仙台藩岩出山支藩当主・伊達邦夷(史実では邦直)は、主家が戊辰戦争に敗れたことにより、禄を取り上げられ、北海道開拓に起死回生の望みを託しました。
しかし、与えられた土地は海岸沿いの痩せ地、農耕が見込める場所ではありません。不幸はつづくもので、宮城から荷物を載せた船が行方不明となり、主従は着の身着のままで北海道の厳しい寒さに立ち向かわなければならなくなりました。
そこで家老で移民団のリーダーである主人阿賀妻謙(史実では吾妻謙)は、開拓使の倉庫の建設工事を移民団で請け負うことで工事代金を稼ぎ、越冬資金に充てることを考えました。
阿賀妻には、開拓使の高官である堀大主典(史実では堀基)に頼み込めば仕事を回してくれるのではないか、という目論見がありました。
この計画を実現すべく札幌に向かう阿賀妻一行は、偶然にも石狩川の渡し場で堀大主典その人と会うのです。堀の用向きも阿賀妻ら伊逹主従のいる当別の聚富でした。
実は堀は、日露和親条約によって日露雑居地となった樺太に派遣する人員を伊逹主従から求めようとしていたのです。そしてその役目は、阿賀妻に随伴する大野順平が指名されました。
今回は、堀大主典が語る日露雑居時代の樺太が主題となります。文中で遅れて登場した堀の使者として「クシュンコタンの酋長チコヒロ」が登場しますが、彼は山邊安之助の『あいぬ物語』に登場する樺太アイヌ移民団の知古美郎です。二つの物語は同時代でした。
第二章
(十)
「灯が見える――なんだ?」と、堀は、低い声で誰にともなくそう訊ねていた。
傍らのものが顔をあげ、上役の声の指さすあたりをあわてて探していた。
船はゆるゆる向きを変えるところであった。そこで、堀の腰かけた場所は、歩いて来た背後の野を見やる位置になっていた。濶く湾入したイシカリの海を、その北方の口にあたって区切るマシケあたりの岬であった。
昼ならば、河口を越えて、一直線にあおあおと見わたせる。その大きな岬の根とも思われるところに、はかないような明りが揺れうごいていたのだ。浮き沈みしているのは、船にいるこちらの身体が上下しているためであろう。
「どうやら?――」
堀はその方角を見つめ、大野順平を見あげるようにして呟いた。
「シップの――お汝らの部落ではなかろうか、開墾の火でもあろうか、よくご精の出ることだ。――うらやましいことだ」
それにひきかえ、自分には心の安まる暇もない――そう云う気持をふくめて、あとの言葉には少からず冷笑のひびきが漂っていた。
船の動揺に身をまかせて安らかな寝息を立てている阿賀妻にも気づいていた。当初の意気ごみにも拘らず、何かこの士族らに無作法なものを感じた。途端に焦々して来たのだ。一日中とび廻っていた身体も夜気に吹かれて疲れが出ていた。
その疲労は船にいるものもみんな一様にひしひし感じていた。物を云うのも億劫であった。あの灯は高倉利吉の埋葬の火であるとは判っていながら、大野順平さえそれを説明するのが面倒であった。
松岡や門田たちが急いで行けば、今頃は帰りついた時刻になる。めどが見えたと勇み立って、不幸な過去を埋めて了おうとしている。彼らも夜を徹しているのだ。それはまた、明日の仕事に備えようとする心遣いでもあるのだ。
大野はだまっていた。つまらぬことを云ってこの官員の怒気に触れてはならぬ。なだめる方法も知らなければ、武骨な男には人の機嫌を取る自信は毛ほども無かった。
うしろにいた安倍誠之助は一そう黙りこんでいた。彼は、考えることが頭に一ぱいで、がんがんと罅われそうであった。
「おぬしら、どなたか行ってくれるか」
やがて堀は覗き込むこえでそう云った。
顔色は見えなかったが、その口調は、相手の胸にからみついて引きずりまわすような例のねちねちとしたものであった。しみ渡るような低い声で彼は云いつづけた。舷側にぴたぴたと川波がくだけていた。腰をかがめねば聞きとれないような堀大主典の言葉は、まるで呪文のようにぶつぶつと続いていた。
「おぬし行ってくれるのじゃな。政府は十分の待遇をあたえる。そのかわり、おぬしは、今の、この時刻から、よいか、日本政府の官員たる自覚を持て、小さな藩のなかでいざこざしとる時代じゃない。日本の国のうちで、敵も味方もあるまいじゃないか。ずーんと大きい――相手はヨーロッパ州の強国オロシャだ。現地談判に行こうというのだ。生命をすてても棄てがいがある、そうだろう」
いつか話の矛は、安倍誠之助に向っていたのだ。
彼は何となくうなずいた。提灯の光りは届かない。ぼんやり白い水面のほのかなあかるみを受け、だが、安倍の動作は見て取れた。混乱したものが彼の胸のなかで徐ろに整理されつつあるのだろう。それはある意味で、彼にとってはさし伸べられたすくいの手であった。
新しい世の宣言をきいたあの刹那のひそかな喜びが、枯れないで生きているのだ。否、それは芽を出そうともがいてさえいた。そしてこれが、その探しあてた抜け穴であるかも知れない。
あたりの総べてが満足する――そういう無理のない状態でこの話は進んでいる。しかも、今となっては、彼自身の意志如何にかかわらず手はずは進められているのであった。
阿賀妻をとおした伊達邦夷の家臣から堀大主典を通じた開拓使の役人と脱皮するのだ。あるいは彼の身体は、ぽいと投げ渡されつつあるのかも知れない。
「世界が相手だ、ふん」と、堀は鼻をならした。それから、ふいにどなるような鋭い声をだして云った。
「おぬし、夷人だぞ、相手は夷人のうちの赤夷、ちくしょう」
うん――と、刀を船底につき立て彼はぬッと立ちはだかった。ぐらりと傾いだ船を踏みつけるようにして、ひょう茫と涯しないくらやみの海を、ひろがった河口の先にしげしげと見入るのであった。
彼は、ぶるッと身ぶるいをした。顔は海に向ったまま、声は船のなかのものにむけて、漠然と、しかし噛みつくように、問いかけたのである。
「毛唐を知っとるか、おぬしら!」
そのとき彼の身内からは、憎悪とも厭悪ともつかぬ悪臭が噴きだしたような気がした。生理的な不快さが、さか立った毛穴からむんむんと放出しているのだ。
痙攣をおこし、嘔吐をもよおすほどの、理解し合う何ものもない、――生れおちるとからの敵どうしであった感情。瞼をいたくする緋ラシャの洋服を着て、雲つくような獣に似た姿をのっそりあらわして来る。そいつを視野のなかに押しこめ、見おろそうとする彼の呼吸づかいは荒くなった。
船はかすかに揺れていた。阿賀妻はそのままの恰好でうすく瞼をあけたが、すぐにまた、いかにも物倦げにしわりとそれを閉じた。
暗がりのため、そんなことは堀大主典の目にはとまらなかっただろう。彼はこの暗さと吹きすぎる川風のなかで、こころ行くまであの怒りに身をまかすことが出来たのだ。八ツざきにしても飽き足りぬのは、オロシャの陸軍少佐と称したデフレ何とかウイッチの、むささびのような面構えであった。
それはモクチャランケ宅の熊祭りであった。双方の官吏はおのおの一人の従者を連れて巡視かたがた見物していた。土人にとっては今日が最大の祝祭日なのだ。着かざって乱舞している。その祝宴のまッさい中、かの露国陸軍少佐は、従者である通訳にこう云わせた。
「熊祭りを本日に延期したのは何故であるか」
「雨のためであろう――」と堀は自分の通訳に答えさせた。
「そういうことは土人どもの自由で、本官のあずかり知るところではない」
すると彼はまたこう云わせた。
「その方どもが本官の上座にすわるのは無礼である」
これらの言葉はお互いにすぐ横にいながら、よちよちと長い時間をかかって通じて来た。
途中で一ぺんアイヌの言葉になおさねばならぬのだ。何を云いだしたかと耳を傾け、顔色をうかがうのだが、赤いひげと深い眼、碧いビイドロのような瞳の表情は想像の外であった。とび色のにこ毛に蔽われた皮膚からも人間の感じは受け取れなかった。それでも理解し答えようとするのである。
と、そのときであった。ふいに皿のような殴打が少佐の手からとんで来た。はッしと頬に来て、ぱッと火を噴いた。堀は、反射的に抜刀していた。だが、わなわなと顫えるだけで、彼は斬ることが出来なかったのである。事なかれの外交方針にうしろからどやしつけられていたのである。
爆発させ得なかった怒気は消えることが無かった。しっかり胸にたたきこまれていた。身に浸みとおり、性格に喰い入って行った。従って彼のなすこと考えることは、一にかかって、彼らに対する何らかの反撃であった。
この問題にくらべると、他のことはすべて、どれもこれも、些々たり眇たることに過ぎない。
阿賀妻などのことは吹けば飛ぶ問題だ。煽てあげ喜ばせて開拓の方針に沿わすればよい。従って今夜、カラフト問題が突発しなかったら、両者は無縁の衆生であったろう。
その防備に思いを致したとき彼は忽然と思いだした。北門警備の鎖鑰たらんと謝罪して出たこれら降伏士族に、云った言葉の責任を取って貰わねばならぬ――そういう時機であった。
何かひらめくようにそう考えた。意地わるくその言葉にかかずらう積りではなかったが、その任に堪え得るものはその一団のもの以外にさしあたり心当りも無かったのだ。そのとき彼はそう見究めをつけた。
「心配するな、おやじさん」と彼は受けあった。
そうですか――そう云うふうに、駈けつけて来た使者は深い奥まった黒い眼をおどおどさせた。
それはクシュンコタンの酋長チコヒロであった。日本名を知古広と称してながい馴染なのだ。彼らにあっては、和人に従うことは、代々の宿命のようなものになっていた。
藩吏が来たり、幕吏が来たり、最近はこの堀盛などと顔見知りになったが、いずれも和人にはちがいなかった。政府がどうあろうと人間は同じなのだ。従って意志はたやすく通じた。
その土地をわれから棄てて引きあげねばならぬのが堀盛らの政府であった。硬論を期待した新たな長官の黒田清隆も、現地を一目見て抱負を投げだした。
――この調子で行けば完全に占領されるのに三年とはかかるまい。むしろ日本は、カラフトをすてて北海道をかためるに如かず、と、彼は中央に復命した。
だが遺された土人はどうなるのだ?――はるばる駈けつけて来たアイヌらは、生れながら日本の人間と思っていたというのに、あの緋ラシャのダン袋服を着た夷人が乗りこんで来た。家を毀されたり、家財を奪われたり、あわてふためいて駈けつけて来たのだ。
――その侵略を目の前にして、またしても、こちらには対抗すべき一兵もなく、一艘の軍船も無いのだ。両国人雑居の条約を楯にとってねばり強い抗議を持ちこむより外に手はなかった。せめてそれくらいの手をつくさなければ、このアイヌらの真心にむくいることさえ出来まい。
シラヌシ、ソウヤの海峡を潮と風にまかせた土人舟で漕ぎ渡り、イシカリ川を一気にかけ下って来た。この浜の開拓出張所にあらわれたアイヌらの心根が、堀の心を波だたせるのだ。アイヌらは、掠奪された困憊を、ゆたかなひげを握りながらぽつりぽつりと語ったのであった。
クションコタンはカラフトの入口にあたる浜の部落であった。それは北蝦夷の一番ふるい村を意味していた。あるいは、蝦夷本島の北海道から『越して来たアイノの村』の意であった。
バッコドマリ、クシュンコタン、ポロアンドマリと三つの小部落が、高くもない丘によって区別され、凍えた冬のあいだの半年は水の涸れた谷川をそれぞれ抱いていた。漁猟のアイヌたちが海と山とを往来してしずかに生きていた。
交易の和人はまン中の部落に足をとめ、番屋を建てて専ら土人と交誼をかさね、彼らの漁猟物を酒や木綿と交換し、つまり交易の利を独占していた。それでもアイヌには恩恵ある文明人にちがいなかったのだ。ながい間には近親の思いも育っていた。
そこへロシヤ人が現われたのだ。
ふいとそのものを鼻ッつらに見あげたとき、和人とアイヌはついと皮膚まで接近した。するとオロシャには、アイヌも和人も同じに見えた。話すのも面倒くさそうであった。
のそのそと上陸して来た。一方に武器をかざし他の手で永住の家を建てた。うかつに土人の墓所もつぶしてしまった。
――ある日から、アイヌのクシュンコタンは日本人とロシヤ人のせり合う土地となった。
新政府の役人として出かけた堀盛らは、問題を中央に移すか、しからずんば兵を出せ、と、躍起になった。だが、どちらも取りあげられず、カラフト開拓使は廃止された。
決河のように南下して来たロシヤの勢力を、身をもって喰いとめるのはその土地にいるものの豪胆さだけだ。土人にその意気はなかった。利を追う町人や百姓にも、概してそれは求められない――そして、彼は、焼きつくような焦慮を覚えた。
彼らの南下政策は、明日にも北海道をねらうかも知れない。しかしこの未開地には、金十三万両、米九千石の歳費しかまわされていなかった。租税収入を考慮に入れても兵備に費す余裕はなかった。屯田兵の制定はまだ一歩も進んでいない有様だ。だから、つい手近な士族たちに堀大主典の目が行ったのも無理はない。
むろんそれは、クシュンコタンに――ロシヤはそこをコルサコフと呼んでいた――突如として暴動したというロシヤ兵の姿が直接にはおびやかしていたとも云える。それに、何分とも彼も疲れはてていた。
「船はオダルで待っている、間もなく夜が明けるじゃろう、これから直ぐに行って貰えるか?」
堀はふりかえって、追求するように相手の顔を見つめた。安倍誠之助は口ごもった。
「なにしろ早急のことで――」と大野順平が取り傚すためにおもい口を利いた。
「そうかね」と堀は云った。
唇をひん曲げて出した言葉にちがいない。そんな冷い声で彼は云いつづけた。
「この一刻に、占領されたとしたらどうなるんだ――と、それほど切迫した事態であっても、おぬしらは、女房、子供、どうのこうの、と――これだから、旧幕時代のものは仕末にこまる」
彼に従っている連中は、咳ひとつしなかった。船はどしんと岸に着いた。
彼らはうたたねから揺り起されたように、急にもぞもぞと動きだした。
「馬の用意をしとけ」と、誰かの叱咤する声が靄がかった河岸でひびくのであった。川添いの街角をまがった彼らは半分駈けるようにして役所に急いだ。イシカリ川を渡ったのである。川を渡って、そこはイシカリの街であった。