北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

北海道の名づけ親は松浦武四郎なのか? ① 
蝦夷地道名之儀勘弁申上候書
7月17日は「北海道みんなの日」となっており、明治2年7月17日に松浦武四郎が蝦夷地の新名称を明治政府に提案したことが、この日の由来です。一方、蝦夷地が北海道と改められ、正式に政府から告知されたのは同年8月15日です。8月15日を押しのけるほど、7月17日は決定的だったのでしょうか。そもそも本当に松浦武四郎が名付け親なのでしょうか? 検証してみます。
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北海道の名づけ親は松浦武四郎なのか? ② 
名付け親になりたくなかった武四郎
「北海道」とは、明治2年7月17日に松浦武四郎が提案した「北加伊道」の「加伊」を「海」に替えたもの。ゆえに松浦武四郎が北海道も命名者である――と信じられてきました。このことは、まったく事実でないばかりか、武四郎は命名者になることを避けようとしていた可能性すら浮上しました。
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北海道の名づけ親は松浦武四郎なのか? ③ 
徳川斉昭と北方未来考
前回、松浦武四郎が北海道の名付け親になったという7月17日を記念した「道民みんなの日」に向け、松浦が名付け親なのかを検証しましたが、無理があるとの結論でした。松浦に替わって北海道の名付け親とされるのは幕末の名君・徳川斉昭です。なぜ斉昭は北海道の名付け親と言われるのでしょうか?
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北海道の名づけ親は松浦武四郎なのか? ④ 
五畿八道としての北海道
北海道という名称の考案者が、松浦武四郎でも、徳川斉昭でもないとすると、どこから来た名称なのでしょうか? その答えは1300前の律令時代に溯ります。「五機七道」という古来の地方制度を知ると、北海道という名称が大化の時代から蝦夷地に付けられる運命だったことがわかります。
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北海道の名づけ親は松浦武四郎なのか? ⑤ 
北海道の名付け親は明治天皇である
「北海道」の由来は律令時代に導入された地方制度である「五畿七道」です。しかし、これを蝦夷地の新名称に選定するには課題がありました。蝦夷地が樺太を含んだ名称であるため、新名称は樺太の領有問題とも大きく関わるのです。そうしたなかで「北海道」が選ばれた意味とは―――。
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