新章突入です。
戊辰戦争で禄を取り上げれた仙台藩岩出山支藩当主・伊達邦夷(史実では邦直)主従は、北海道移住を果たしましたが、割り当てられた土地は海岸沿いの痩せ地でした。とうてい大勢の家臣団を養うことは難しく、困り果てていると移民団の家財を載せた運搬船が行方不明になったとの知らせです。
追い詰められた移民団は解散して宮城に引き返すか、開拓を続行するかの選択を迫れますが、家老で移民団のリーダーである主人公・阿賀妻謙(史実では吾妻謙)は、開拓使の高官である堀大主典(史実では堀基)に頼み、開拓使の倉庫の建設工事を移民団で請け負うことで工事代金を稼ぎ、越冬資金に充てることを考えました。
この工事は『当別町史』(S47)には、伊逹移民団が提出したこの工事の見積書が資料として掲載されています。事業は老朽化した蔵を壊して倉庫や住宅も付帯する石狩番所の役所施設を建設する工事でした。この大工事を移民団が請け負うことで、最悪の危機を脱したのです。
困窮する移民団に公共工事を与えて窮乏を救うことは、北見を拓いた北光社などでも見られました。
御蔵取崩ワッカヲイヘ御建替工数並人足入用積調書
・1堅7間2尺、横3間3尺板蔵1棟 御役所にこれある分 但し半分2階附
・1竪4間、横6問板蔵1棟 御役所にこれある分
・1竪2間、横3間板蔵1棟 御役所にこれある分
・1竪5間、横4間御役宅1棟 御同所にこれある分
・1堅12間、横5間板蔵1棟 川西にこれある分 但2棟御取ほどし相成り候分、右諸賄にて右軒数に御建替に付、新規同様工数並びに人足相入候見詰
・1竪6間、 横4間板蔵1棟 川西にこれある分
右取崩ワッカヲイ迄運送建方工数人足積り入用左に
1金1556両と永108拾文
内1200両2歩此工数並人足共に38048人
但、大工人足共に1人に付1日1歩1朱
353両2歩と永180文
此白米38石4斗8升也 但、4斗に付3両2歩と永176文、1人につき1日1升宛
右之通りに御座候也
明治4年4月
伊達英橘附属大工職 菊田恒之助 関 惣十郎
第三章
(一)
棟あげの段取りまでにこぎつけたのである。
その倉庫の屋台骨はどこからでも見わけられるような気がした。白い木肌がま夏の陽に映えて、河畔のかげろうのなかで激しく光ったりした。川を隔てたこちらから、遠く見ると、何か神聖な供物のようである。古びた船着き場の屋並のなかに白く屹していた。
毎朝々々彼らはその川岸に立って眺めやるのであった。厚い霧がほのぼのと薄れかかって、今日は昨日より一段とまとまった骨組みがあらわれて来る。渡し船の来るあいだ、思い思いの恰好で自分の仕事のあとを見入る。彼らは睡い思いも剥ぎ取られた。すがすがしい空気を胸一っぱいに吸いこんだ。すると、みなぎるような勇気が腹の底からわいて来た。
早朝の川風は肌ににじんだ。近づくそちらの岸辺には、見張り所にとのいした両三人の仲間が出て来ていた。顔が白く、体が黒く、誰が誰とも見わけつかない遠くの方から彼らは手をふって出迎えた。その一夜が無事であったこともそれによって知らされた。船のうえにいるものも何となくほッとした。目鼻だちが見えるところまで近づいてから笑ってみせるのであった。
そしてこの一団——シップの開墾小屋から浜づたいの路をやって来た俄か仕立の人夫どもは、与えられた各自の役目を思いだした。大工は鉢巻きをはじめるし、木挽きは鑢(やすり)の目を舐めてみるのであった。今までのところは鳶と大工と木挽きであった。やがて左官や屋根屋が必要になるだろう。
彼らが祖先から受けついで来た武士だけが何の役にも立たなくなったのだ。それでも小脇差を腰につけ、す足に草鞋をはき、着物の尻をはしょってやって来たのである。もはや望みは、手がけた倉庫の出来あがることだけに集中していた。ときには、これさえ完成すれば、今後の一切がうまく回転しだすような幻想さえ持つのであった。
船ははとばの棧により添って行った。はじめにとびあがった男が、綱を担いで引きよせた。舷はぴったり棧にくっついた。けれどもひどく揺れた。先をあらそってとび上るからである。急激に軽くなる川舟は驚いたようにぶいぶいと浮きあがった。
それらの人夫の一番おわりにいたのは女であった。玉目トキであった。彼女はかがんで棧の杭につかまった。えびのように腰をまげて一足々々を順ぐりに踏み板のうえに上げるのであった。誰も見ているものは無いのだが、短かくからげた着物の裾を気にしているのであった。
立ちあがって、手についた砂ほこりを叩いて払い、ゆるんだ頬かむりの手拭いを口に咥えた。髪はもうひきつめにして、長い毛を捲きつけた解き櫛の端がちらりと見えた。
石をならべた段々を岸にあがると、白楊の樹の傍らに背中を見せて若ものが立っていた。
「どうしました、高倉さん?」
トキがうしろから声をかけた。またしても祐吉は耳のつけ根までまっ赤になった。うつろな上ずった声で、吃りながら答えた。
「脚絆のひもがまたゆるみまして」
そして工事場の方に駈けて行った。
彼の場合は母の厳命であった。十八にもなれば子供ではなかった。一家の主として振舞わねばならぬのだ。この度の倉庫の普請についても、女子供を除いた全員のうちに、是非、進んではいらなければならなかった。冷静を取りもどした彼の母は、それが、亡き父の冥福を祈ることにもなると云いきかした。
仕事は労力を必要とした。かたまらない成長期の体躯では、材木をころがすことも出来ないであろう——ただそれは、全員六十名を四手に分けて、そして全体としてまとまらねばならぬ仕事のベルトの役であった。それらの間に挾まって雑用に廻ったのだ。
あたかもその相手になるように、玉目トキが出て来ていた。彼女の場合は、主人の代理であると自分で云い自分で思いこんでいた。たとい玉目がどうあろうとも、この大切な仕事に参加しないでは、祖先の位牌に申しわけが無いと激しく思いつめた。彼女は自分のために生きているのでは無かった。家をたてて行くために存在しているのであった。それだけでぼッと昂奮してしまうほど血肉に浸潤し、こういう雰囲気になずんでいた。
その上、彼女だけがありありと耳にすることの出来る声が、彼女の胎内で日々に大きくなっているのである。そのものは叫んでいた——そうあって貰わねばならぬ、やがて必ず幸福を取り戻す日が来るのであるから、と。
だから彼女は気が散らなかった。地しばりやおおばこなど、葉末に露をたたえた雑草をはだし足袋に蹴立てて歩いて行った。白い川面がとおくまで光っていた。朝あけの空をうつしたさざ波がそこの切り立った岸にぶつかって砕けていた。
そのあたりの一帯に船は着くのだ。たしかに河の出口にある古びた街であったけれども、仔細に見れば海からは少からず逆のぼって、鮭や鱒の漁場から川上になっていた。即ちそこは、河水と海水の交る危険を避けてずっと入江になっていた。
山の彼方の高原から、または野末も見えない原野から、一団となって流れて来る河水は、おしよせる潮のいきおいに波立ちさわいだ。ひろびろとした白い砂洲を両わきに見ていよいよ海にはいろうとする。そのとき、河は、水脈を受けて立ちすくむかと見えた。それは潮のたかいときは河口深くおしよせて来て海のような——しかし海ほど手ごたえのない浪をかき立てた。復讐するように、河はときどき増水し、また氾濫した。濁った流れは青い海水のなかに、扇のように末広がりに、内海一ぱいになるかと思われた。
船を着ける港の街は、それらの何れもから防がれた最も安全な位置を、おのずから、あるいは意識して築いたのであった。ここは少しも崩れない河岸であった。低質粘土の重い地層にかためられ、上には樹林の根が交叉していた。
いずれはナラ、ドロ、イタヤモミジなどの類であったが、その生きの強い樹と生命をあらそうように、下には熊笹がびっちり生えていた。日蔭には野いちごの蔓が黄ばんだ花をつけていた。白帆を立てた和船が静かに帆をおろして横づけになった。
河口の黒い水をかきわけてここまで上って来る。目あてのはとばに船を停めてしまい、あるいは、もやっている船々の間に挾まれて錨を投げる。すると、帆柱は立てたままでも船の姿は見えなくなるのであった。かき抱かれたような安堵をおぼえてほっとした。
街の裏がわは層々とかさなった砂丘つづきであった。触れればこわれそうな白い砂丘は、離れて一つずつ見るとおもちゃのようで、しかし、近づいて登ると、それはそれなりに四方を展望する高台の起伏になっていた。
北方に漂渺と見えたのはタンバケの岬か。西にかすんでいるのはオダルの海であろう。わがイシカリの街は、うしろに向きをかえて、彼の鼻の下にあった。云いつたえにもないほどの遙かな昔から生きものが棲みついた。
南に陽を受けたそこのほとりで、川は、ゆるやかに層をなして淀み、気味わるいほど大きな淵をなしていた。時節が来ると、産卵期をひかえた鮭や鱒が、群れをつくって、目ざましいほど水の色をかえるのであった。
そして、ひたすらそれを待ちかまえていたアイヌらが小屋のなかからあらわれて来る。
西蝦夷のイシカリは古くから聞えた漁場の名であった。漁利を追う和人が出没するようになったからである。利欲の誘いにかかれば、法度も暴風雨も、ものの数ではなかったのである。
そうして、彼らのうちの進退を失ったもの、どうなろうと構わぬ身軽なもの、郷里にかえったとて食うや食わずのもの、最後に、どうしても帰れないものなぞ、それらの和人が、ひとりでに沈澱するようにここに棲みついた。
獲物が先方から泳ぎよって来るこの大きな川に、日向を見究めて小屋をつくり、聚落をつくった。彼らの背後では鎖国の方針が取られていたのであるが、あたりの土地はこうして、めだたぬながら拓けつつあった。
漁場は宿場になり、内部に広大な土地を控えた蝦夷地の門戸になった。もはや、無視することが出来ない要津になった。松前藩は運上所を置き、幕府は奉行をおいた。近ごろあわただしく替る支配者のうち、最初に来たのは五稜郭政府の役人であった。つづいて兵部省の石狩役所、そして現在の開拓使庁出張所となったのである。なかなか重要な宿場として権中主典の兵頭なにがしが宰領していた。
こんなにたびたび支配者はかわったけれども、彼らが一列に武士であったことだけは少しも異っていなかった。大小刀を腰に帯び、鉄砲を担って乗りこんで来た。役所の建物自体も次々に接受されるのであった。
布告の署名の違いくらいは住民たちには大して気にならなかった。重大なことは彼らが彼らの都合によって漁場を取りあげたり払い下げたりすることであった。その漁獲物の五分の一を現物租税として取りあげられることであった。
いまやそのためにこの倉庫も建てねばならぬのである。
役所は入札に附した。それは出来るだけ廉く、しかも責任ある仕事をさせることが出来た。むろん、街の請負師の間でそういう競争がなされることを予期していた。右と云えば左と出たい人間の気持に擁せられて、小さい街ながら、二人の有力者が目立っているのだ。
なおその上にこの入札は、人民の自由を尊重する役所の公平な精神でもあった。われと思わんものは誰でも入札して宜かったのだ。設計に対する詳細妥当な見積り書によって、その審議によって役所側の諾否は決せられるのであったから。
だが、第三ばん目の競争者があらわれようとは誰が考えたろう——あの夜の阿賀妻らにはこのことだけが生命と取りかえるほど大切なことであった。仕様書をひっくりかえしたような見積りをつくり、理屈と佩刀にものを云わせたのだ。
「しかし、曲尺とすみ壺の仕事であるから——それを、あなた方がなさるとすれば、どういうことになるか?」
そう危ぶむ役人にむかい、そのときの阿賀妻はめずらしく血相をかえた。
「おちぶれたりとは云え、身どもらは武士」
彼は歯をかみならして吼った。
「二言いたすと云われてはこのまま引きさがられませぬ。拙者個人の恥辱ではない。よろしくと云われた堀どのの言葉も反故であるとするなら、拙者らこれよりサッポロにまいり、直接判官どのにお目にかかり、仕儀によっては——」
その阿賀妻が、傍らにいた松岡長吉の腕を捉えて駈けだした。ほのぼのと夜の明けるころであった。彼は役人に聞いた棟梁の一人をたずねて行ったのである。
がらりと人格が変ったように、彼はそこの上り框に佩刀をおいて両手をつかえた。ながながと、慇懃に、身分姓名を名乗りだした。炉ばたにいて火を燃しつけていたお内儀さんは棒立ちになり、急に蒼ざめた。彼女はふるえながらあと退りに奥にかくれた。
かわって出て来たのが亭主であった。彼はへえ、へえ——と頭をさげて隅の方を通り、急いで土間にとびおりた。さむらい自体には反感のようなものを持っていたが、身分ありげな特定の人にした手に出られると、棟梁三谷三次は遣りきれないのであった。
どうしても、先ず上座になおって貰わねばならなかった。そして、頭をさげて頼まれれば彼も男であった。「ようがすとも、ようがすとも、あたしが指図してやりましょう」と彼は引き受けた。
まったくのところ彼は、武士に頭をさげられたことは生れて初めてであった。そういう時勢になっていたと云うことは、大工の胸にぴったりと感じられていなかった。はてしもないほどに下積におかれたものの心理は、急に彼だけ選ばれて浮びあがったように、認められ見込まれた何かすぐれた自分を感じていい気持になって来た。また、聞けば実際気の毒なことだ、ひと骨おってやらねばなるまい。
「これが身どもらのうちで一番その道にくわしい仁で——」と阿賀妻は傍らに控えている松岡をひきあわした。
「名前は長吉、ふん、はなはだ呼びよき名前じゃ、よろしくたのみ申すぞ。いや何ともかたじけない。早朝よりお騒がせして恐縮いたした。ではいずれ後刻、弟子どもをひき連れて改めて入門にまいりましょう」
そう云った阿賀妻は、常の日の痩せた顔にかえっていた。深い眼窩の底でくろい瞳がまばたいていた。
(二)
シップの聚落から駈りだされた男たちは、今はトビであり土方であり流送人夫であった。
木挽き職人の一隊は山と作業場に別れた。一方は大野順平にひきいられて原始林にはいり、必要な材木を伐採した。他方はそれを挽材した。その間の運搬は、それは静かに流れる川水にまかさねばならなかった。
「拙者が——」と名乗って出た大沼喜三郎が、習いおぼえた槍術を役立てようと云うのであった。川並人夫のあやつるところの長柄の鳶に、その手心は似ているにちがいない。筏にくめば顛動する危なかしさもないであろう。ゆらゆらと流されて河口に近づけば、下小屋の木挽きどもがとびだして来た。手をあげて——そのなかにはシャツ一枚の阿賀妻もいた——材料の安着を祝うのである。
大沼喜三郎を先頭とする数人の川並らは水をたたいてこれに応じた。逞ましい流水のみおや渦をくぐりぬけて、足にふまえた一括の木材を目的のところまで無事におくり届けた歓びであった。
翌日彼らは、食糧をにない長い柄を肩にした。食肉鳥のように鋭く光ったトビ口が、陽にきらめいた。川岸づたいに、ヨシやアシや熊笹などを踏みつけて上って行った。もはやどう見ても、押しも押されもしない立派な流送人夫どもであった。
歩幅にあまる溝はトビでささえて跳び越え、ぬかる湿地は流木をかき寄せて足場をつくった。かきわける藪のなかにおのずから出来る踏わけ路であった。イシカリ川の北側の岸を、その路は、きわめて行けば彼らのトウベツに通ずるのである——しかし、ひと跳びには行けなかった。
その手前で踏みかためなければならぬさまざまな仕事のうち、その一つにようやく取りかかった。これがもとの家老阿賀妻の説明についで、主君邦夷の披瀝した結びの言葉であった。
今となっては誰がそれを阻もう。必要とあっては、おぼつかなく——内心さげすんでいたあやしげな手職を、自ら進んで役立てようとする気持になっていた。ぎごちない恰好ではあったが、庶民の席にとびおりた彼らであった。好むと好まないとにかかわらず、これは彼らの前に残されたたった一つの通路であった。水が低いところにつくように、ひとりでにこうなっていたのである。
この意気ごみが、イシカリの街にとっては漠然とした不安になった。ある日からひょっこりと無用の労力が湧いて出て、街の生活をおびやかしはじめたと感じたのである。
来る役人ごとにたちまち親しみをつくる請負師は、その工事だけが自分の手から逃げだすものとは夢にも考えなかった。寝ごみを襲うように清酒一樽をかつぎこまれ、目から鼻へぬけるような挨拶は受けたのだ。
腕一本で叩きあげた浜の親方は目をぱちくりしていた。文字通り虚を衝かれたのであった。やがて明瞭り彼は、相手らの風采を見て取った。そしてにたりと笑った。表面は極めてあいそよく頷いて来訪者を追っぱらった。
しかし、彼はその足で、たらば蟹のような顔を役所につきだした。役人から、弁明の言葉をむっちりした顔で聞いていた。聞き了った彼は、親方らしくぶすりと云った。
「やれるならやってみるがええ」
自分の勢力範囲をおかすものに対するせい一ぱいの呪いであった。いんねんをつけるひっかかりは先方から取り除いていた。その上この相手は、あるところから先には理屈のかわりに武器を用意した武士の一味であった。その点だけでは官のものとも共通していた。
古い特権の重さにうちひしがれ、むっと胸もとにせきあげては来るが、しかし、振りあげた手はそのまま打ちおとすことが出来ない——あの、後味のわるい怒りに煮えくりかえるのだ。
こういう敵が出現すれば、請負師どうしの対立は直ぐ消えてしまった。改めて渡りをつけるまでもない。同じ立場がそれとなく問わず語りに妥協を成立させていた。
庶民と士族の間には、了解し合うに足る生活の交流がかつて無かったのだ。むしろ全然異った方法で生きていた。動かない制度の下に画然と区分され、そうして何代となく重ねた。
彼らは、それぞれ別の世界の奇異な人間に見えていた。街の人間と士族とは、種族もちがっていると云えるだろう。見ただけで肌寒いものを感じた。先年まではその虫をかみ殺したが、この四五年の変化は、噛んでもその虫は呼吸の根をとめなかった。
さすがの阿賀妻もそこまでは気が付かなかったのだ。彼らの生活には、口に出して云ったことは絶対であったが、頭の中でぼんやり考えていることは行為の動機として認めなかった。
口と腹とを二分しないことが修養のめやすであった。ちょうどそれは、云うことと考えることとを別々にしなければ生きられなかった被支配者らとは、まさに全く反対の努力をしたのであった。つまり昨日までは彼らも支配者のうちであった。
ある朝、作事場の下、——船着き場の川上に浮べておいた筈の筏が見えなくなっていた。発見したのは、朝霧のなかをやって来た松岡らの一隊であった。元気な数人は、渡船を呼ぶのももどかしく、漁船に乗って漕ぎつけて来た。太い杭だけが河岸に立っていた。夜半になって、水の動きにつれ、そこの綱がとけたのかも知れない。流れに乗って海岸に押しだされたのかも知れない。
川霧の消えて行くその朝、河岸では、筏をさがす彼らの姿が隠見した。霧さえ消えてしまえば深くかくれる場所もない。平板な河口の水面と、浜風が吹きならした白い砂っ原であった。小高い砂丘の上に登って見わたすと、海の彼方まで見とおすことが出来るのだ。ただ海はあまりに大きく、浪は高低をうねって起伏している。もしも筏がそこに流れだしたのであるならこれは永久に見いだすことは出来ぬかも知れない。
「無い」
「無い——見えない」
岸辺づたいに彼らはひきかえした。また作事場の前に彼らは集まるのであった。
「樹はいくらでもあるにしても」と阿賀妻はしずかに云うのだ。
「大野どのや大沼どのに申しわけなし、かの人だちの努力は水泡に帰した」
朝の太陽が野のうえにのぼって行くところであった。澄むことのないイシカリ川の水面は、この時思いきったけばけばしい金色にかがやいていた。この河岸の作事場から、丁度見おろすような位置に、川が最後の大きな迂回をつくって湖面のようにひろがった。
水は一ぱいにみなぎって、朝の大きな太陽を漫々と溶した。
「手をついて謝罪せずばなりますまい——それでは」
阿賀妻は合図のようにそう云って立ちあがった。
「ご家老——」と大工の与太郎が云った。
それは、あの日には三十俵五人扶持の門田与太郎であった。しかし今は、鶴のような緊った身体に公然と着る絆天や股引がよく似合っていた。
「なんとした?」と阿賀妻は云った。めくら縞のかたびらを尻からげにするため、帯のあいだに挾めた裾をひきあげていた。それで、伸びあがるようにして聞きかえしたのである。
「棟梁が見えとりませんが——」
「なに?」と低く云って、阿賀妻はふと棒立ちになった。視線は大工小屋に向いたが別に見ているのでもなかった。何か喰い違いが起りつつあるのを感じた。
自分の持場に散らばりかけていたものも何となく足を停めた。ちらりと阿賀妻を見ると眼をそむけてしまった。見てはならぬものを見たかのように急いでその場を離れた。
「長さんはおらるるか?」と阿賀妻は云った。
「はい、長さんは——」と与太郎はどぎまぎしたようにくりかえした。
その松岡長吉はむこうから現われた。彼は自分らの棟梁をその家にたずねて来たのだ。職人は朝が早いのだ。模様を見て来た彼はまた彼で、こ肥りの身体に丸い顔をほころばしていた。お内儀さんの云うことを単純に信じて来た彼は屈托なげに云った。
「風邪をひいたそうだ。生き身だからね——」
「風邪?——」と阿賀妻は咎めるように云った。眉根をしかめてしげしげと松岡を見つめていた。
それに気づくと彼もまただんだん暗い顔になって来た。なぜということもなく、そうだ——と頷くものがあった。その疑惑に、さらに——そうだ! と頷きかえして、彼は阿賀妻に、元気な声でいった。
「ご心配下さいますな、仕事の方は何とか片づけておきます、棟梁も、まアそれは、お前がいるので安心しておると、床のなかでそう云いましたが」
「それは勿論もちろん——ただ、この季節じゃ」と阿賀妻はうすく笑った。
彼は門田与太郎を見やった。そこで門田は横に立った同僚に向いて云った。
「ほんとの風邪だろうか?」
「ではもう一度見てまいりますでございます。あるいは?——」
この態度は大工の長さんではなかった。阿賀妻は何か考えることがあるようにそれをおしとどめた。
それはあの、犯人のない反抗の一種であった。誰がしたともわからない嫌がらせであった。次の日から注意ぶかく作事場を見まわった。それでもいつとはなしに鋸が見えなくなっているのだ。四分鑿(のみ)が消えたり、二枚鉋の台だけが残っていたりした。
置き忘れた陣笠が川口に浮ぶくらいは我慢も出来た。だが、鉋をかけ、明日は使わねばならぬ材料が水に投げこまれたりしていては捨てて措けないのだ。あきらかに妨害であった。誰かが工事の邪魔をしはじめた。
自分らの迂濶さや不馴れさやが、この不便と手ちがいを惹き起すのではない。幾日かの経験で、すっかりそういう結論を得た彼らの眼は、瞋(いか)りに燃えたって来た。なるほどと頷く正当な理由もないにかかわらず、それだからなおお互いに傷つけあわねば心が平らにならぬ。憎悪というものは、目に見えないところで火花を散らすものだ。
一刀のもとに斬ってくれよう——そういきり立った。が、当の犯人はどこにもいない。けれどもそれはいたるところにいた。一人々々の人間ではなく街ぜんたいが漠然とした敵であった。この街だけでは無いかも知れない。百姓や町人の住んでいる土地自体が、彼らがかもしだす雰囲気そのものが、士族反対の息を吐きだしているのだ。
するとそれはどこにでもいる。絶対に多数であった。だから、四民平等の宣言をかかげた新しい政府は百姓や町人の前に屈服しているのだ。——殊にこういう土地柄では聞かされても聞こえないふりをした。
「奉行は何をしている?」と云いたくなる。事実、だれかもそれを口にした。政府の取り締りによってこの妨害を除こうという考えであった。それが、支配者であるというものの第一の仕事であろうが——と談じこもうと敦圉(いきま)いた。
「しかしこれは——」と彼らの一人である関重之進が考えぶかく俯向いて、顔をふりながら云った。局面をうち開くために、ふだんは居るか居ないか分らぬほど目立たぬ人にも創意が湧いて来たのだ。彼は一語々々を区ぎって、すぼめた唇の先で必要な言葉だけを吐きだした。
「自分、考えますのに、われらの力で防ぐよりほかに致しかたもございますまい。作事場のあいだに見張り小屋を設けて、三四人交替に不寝の番をつかまつる。手にあまれば——」
彼はそこでちょっとだまった。あとの言葉は云わなくても判ったものであった。けれどもまた彼は云った。思わせぶりに沈黙したのではない。事態を一目に瞭然たらしめるため適当の言葉をさがしていたのだ。
「うむを云わさず一刀両断。これ、天の成敗じゃ——。万にひとつ、そのために後日にいたって悶着など起きたならば、そのときこそは不肖関重之進、惜しくもないこの老骨、りっぱにお役に立てまする——立派だとも——鍬をふりあげたり、鋸の目を立てたりすることよりは、必ず手際よくやるわい」
彼はそこで、口のなかで咽ぶように笑った。額には汗が流れていた。皺のみぞに集まって両頬のあたりにしずくとなって垂れそうであった。——刀にかけた対抗を意識しなければならなかったのだ。
阿賀妻は松岡長吉の方を見て云った。
「作事場の片隅でもよろしいな」
それが解決の一段落であった。関重之進の提案はことごとく受け入れられていた。たるんだ唇をきっと引きあげて、その本人が、真実か——と見なおすほど無造作に、手ごたえなく、何か損をしたような心もとなさを覚えた。そのとき、阿賀妻はすでに自分の持場に消えていた。
彼は木挽きの仕事に練達した。作事場の気配は街の中にひろがって行った。すると翌日には棟梁三次の風邪も何となくなおっていた。
倉庫は基礎工事から大工工事になっていた。杣夫の一隊は大野順平を先頭にして山の木こり小屋を引きあげて来た。大沼喜三郎らの川並も次の仕事にうつらねばならなかった。そして棟あげが来たのである。