北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

【旭川・比布】 上川盆地の水稲耕作の発達 ①
始まりは中山久蔵 赤毛種
麻生太郎副総裁が「温暖化のおかげで北海道の米がうまくなった」と発言して、道内農業者の反感を買いました。「苦労しながら栽培を続けてきた先人たちの努力」を私たちは詳しくは知りません。そこで『比布町史』をテキストに寒地稲作の歴史を学びます。
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【旭川・比布】 上川盆地の水稲耕作の発達 ②
屯田兵・末武安次郎 タコアシを発明する
中山久蔵の「赤毛種」を得て上川盆地での稲作の可能性が開けます。いくつかの試行のあと、上川農事試験場が本格的な稲作試験を開始します。このとき生まれた「タコアシ」と呼ばれる種まき器が北海道の稲作を飛躍的に発展させました。
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【旭川・比布】 上川盆地の水稲耕作の発達 ③
上川に生まれた「坊主」が北海道を米どころにした
渡島半島以北で稲作の可能性を開いたのは北広島島牧の中山久蔵が生み出した「赤毛」ですが、この赤毛はどのようにして現在につながるのでしょうか。「赤毛」は上川盆地に渡り「坊主」という品種に改良されて北海道の米の基盤となります。
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【旭川・比布】 上川盆地の水稲耕作の発達 ④
「交雑育種法」という革命
大正4(1915)年、札幌琴似の北海道農事試験場本場が導入した「交雑育種法」は稲作の品種改良に革命をもたらしました。これにより「坊主」は「走坊主」に改良され、稲作の北方限界をさらに北へと押し上げます。そして上川は北海道稲作のセンターとなりました
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【旭川・比布】 上川盆地の水稲耕作の発達 ⑤
「道産米百万石」と「客土」の始め
南アジアの亜熱帯地方を原産とする米は、農業者、農業研究者の弛まない努力によってついに北緯43度、上川盆地に広がりました。しかし、自然は甘くなく、大正2年に厳しい試練を農民に与えました。
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【旭川・比布】 上川盆地の水稲耕作の発達 ⑥
大冷害から北海道の米づくりを救った「温冷床栽培」
中山久蔵が生み出した「赤毛」はどのように現代の北海道米につながっていったのかを『比布町史』から学ぶシリーズの最終回です。「赤毛」は上川で改良されて大きく飛躍しますが、昭和初年の連続大冷害が寒地稲作の夢を打ち砕きます。それを救ったのは和寒ではじまった「温冷床栽培」でした。
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