です。









■泉記念館


建設費は金98円50銭、佐々木徳松(大工)、木挽は吉田松五郎(由仁)、太田平三郎、時田保蔵、佐藤祐治、角材、整地、くい打ち・丸太ぴき等は坂巻菊次郎・笠井喜作、小山吉五郎、高野伊三郎、金物は札幌の富沢商店と伝えらています。建てられた場所にそのまま現存しています。
【居間】
天井まで吹き抜けとなっています。巨木をふんだんに使った梁組が見どころです。


【鶴の間】
床の間には麟太郎夫妻の肖像、掛け軸がそのままに遺されています。


【扇の間】
見どころは鱗太郎の手による「家訓」です。北海道開拓精神とは何かを教わります。クリックすると拡大しますのでぜひお読みください。

【奥座敷】
鱗太郎に関わる資料が展示されています。ここの窓は上下に開く洋式で、窓から見えるのは、明治33年に角田神社に建てられた敷地内に移設された泉鱗太郎記念碑です。


【玄関横の小部屋】
この場所で鱗太郎は北海道で初めての造田事業に対して思索を巡らしたのでしょうか


■栗山町開拓記念館
泉記念館に隣接して栗山町開基百年を記念し昭和63(1988)年に建てられた「栗山町開拓記念館」があります。開拓時代の生活用品や農業用具など100点以上が展示されています。



■周辺案内
角田は鱗太郎率いる入植団が最初に開拓の鍬を下ろした場所で、国鉄駅が栗山にでき経済の中心が移るまでまちの中心でした。麟太郎の住宅に並ぶように神社仏閣が並び、寺社町の風情を漂わせています。明治の開拓を偲びながら散策するのに楽しい場所です。
【方田寺】
泉邸と並んで立つ浄土宗の寺院。創立者の周田順信は山口県出身の開拓開教師で、札幌農学校を卒業後、道庁で吏員を行っていましたが、浄土宗の情熱から出家し明治25(1892)年にこの寺を建てました。泉鱗太郎のよき相談相手、協力者として村政に活躍しました。泉の村葬もここで行われています。境内には明治31(1898)年に83名の犠牲者を出した夕張川氾濫の慰霊碑があります。


【開拓記念公園】
明治21(1888)年、泉鱗太郎率いる先遣隊が夕張川を渡り最初の一歩を記したところです。後養護老人ホームが建てられましたが、平成3(1991)年移転したのを機に開拓記念公園が設けられました。園内には多くの彫刻があります。

角田開拓を見守り続けてきた村社。明治24年の創建で、天照大神、大国主命、少彦名神を祀る。明治42年に高木兼廣と福井正之の寄進により現在地に造営されました。

【角田渡船場跡】
明治21(1888)年5月、室蘭を出発した泉鱗太郎一行は雪解け水を湛えた夕張川に行く手を遮られますが、千歳のアイヌ・テッピリア(下夕張鉄五郎)によって助けられ、対岸に渡ることができました。テッピリアはその後、明治42(1909)年に夕張橋ができるまで夕張川の船渡しとして開拓者を助けます。上写真の「角田渡船場跡」の掲示板は角田神社のそばにあるものですが、下写真の「夕張橋」から見る方が当時の雰囲気をつかむことができるでしょう。


【データ】
栗山町開拓記念館・泉記念館
所在地:角田60番地4(JR栗山駅より車で約10分)
期 間:通年(月曜日、祝日の翌日、年末年始休館)
時 間:10:00~16:00
入館料:小・中学生 50円/高校生・一般 100円
問合せ:電話 0123-72-6035
