北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

栗山開拓の橋渡し役

下夕張 鉄五郎

 

出典①

 

空知管内・栗山町の開祖は仙台支藩角田藩士・泉麟太郎です。明治維新で幕府方についた角田藩は維新後逆賊の汚名を受けますが、藩主石川邦光は北海道開拓によって汚名を雪ごうとします。明治3年に室蘭に入った重臣の泉鱗太郎は、室蘭郡長より夕張郡が有望なことを知らされ、明治21年「夕張開墾起業組合」を組織して、5月3日、24名の同志とともに室蘭を出発しました。麟太郎は苦労を重ねて栗山町の前身である角田村を開くのですが、この開拓にアイヌの下夕張鉄五郎が多大な貢献を行いました。『栗山町史』(192−194p)からの紹介します
 

 
1888(明治21)年5月3日、泉麟太郎は、馬追原野での入植地の選定と小屋がけのために従者2人を連れて室蘭に上陸した。まず千歳に向かい、ここにいた下夕張鉄五郎にガイドを頼んだ。
 
7日、一行は千歳を出発し、鉄五郎の案内で、アイヌが狩猟に使う踏み分け道をすすんで、馬追原野を目指した。ようやく現地に着いてみると、すでに14~5人の入植者が作業に入っている。麟太郎の一行はここで1泊し、さらに奥を目指すことにした。
 
翌日早朝、馬追原野を出発。やがて春の雪解け水で渦を巻いて流れる夕張川に遭遇し、足止されてしまった。野営しながら川が静まるのを待っていると、後続の入植団18名が追いついた。
 
やがて陽は落ち、いくつもの鍋は急造の枝木につるされて、枯枝や枝草を燃やしながら夕飯を炊いたが、炊煙は春まだ浅い、夕張川畔をもやのように立ち広がっていった。
 
浅野の妻女はこの年26歳で、生まれて間もない赤ん坊と4つになる男の子をつれていた。すでに夜になったけれど小屋らしいものすらない淋しさに、この男の子は「家に帰ろう、家に帰ろう」といって盛んに泣き出した。
 
ここが家なんだよ。みんなこの川端に寝るんだよ──と教えたけれど、ますます盛んに泣き出して、母親までも共に泣かなければならぬ光景であった。
 
夕張岳の奥から溶け出す雪解け水は静まる様子を一向に見せない。鉄五郎もこれにはどうすることもできず、とうとう5晩野宿して、5月16日となった。
1日も早く開墾し、植え付けをしなければ、秋の収穫が望め望めなくなる。入植団の焦りは大変なものがありた。
 
この日、朝から天気がよく、朝もやが早くから晴れた。
今日、川越えをしよう──と鉄五郎が丸木舟を取り出した。
 
丸木舟は長さは2間足らず、幅は2尺6、7寸。深さはわずかに1尺程度の底の平たい、タモの木をくり抜いたもので、よほど上手に乗らねば、くるりくるりと左右に傾いて非常に危険な小舟であった。
 

アイヌの川舟 (出典②)

 
もちろん1人しか乗れなく、客はやや前方に前を向いて膝をひろげ、重心を舟の中心にして乗らなければならなかった。
 
鉄五郎はその少し前方で竿とも棒ともつかないものを持って、舟をやや上流から流されながら斜めに漕いで、向う岸に着くのであった。
 
鉄五郎は船漕ぎの達人だった。巧みに濁流をかわして向う岸に着くと、大きく頷き、一人づつ渡そうと岸に引き返してきた。
 
先頭に乗ったのが浅野の妻女で、もしやの事があっても女でもあり、せめてもの犠牲ともなり得ようと、また母子一緒に乗って共に流されてはならないと子供は後からにして、まず自分が乗って夕張川の初越えをやったのである。
 
無事にこちらの岸に上がった時はうれしさの余り、思わず手を合わせて神を心の中に拝んだという。
 
鉄五郎が一人づつ舟に乗せて、全員が無事に渡りきったのは午後2時過ぎだったという。
 
この後、鉄五郎は夕張川の川岸で渡船を営み、栗山に入ろうとする入植者を長く助けます。
 
また『栗山町史』256pによれば、栗山町夕張川流域には、イシバリアノ、トマンリウというアイヌが暮らしており、対岸の長沼側には下夕張鉄五郎の親とも伝えられるセタレップが住んでいました。彼らは川魚や狩猟を行っていましたが、開拓が進むと渡船によって開拓者に便宜を与えました。
 
「この先住民たちは入地者の案内人となり,また捕獲した魚獣肉の活力源を提供していた」といいます。入植したばかりで北海道の気候に不慣れな開拓者に、時には食料を与え、北海道の暮らし方を教えたのが、これらアイヌの人々でした。


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【引用文献】
『栗山町史』1971・北海道栗山町役場
【写真出典】
①『町史編さん室ニュース第 3 号』2016・10・栗山町史編さん室発行
②『北海道開拓写真史 記録の原点』1980・ニッコールクラブ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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