(1)
「オーイ、タ飯が出来たぞう──」
今日は秋月の食事当番であった。朝の中に撃っておいた山鳩を、骨ごと焚きまぜた粟飯の匂いが、ぷんぷんしている小屋の入口を出て、東側のやや小高い斜面を、ヒルサイド・プラオで起こしている人影に向かって声をかけた。
「オーイ」
返事はかえって来たが、プラオ・マンの西谷伊作は馬をとめる様子もなく、プラオのハンドルを握ったままらくらくと上って行った。
開墾地のなかばは草原地であったので、樹林地の伐木は冬の仕事に残し、先ず開墾しやすい草原地からプラオをかけはじめていた。野はいったん火入れをしたので、黒々と展らけていて、なにか皮膚病の生きものをみるように不気味であった。
新芽の色が夕陽をうけて鮮かな樹木地の上に、白い月が浮かんでいた。もう、とうに、七時をすぎているのに、陽はまだ沼の水を赤くそめて動くともない夕映えの雲の影をうつしている。
運平がここに来た時からくらべると目にみえて日が長くなって行くのも、あらためて緯度の高さを思わせられる。陽の沈むあたりも、その頃よりはずっと西北にまわっている。たっぷりと春の樹液を吸い込んで、一せいに新芽を出しはじめた楡(にれ)や栓(せん)や、塩地(しおち)の太い幹の片側に、落日の色がそのまま染まって燃えている。
玉蜀黍(とうもろこし)の削り蒔きをしていた瀬沼宗一が襟首の汗を拭きながら現われた。
瀬沼は、運平が札幌で知り合いになった同好の士で、二三日前にこの開墾地に運平を訪ねて来た。運平同様はだか一貫で北海道に渡って来た男である。人並はずれて小柄なくせに人並以上に力のあるのが自慢で、指のさきまで智恵のかたまりのような男であった。
「秋月君。貴公は、この仕事いつまでやるつもりなんじや?」
瀬沼は、汚れた手拭で、今度はあぶらの浮いた顔をごしごしふきながら、三角目のはしから運平を見上げてにやにやしていた。
「いつまでって──そりゃあ、貸下地がみつかるまでよ」
「君やぁ辛抱がよいなあ」
いいすてて瀬沼は手でも洗うつもりか、すたすたと沼の方に下りて行った。
運平は、相手に小馬鹿にされたようで一寸不愉快であったが、俺と瀬沼では性質がまるで違うのだと、内心彼が二三日の百姓仕事にかなり参っているらしいのがおかしくもなってくるのであった。
瀬沼は、瀬戸内海の小さな島に生まれ、先祖は倭寇の頭で、まぁ、いわばその小さな島の王様のようなものじゃったのだと話したことがあった。
「広島から東京に出たときは嚢中わずかに六十銭よ。何とかなるだろうと思って、一面識もなかったが、伊藤さんの家の門を叩いて、書生に雇ってくれと申し込んだもんだ。俺は一六の年から六年の間、伊藤さんのお気に入りの玄関番だった」
と、かなり運平と親しくなってから瀬沼は語った。伊藤とは、当時の大学総長伊藤道之氏のことで、伊藤総長の教え子は、今や官界の中堅であり、又最高の知識階級でもあった。
「大分鴨が下りとるらしいぞ」
瀬沼は間もなくひきかえして来ていった。
「明日の朝は少し早めに起きて二三羽撃つか、関谷の土産になぁ」
運平もさらりとした気持で応じた。
「よかろう、関谷の姉さんもたまには御機嫌をとっておくべしだ」
「鴨で開墾地でも釣るか。ハハハハハ」
「それより、××の××に持って行ったらどうだ。案外早く貸下地の周旋をしてくれるかもしれんぞ」
二人はたあいもない冗談をいいながら、三頭曳のプラオを曳いて帰って来る西谷をむかえた。
「なんじゃ? 面白そうだのう──」
「いや、鴨で貸下地を釣る話をしとったのさ」
瀬沼は鼻の穴をふくらまして鼻毛を抜きながら皮肉に笑った。
「おう──大根の芽が出たぞ」
小屋の後の二段歩ばかりは、運平が一人でいる中に丹念に手起こしして、いちはやく夏大根や、人参や青豌豆(えんどう)、南瓜(かぼちゃ)などの副食物を蒔いておいたものだ。
起こしたとはいえ何百年となく、自然に生えるにまかせてあった草の根の堆積で、土とはいえぬごろごろなかたまりのなかに、植物の芽は規則正しい列を作って、いっせいに顔を出していた。それは、充分に、この未開地で生きてゆけると、天が約束している証拠であった。
運平は、肉親にでも逢ったのに似た思いで、ながいことその畑のそばにしゃがみ込んでいた。
食事がすむと、三人の男たちは思い思いに焚火をかこんで雑談に花を咲かせたが、小さな植物の芽生えによって燈をともされた運平の心はほのぼのと明るかった。
彼はいつになく気軽な冗談をいってみんなを笑わせ、しまいには太い火箸で鍋をたたいて祭の太鼓の真似などをはじめた。
「村でも俺ぐらいに太鼓をたたける奴はいないよ。テケテン、テケテン、テンテンテンテン………
これがお神楽の太鼓で、これから、素盞嗚尊(スサノオ)が出て来るところさ──」
と、ひとくさりお神楽の話まではじめてしまった。
瀬沼も、西谷も、この運平の陽気さは、明日札幌にゆくということのためだと思っていたから、
「おい、秋月、貴公札幌にいいのがいるんじゃろう」
瀬沼は、口の端を下げて下卑な笑いかたをして揶揄かった。二人よりも大分年上の西谷は、毛むくじゃらの太い脛をボリボリかきながら大きな体をゆすって笑った。
「薄野か? 若いのにゃかなわんのう」
秋月は、はじめて、いつにない自分の心の軽さに気づき、一緒になって笑い出した。
「うん──いいのがいるさ。大分しばらく逢わんのでなぁ、いや、それよりも、さっき大根の芽を見たら故郷(くに)のおふくろに逢ったような気がしてなぁ──」
「なんじゃ、それじゃ、南瓜の芽は情婦かい?」
「馬鹿いうなよ」
土間から長いまま炉にくべた太い枯木が、またひとしきり燃えあかって、白い煙が小屋の棟にあけた煙出しからぬけて行った。外はまだうす明りが残っているのか、かすかに筒鳥(つづどり)の声がしている。
秋月はその夜、硬い蒲団(ふとん)に体をのばしても、更けるにつれて、しんしんと寒さの増してくる夜気が、か弱い新芽を凍らせはしまいかと気づかった。
何げなしに、大根の芽を母親にたとえたのは、自分でも意識しない母への郷愁であったかもしれない。運平は、いつになく母親の顔を思い浮かべてねつけなかった。
気丈な母で、運平が十三才のとき夫を失っても、まだ年若な長兄を相手に、かなり広い田を作り、あまり小作に渡そうとしなかった母ではあったが、その長兄が五年前にぽっくり、腸チフスであっけなく死んでしまってからは、運平一人を頼りにしていた。
運平は四男であったが、次兄は母の実家の小田原の太物問屋へ養子同様に奉公していたので、戸主の亡くなった後へは、三番目の少し人の好すぎる兄が、婿入りさきから帰って来て、死んだ長兄の妻と一緒になった。
気の勝っている母は、この兄のすることが一から十まで気に入らず、何かにつけて運平を相談相手にしていたのだったから、せっかくの本家の好意で入っていた農林学校を中途でよして、北海道へ渡るという決心はなかなかいい出しにくかった。
ことに、当時の北海道といえば、終身懲役の人を送る場所で、良民のゆくところではないとしか、考えられていなかったから、母の気遣いも思いやられ、いよいよ運平の北海道ゆきが旬日にせまるまで、母には内緒で事を運んだ。
とどのつまり、小田原の次兄に来てもらって、二人揃って運平の決心をうちあけた。
次兄は持前のおだやかな調子で、弟の計画の有望なこと、北海道は、決してそんなに恐しいところではないこと、本家の当主も大そう賛成されて、そのための資金ならば、運平を見込んで必ず何んとかするといわれていることなど、諄々と説いた。
「何しろ、北海道の開墾ということは、日本の国土を展げることで、天子様も御心を用いておられるのです。『蝦夷開拓ハ皇威隆替ノ関スル所一日モ忽ニスベカラズ』と御勅語が出ているくらいで、明治十四年には、畏れおおくも北海道まで御行幸遊ばされたほどなのです。だから、運平の仕事は、皇国のために武士が剣をとって戦に出るのと同じことです」
母は一気に話しつづける兄の言葉を、ひっそりと聞きつづけて、口をはさまない。
「それに、横浜から運平の乗ってゆく船は、大久保利通卿が支那へ談判にゆくとき乗られた大船で、なんの心配も要りません」
兄は黙っている母の気が知れず、そんなことまでいった。母はやがて、見馴れた相馬焼の茶飲茶碗に渋茶を注ぎ、
「濃すぎるかねえ」
といいながら鉄瓶の湯をさしたが、その手がかすかに震えているのを運平は上目で見て、はっと胸をつかれた。
だが、二人に茶をすすめると、母は炉縁にこぼれた湯をふきながら、思いがけなく静かな声でいった。
「そうですか──そりゃあ、本家の新助さんがいわれることに、間違いはあるまい。それに、日本のお国のためというなら──」
あまり静かすぎて、あっけなかった。
運平は、真黒に汚れて田んぼの草取をしたり、野菜物の手入れをしている母親の、どこにこんな端然としたものが隠されていたのか、といまさらのように母を見なおしたが、いくらか白髪の交った髪を小さな丸髷に結い、手織木綿の縞の袷の膝の上で、布巾を畳んだりひろげたりしている老母の瞳には、放心したような色があるだけであった。
運平は、いま、開墾地の夜の底で、その母の心の苦悩を痛いほどはっきりと感じた。そして、もう渡道以来三か月にもなるのに希望の端緒さえつかめないことに心がとがってきて寝つけなかった。
炉の火も消えたのか寒さが加わってきた。莚をたらした窓のすき間から、ほの白く夜のうす明りがさしていた。