熊と開拓 (下)
昭和37年──森の最終決戦
熊と開拓の物語──その下は、サイト管理人が平成13(2001)年に標茶町で当時80歳の伊良子藤雄(いらこ・ふじお)さんに直接取材したものです。伊良子さんは昭和22(1947)年に標茶町に入植し、以来この日まで48頭の熊を駆除した名人です。その中で最強の敵との戦いの様子を語っていただきました。
(本稿は『北海道ふるさと新書ー標茶』2002・標茶町に掲載したものです)

■出現
昭和37(1962)年11月9日。標茶町のチャンベツの山中で、400キロを超える大熊が討ち取られた。討ち取った猟者は、標茶町上チャンベツに住む伊良子藤雄さん。伊良子さんは現在までに48頭の熊を撃ち取った熊撃ち名人。この時撃ち取られた熊は、北海道のヒグマとしては最も大きい個体のひとつだった。
明治以来、北海道という島の覇権をめぐっで行われてきた熊と人間との〝抗争〟──その「最終決戦」が、両軍の切り札による一騎打ちとして、この日、標茶チャンベツの山中で行われたのである。
熊の出現は11月4日。伊良子さんの自宅から10キロほど離れたチャンベツの山中で事故は起こった。雨の中、炭焼き小屋に向かう職人が熊と遭遇。重傷を負わされたのだ。
被害にあった男性は、ぼうほうの体で近くの炭焼き小屋に避難し、そこに居あわせた番人によって病院に運び込まれた。そしてその日の午後4時半頃、事故の知らせと駆除依頼が同時に伊良子さんの元に届いたのである。
現場に行ったら、道路に何か黒いものがあるんだ。何かと思って見たら、長靴だったよ。さらに3メートルぐらい離れたところに、合羽やら、ズボンやらがたくさん散乱していた。
一度、道路の真ん中ででかじられて、振り回されさて2メートルぐらいぶっ飛ばされたんだな。よく生きて逃げてこれたもんだよ。
そうして現場をよく見てみたら、さらに10メートルぐらい向こうに小山があって、何かが埋められたような跡がある。
熊のヤツ、捕ってきた馬をここに埋めたんだな。そう思ってみていたら、突然5~60メートル先で、でっかい熊が一声、吠えて逃げたよ。
熊のヤツは、自分で獲った獲物は後でも食おうと必ず隠すわけだ。遠目では分からないくらい上手く隠すよ。
隠さないやつは、まず食いに来ないな。食う気があるのなら、だいたい隠した獲物から何100メートルのところで待っているわけ。番兵しているんだわ。
■対峙

伊良子藤雄さん
熊と出会ってもお互いが100メートル、200メートルという距離ならば、案外、逃げない。こっちを黙って見ている。今のライフルなら、300メートル離れていても当たるかもしれないけど、昔の銃は散弾銃に実弾を入れたもの。効果があるのは、30メートルから40メートルだ。
だから、いかにして、絶対に当たる場所まで寄るかだ。這う場合もあるし、走る場合もあるし、ゆっくり歩く場合もある。とにかく、接近しても途中で逃げられることの方が多いから。
接近するときに気をつけないといけないのは足音。熊も足音を立てない。人問の方で足音を立てたら逃げる。姿が見えていても逃げないけど、足音を立てたら逃げるからね。
時には、それこそ息もろくにしないで、じっとしているよ。動かないで、じっとしていると、耳のあたりで蚊が鳴いてくる。山の蚊の方が切ないよ。
相棒と一緒だと、こりゃ遠くだから当たらんだろうなという距離でも、撃ちたいのか、怖いのか、撃っちゃうからね。
だけれども、一人だったら、何時間でも、自分が納得のゆくまで待って、引きつけて、絶対に当たるなという距離まで、引きつけることができるからね。
■待ち伏せ
伊良子さんと大熊は、5日から8日まで、連日、このような神経戦を演じた。どの日も、伊良子さんは熊の姿を発見し、様々な戦術を駆使して、ぎりぎりまでの接近を試みた。しかし、熊はそれを見透かすかのように、寸前のところで逃げ出した。そして11月9日。
いつものように腰を屈めて、道路伝いに馬が埋めてあるところへ、音を立てないで近づいていったな。
それまでなら、そのまま取りついたんだけども、その日に限って、20メートルぐらい手前で、ちょっと立って見たな。虫の知らせというヤツかな。
道路は一段低くなっているから、立たないと埋めたところの向こうが見えない。立ってみると、どうも土の色ではない。熊の背中のように見える。
俺が毎日、行くもんだから、熊のヤツ、隠れて待ち伏せしやがったんだな。そこで、さらに背を低くして、近づいたさ。
そして熊のいるとろから、5メートルのところで、様子をうかがおうと体を起こすと、向こうも起きあがってきた。様子うかがうのと、熊が立ち上がるのと同時だ。
100メートル、200メートルという距離では逃げずに人間の様子をうかがう熊も、ある一線を越えると、反撃に転じる。伊良子さんはその一線を20~30メートルの間という。
熊撃ちは、熊と人間との空間の奪い合いだ。熊の領域に入らないようにしながら、技と忍耐によって近づき、人間に有利な空間を確保する。しかし、場合によっては、熊の領域で対峙しなければならないこともある。
やっぱり、20~30メートルまで寄ると来るよ。実際には15~16頭は向かわれているからね。
たとえよって向かってきたとしても、それでも俺の場合、撃たないからね。いよいよ、3メートルから5メートル、絶対に撃っても外さないという距離まで撃たないから。
その代わり、3メートルから5メートルに来たら、絶対に外されないからね。外したら終わりだから。絶対、当たるというところまで引き金、引かないから。
向こうから走ってくる。こっちも動揺する。当たらなかったら、終わりだからね。5メートルならば、中で足を1回ついたら、次には爪が飛んでくるよ。命だよ。
■決戦
さて、400キロを超す大熊と伊良子さんは対峙した。その距離5メートル。しかも、数10メートルの距離で対峙して、伊良子さんが引きつけて引き金を引いた距離が5メートルだったのではなく、馬が埋められた小山を挾んで、偶然、同時に起きあがった距離が、5メートルだったのだ。
とっさに一発撃った。そうしたらウワーツと怒って、向かってきた。
けども、目の前が山になっているから、1間ぐらい横出てきたんで、2発目を撃った。
だけど、おっきいから倒れないの。撃っても倒れない。倒れないで、また、ドドッと出てきた。
一般的な熊の体重はおよそ250キロ。この程度の熊であれば、1発目が急所に命中するとたいていその場で倒れてしまう。300キロを超える大熊であれば、1発で倒れることは少ない。しかし、1発目で倒れなくても、2発目が命中すると、即死はなくても、ほとんど立ち上がれなくなる。
ところが、この日、伊良子さん、が出会った大熊は2発命中しても倒れなかったのだ。伊良子さんの散弾銃に詰められる実弾は2発。それはもうすでに撃ち切ってしまった。
撃っても倒れない。
また、ドドッと出てきた。俺もカン立ていたから、道路の上、一段高いから、そこに跳ね上がったわけ。そうすると、熊は正面だ。正面だから頭しかないわけ。それで3発目、脳天。打ち抜いたら、初めてそこでガクンといったな。
そうして後で見ると、正確に脳天に入っていたよ。
2発しか弾を込められないはずの銃から3発目の銃弾が飛び出し、脳天を打ち抜いたのである。
散弾銃は2発しか撃てないんだけど、俺の場合、慣れているから、次の弾を込めるのにテン何秒しかかからない。「0.」だから。秒じゃないから。
例えば、自分で車を運転している。前に障害物があったら意識することなしに、足がブレーキにいってる。それと同じだ。
2連式の銃だからすでに2発は入っている。それとは別に2発を指にはさめている。バーンと撃ったら、無意識に次のを入れている。そこまで熟練しないと熊には向かえないということだ。
■共生
48頭目の熊を倒してから、およそ10年、伊良子さんの記録はもう伸びないだろうという。この10年で熊と人間との関係は変わり、駆除する対象から保護する対象になった。
平成元(1989)年まで、北海道では春にヒグマの集中駆除が行われていた。昭和41(1966)年から行われてきたこの事業は、当初2月1日から雪が消えるまでの間だったが、昭和51(1976)年、昭和62(1987)年と段階的に期間が短縮され、この年で最後となった。
それは、熊が人間の生活圏からほぼ駆逐されたことを意味し、これ以上の駆除は熊の絶滅を招きかねない、とされた。平成元(1989)年を境に熊と人間との関係は、共生という新しい時代を迎えたといってよい。
しかし、共生の時代を迎えたとしても、いや迎えたがゆえに、伊良子さんに代表される熊と人間との戦いは、北海道の記憶として伝えていかなければならない。共生という理念も、熊と人間との過酷な生存競争の末に導かれた教訓であるのだから。
【引用出典】
『北海道ふるさと新書ー標茶』2002・標茶町 86−92p