北村 雄治
『北海道移住者の参考に供すべき見聞私言 ー 緒言ー』
明治26年
北村雄治は、移住選定のため、明治25年に半年に渡って道内を踏査、さらに翌26年には3回に渡って道内を各地を巡っています。明治26年、地元「山梨日日新聞」6pに渡って、調査報告を発表しました。『北村史』(1985)にその「緒言」が掲載されています。貴重なアーカイブとして紹介します。
私は本年(明治二十六年)五月下旬に北垣北海道長官と共に北海道に渡った。それから一○○余日間、北海道を回りいろいろな調査をし、十分視察して、三五○町歩の土地を貸下げて貰い、移住開墾の計画を断行したのである。
本年はいろいろと準備をし、来年の春早々に移すこととするが、私が今北海道に関するいろいろな調査の結果を公表するのは私の義務であると考えているし、それのみでなく、しかしその意見を聞こうとする人があればその労をいとわず、また、移住開墾の希望者で、土地選定や貸下げの手続きを受けたいと思うものがあれば、道庁主任官及び実際家の私にのでき得る限りの便を惜しまない。
今まで世間に出ている北海道に関するいろいろな本は、たいてい古い統計によっているものであり、また机上で想像を加えたような大雑把なものが多い。私の書いたものは目下の現状であり、実際のものであり、直接にその主任者の意見をきき、また老練な実業家の意見を聞いて集めたもので、いささかの勝手な私見も交えていないものである。読者はこの内容が古い本などと合わない所もあっても、それ故に非離してはいけない(略)
むかしから、わが北海道は一般普通の人には見すてられてきたし、われわれもまた蝦夷島という名を聞いて無知野蛮の人たちと熊けものなどの生息する一大島であると考えて、利益などという気持ちは夢にも特たなかったものである。国防上から捨てておかれないということは、たまには聞いたことがあるが、移住開拓上の利益などということは信じられなかった。
今日でも世の中の人の多くは、蝦夷の地は良民の住むべき処とは考えていないように思う。人は実に感情の動物であり、また先入感が強く働くのが普通で、大したことでもないものにでも異常な気持ちを持つこともある。有害の蛇蝗はそれほど恐れないで、なんの害もない毛虫をことのほか恐れ嫌う人もあるが、これは人の感怖の動きと先入感のなせることであろう。
北海道はちょうど世の人のいわゆる毛虫の地位にあたるのであろう。何故なら蝦夷と名をきいただけでその風土がどのようなものか、また利害の有無はかつて聞いたこともないのに、いちがいに野蛮野獣の巣窟と早合点し、これが先入感になっていろいろと利害の説を聞くととがあっても耳に入らないのであろう。
さて、その毛虫同様に嫌われたこの北海道は実際果してどのようなものか、ここにその実際の見たところを述べようと思う。
□(原文ママ)和の明玉も久しく石として見捨てられていたが、玉はやはり玉である。十五城の価値を現した。私はいま北海道は日本の府庫(貨財器物を入れる倉)であるという、いい方が偽わりでないとを断言するものである。蛮民猛獣の巣窟と考えたのは誤りであることはいうまでもないが、単に石と見られていたのはの二つとない玉であったのに驚くのである。
土地の肥えていること、水産の豊富なことは、われわれの想像も及ばない所である。茫々たる広原の草は天にとどかんばかり、うっそうたる樹林は空高く他を圧するの勢いであり、水の清冽で草花の香り豊かに咲き乱れている。
その気候温和なことは、どんな気持ちになろうとも、この産物豊かな地を毛虫として省りみないのは国家のため悲しむべきことである。今こそ多くの人がすぐれた王であることを認め、美光の一点として発揮すべき時である。
このようにいえば読者は私の言葉を誇大と疑うだろう。しかし私はなぜ石を玉といって人をあざむく必要があるだろうか。私の言ってきたきたことを偽りでないことを明らかにするため、北海道における今日の実際について、以下の各頂についてほんとうの状況をのべてみるが、読者はその結果に注目し、考える所があるならばかえって、私のいい足りなかった所があるのを発見するだろう。
【出典】
『北村史 上』1985・北村役場・256-257p