北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

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第1回 
プロローグ─水稲壊滅
美しいオホーツク北網地域も、昭和のはじめには農業に不向きな土地として半ば見捨てられようとしていました。そこに関口峯二という一人の開拓者があらわれて、畑作三品と酪農畜産による有畜循環農業の可能性を示し、今日のオホーツク農業の基盤を築きました。
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第2回 
デンマークモデルで北海道を救え
大正2年に記録的な冷害を受けると、北海道農業は存亡の縁に立たされた。このとき、二人の民間人が起ち上がり、地力を活かした持続可能な農業である「北方農業」という新たなモデルを提起し、北海道農業を救った。
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第3回 
北海道にデンマーク・ドイツの農家がやってきた
デンマーク農法こそ危機に瀕した北海道農業を救う道と確信した宇都宮と黒澤酉蔵。第16代デンマーク農法の優位性を説いて宮尾長官を仲間に引きずり込んだ。そして、黒澤は日本の農政史上空前絶後の提案をする
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第4回 
関口峯二 遠軽「北海道家庭学校農場」に入植する
ヨーロッパから来た4組の農家は北方農業の可能性を示しました。これが気候や土質の違う土地で可能か。実際に営農してみる経営試験が始まりました。オホーツクで試験を任されることになったのは群馬出身の関口峯二でした.
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第5回 
上湧別富美 峯二 夢を叶える
白滝の密林からできた峯二は、知人に勧められるまま、北海道農事試験場北見支場に向かった。支場場長の渡辺侃との出会い。4年の修業期間が終わり、独立した開拓農民として峯二は上湧別富美原野に入植。峯二、聖クララを得る
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第6回 
富美原野の開拓 始まる
大正10年春、渡辺支場長の仲人で結婚式を挙げた峯二夫妻は、すぐに上湧別富美に入植した。待っていたのは、生涯の友となる本多政雄であった。新郎にとっては大望の開拓生活だが、新婦とっては必ずしも望んだ生活ではなかった。
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第7回 
渡辺侃博士 経営試験を要請する
昭和4年、峯二の上湧別冨美開拓の8年目、峯二は再び渡辺侃の来訪を受けた。オホーツク地域での北方農業の経営実証試験、その場長を依頼するためである。
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第8回 
北方農業の夢──牛馬100万頭増殖計画
昭和4年突然上湧別の関口峯二を訪ねた北海道帝国大学助教授の渡辺侃。上斜里に設けた経営試験場への移転を強く求めました。経営試験場とは何か? なぜ上斜里だったのか? 渡辺博士の立場から紹介します。
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第9回 
オホーツク畑作三品農業の生誕
オホーツクの麦、甜菜、馬鈴薯による畑作三品の輪作体系は、昭和8年から10年にかけて、上斜里西15線14号=現在の清里町向陽で、上斜里経営試験場の関口峯二場長の試行錯誤によって生み出され、全オホーツクに広がりました。
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