北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

北海道の原型をつくった男・泉麟太郎

北海道に生まれ育った私たちは、時として私たちの歴史の中に織田信長のような、豊臣秀吉のような英雄豪傑がいないことを寂しく思うことがあります。しかし、織田信長いなくても北海道には泉鱗太郎がいます。戊辰戦争を戦い、室蘭の礎をつくり、47歳で角田村(栗山町)を拓き、本道初の造田事業を成功させて、産業としての北海道米農業を築いた業績、その88年の生涯に乗り越えた困難、残した功績は戦国の英雄に決して引けを取りません。私たちの歴史に泉鱗太郎がいることは道民の誇りです。
 
 

[栗山]泉 鱗太郎(1) 
室蘭を兄に譲り栗山を目指す
戊辰戦争で敗れた仙台支藩・角田石川氏は今の室蘭市に移住しました。開拓を指揮したのが家老の添田龍吉と実の弟である泉麟太郎です。屯田兵の入地により室蘭が手狭になると、麟太郎は室蘭を譲り、開拓団を率いて栗山に入りました。2度目の原野開拓が始まります。
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[栗山]泉 鱗太郎(2) 
夕張開墾起業組合 開拓の鍬を下ろす
明治21(1888)年5月、泉鱗太郎率いる夕張開墾起業組合による栗山開拓が始まりました。野鳥、蛇、そして蟻……、夕張川に阻まれた未踏の大森林だけにその開墾は苦労の連続でした。入植1年目の冬に先遣隊は離散の寸前まで追い込まれます。
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[栗山]泉 鱗太郎(3) 
麟太郎太郎、空知米作の開祖となる
兄添田龍吉とともに室蘭を開き、ついで馬追原野東部の開祖となった泉鱗太郎。しかし、その功績はこれで終わるのではありません。現在、日本を代表する水田地帯となっている空知平野の米作を類い希なる行動力で切り拓いたのが実は麟太郎なのです。泉鱗太郎シリーズの後半は、麟太郎による空知平野稲作農業の創造物語をお届けします。
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[栗山]泉 鱗太郎(4) 
麟太郎、日本勧業銀行を動かす
北海道で初めての造田事業を開始した泉鱗太郎。民間の力を集めて事業を進めますが、早々に資金難の壁に当たりました。ちょうど明治30(1897)年、産業資金を供給すべく日本勧業銀行が創設されます。鱗太郎はここから資金を調達すべく上京します。
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[栗山]泉 鱗太郎(5) 
麟太郎 産業としての北海道米農業を拓く
麟太郎が立ち上げた造田事業は空知を豊かな米どころに蘇らせました。官に頼らない造田事業の資金難は「北海道土功組合法」制定の背景となります。寒地稲作の可能性を開いたのは中山久蔵ですが、産業としての北海道米農業を開いたのは泉麟太郎でした。
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室蘭の開祖・兄添田龍吉

[室蘭] 添田 龍吉 (上) 仙台支藩筆頭の角田石川氏は室蘭に移住
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[室蘭] 添田 龍吉 (中) 動こうとしない角田旧藩主、取り上げられる室蘭支配
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[室蘭] 添田 龍吉 (下) 添田龍吉と泉麟太郎、2人の兄弟愛と強い指導力
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