北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

[江別]   樺太アイヌの移住(1)
日本か ロシアか
明治8年、樺太千島交換条約によってロシア領となった樺太に住むアイヌが北海道に移住したことは「樺太アイヌ強制移住事件」として知られています。本当に何があったのか? 昭和45年『江別市史』から「樺太アイヌの移住」をお届けします。
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[江別] 樺太アイヌの移住(2)
対雁樺太アイヌ部落 至れり尽くせりの厚遇
今、江別では強制移住の犠牲になった樺太アイヌ移民の悲劇を語り継ぐ慰霊祭が行われています。明治開拓の殉難者として語られる彼らは、この江別対雁でどのような処遇を受けたのでしょうか。私の歴史観が180度変わるくらいの衝撃を受けました。まさか開拓使は樺太アイヌに対してここまでとは……
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[江別] 樺太アイヌの移住(3)
何もかもみな嬉しかった
今回は2つの資料を紹介します。一つは明治8年『開拓使調書』。アイヌ移住事業の予算書です。もう一つは樺太アイヌ移民の一人である山辺安之助氏の手記です。この移住事業に対してはさまざまな本や論評がありますが(全てと言っていいほど批判的ですが)、本当はどうだったのか──当事者の声に耳を傾けましょう。
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[江別] 樺太アイヌの移住(4)
微力をつくして移民と共に勉励仕度誠心に御座候
開拓使が樺太アイヌの対雁移住事業に費やした経費は現在のお金で53億円にものぼります。明治初期、どの和人よりも恵まれた待遇を受けたのが彼らでした。そして開拓使の廃止。北海道3県時代。樺太アイヌ移民は今度こそ独立しなければなりませんでした。そうしたとき、アイヌは開拓使の担当官上野正に助けを請うのです。
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[江別] 樺太アイヌの移住(5)
樺太アイヌ移民300人の命を奪ったのは誰か?
「樺太アイヌ強制移住」は明治政府によるアイヌ同化政策の最大の悲劇として語られています。それは、伝染病で300人ものアイヌ移民が命を落としたことから来るものです。強制移住がなければアイヌは命を落とさなかった──。それは本当のことでしょうか?
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[江別]樺太アイヌの移住(6)
ネガティブだけを抽出する歴史観から共生社会は生まれない
明治開拓期におけるアイヌ受難の代表的事件として語られる「樺太アイヌ強制移民事件」を検証するシリーズの最終回です。明治19年と20年と連続して発生した疫病で多くのアイヌ移民が命を落としました。その後、アイヌ移民はどうなったのでしょうか? 道はどのように対応したのでしょうか?
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