北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

関矢孫左衛門と北越植民社(1)
野幌の森を守ったのは誰か
記念塔をより理解するために背景にある野幌森林公園の歴史を振り返ります。この森は誰が守ったのでしょうか? その理由を追いかけると関谷孫左衛門という開拓者が現れてきます。
本文はこちらから

 

関矢孫左衛門と北越植民社(2)
大橋一蔵 北越殖民社の創設 
野幌の森を守る原動力となった関矢孫左衛門は北越殖民社のリーダーです。しかし、北越殖民社を創設したのは彼ではありません。明治の儒学者・大橋一蔵です。どんな人物だったのでしょうか?
本文はこちらから

 

関矢孫左衛門と北越植民社(3)
北越殖民社の入植と大橋一蔵の死 
明治20年、さまざまな困難を乗りこえ、大橋一蔵による北越殖民社は江別太に農場を拓きました。入植地は「越後村」と呼ばれます。さぁこれからというとき、一蔵は不慮の事故で命を落とすのです
本文はこちらから

 

関矢孫左衛門と北越植民社(4)
尊皇の志士・関矢孫左衛門、幕末を走り抜く
明治22(1889)年2月、野幌開拓のために奔走していた北越植民社の社長・大橋一蔵は帰らぬ人となります。残された人びとは魚沼の大庄屋・関矢孫左衛門に後継者になるよう懇願します。
本文はこちらから

 

関矢孫左衛門と北越植民社(5)
明治天皇の忠臣・関矢孫左衛門、大橋一蔵と出会う
新潟魚沼の大庄屋・関矢孫左衛門は、西南戦争が起こると義勇軍を組織して賊軍と戦おうとします。戻っては現在の北越銀行と明訓校を創設します。こうした活動のなかで大橋一蔵と出会うのです。
本文はこちらから

 

関矢孫左衛門と北越植民社(6)
関矢孫左衛門、北海道開拓に立つ
明訓校の校長に就任した大橋一蔵でしたが、北海道開拓への夢を絶ちがたく、跡を関矢孫左衛門に託して北越植民社を立ち上げ、野幌開拓に献身します。そして不慮の死。孫左衛門は、すべての職を投げ打って北海道開拓に従事することを決断しました。
本文はこちらから

 

関矢孫左衛門と北越植民社(7)
関矢孫左衛門、野幌に死す
戊辰戦争と西南戦争、幕末維新の動乱を駆け抜けた関矢孫左衛門は、盟友大橋一蔵の死を受けて、野幌開拓の先頭に立ちます。しかし、そこには数々の試練が待ち受けていたのでした。
本文はこちらから

 

関矢孫左衛門と北越植民社(8)
かくして野幌の森は守られた
北海道百年塔の立つ、世界に冠たる野幌の大原生林はどのように守られたのか──。そこには、関矢孫左衛門、和田郁次郎、幕末維新を戦い抜いた開拓者の執念と勇気がありました。
本文はこちらから

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 当サイトの情報は北海道開拓史から「気づき」「話題」を提供するものであって、学術的史実を提示するものではありません。情報の正確性及び完全性を保証するものではなく、当サイトの情報により発生したあらゆる損害に関して一切の責任を負いません。また当サイトに掲載する内容の全部又は一部を告知なしに変更する場合があります。