北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

[旭川・永山] 永山屯田兵 乾咲次郎 日露戦争従軍手記(上)
第七師団=屯田兵は日露戦争をどう戦ったのか
旭川の『永山町史』に、日露戦争に従軍した永山屯田兵の手記が掲載されていましたのでお届けします。前編と後編に分かれます。前編は第7師団ができた経緯と日露戦争での行動、そして永山屯田兵の従軍活動の概観を述べたものです。後編で「手記」をお届けします。
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[旭川・永山] 永山屯田兵 乾咲次郎 日露戦争従軍手記(中)
二〇三高地の戦いから奉天決戦に向かうまで
『永山町史』掲載の永山屯田兵・乾咲次郎氏の「日露戦争従軍日誌」です。今回は乾氏に召集令状が下され、「二〇三高地」の戦いに参戦し、天下分け目の決戦となった「奉天会戦」に向かうまでをご紹介します。
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[旭川・永山] 永山屯田兵 乾咲次郎 日露戦争従軍手記(下)
奉天会戦の激戦 銃弾貫通
明治38年2月、二〇三高地の戦いを制し、旅順を落とした日本軍はロシアとの最終決戦の地、奉天へと進軍します。永山屯田の乾咲次郎もその中に。そして第3軍の主力としてもっとも激戦の中でもさらに激しい戦いが行われた左翼軍の中で戦場を戦い抜きます。
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[上湧別] 日露戦争 留守兵村の証言
お百度りをして武運長久を祈ったりしていました
屯田兵はその性格上、一度召集がかかれば戸主全員が一挙に兵村を離れてしまう。こうしたことは日本の歴史の中でも屯田兵だけではないかと思います。
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[滝川市・江別乙]屯田兵、日露戦争二〇三高地の激戦を戦う
乃木大将率いる包囲軍として二〇三高地の戦闘に参加したのである
明治37(1904)年、日本を植民地化の危機から救った日露戦争で屯田兵は第7師団に招集され、乃木希典指揮する第3軍の主力として、戦勝を決定づける英雄的な活躍を見せました。
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[札幌市・新琴似]屯田兵とコサック
屯田兵、コサック騎兵に包囲される
新琴似と篠路(北区屯田町の開基)屯田は出征し、二〇三高地の激戦、奉天の決戦も戦っています。中には屯田兵のモデルであるロシアのコサック部隊と戦うという場面もあったようです。
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