北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部


 
 
(3)

 
馬追の開墾地は、急に人がふえた。
 
馬も十頭になった。関谷が札幌から送ってよこす馬は、最初の二頭をのぞくと、後はみな痩せた使用に耐えそうもないものばかりなのだが、草原地に放し飼いにしておくと目に見えて、どんどん肥え、一か月もすると、三頭曳きの新墾プラオをひく逞ましい耕馬に変った。
 
プラオを使って比較的らくに起こせるのは草原地で、樹林地の夏の伐木は手間ばかりかかって仕事もはかどらぬし、同じ起こすにも、木の根が多いから、専ら手起こしで、それも丹念なことをしていれば、一反歩起こすのに十日も二十日もかかってしまう。だから、馬を使って、大量の面積を開墾出来る草原地を春から夏にかけて開墾し、樹林地の伐木は冬にまわすことに運平は計画をたてていた。
 
草原地のほとんどは、茅と熊笹が主で地質の悪いところには荻の根が張っていた。熊笹は晴天つづきの日に火をつけて、焼き払った後を、鋭利で堅牢な根切鉈のついたプラオで起こした。よほど馴れたプラオ・マンがよい耕馬を使って深く起こさなければならぬので、なかなか茅原のようにらくではなかった。
 
その後は爪ハローをかけるのだが、爪にかかった笹の根は他の草のように腐蝕しないから、それをみんなまとめてつみ重ねて焼かなければならない。また茅の中に交っている萩の根はプラオでは起こせないので、いちいち人手を使って先のとがった唐鍬で掘りかえして焼いた。
 
開墾の初年は、土が草の根に閉じられていて、刃もたたぬようだが、それを丁寧に土を砕いて草の根を振い出すような手間はかけていられないから、硬い土に、そのまま蕎麦をばら蒔きして爪ハ口ーでかきまぜておいたり、さきのとがった木のへらで土に穴をあけ、トウモロコシの削り蒔をしたりする。初年に蕎麦を蒔けば、どんなに硬い土地でも、他の作物を作るよりも土が軟らかになると言われていた。
 
大半は、西谷の手によって起こされた草原地には、総がかりで、玉蜀黍と、大豆と、燕麦と、蕎麦を蒔いた。
 
運平の郷里から来た人々も、こんな荒っぽい種蒔をして、いったい、作物がとれるだろうかとあやぶみながらも、なかなか熱心に働いた。お民も、もともと百姓生まれの女だったから体もしっかりしていて、逞しい若駒のようにきびきびと蒔つけをしながら、ときには艶っぽい声で盆おどり唄などうたった。
 
この荒くれ男たちの中のたった一人の女ではあったが、生まれつき男性的なところがあり、そのうえ仙石原の、百姓相手の湯宿で女中奉公もしたことのあるお民は、男を男と思わず、又妙に女くさい気づまりも与えない、さらりとした態度なので、みんなから好意を持たれ、この開墾地にどうやら潤いが出てきたようであった。食事も同じ材料を使いながら、いくらか気のきいたものが出来ることもあり、ときには野良着の綻を縫ってもらうことも出来るので重宝がられた。
 
杉山夫婦は、とりあえず別に小さな小屋をたててそこに住んでいたが、後の四人は以前の拝み小屋に寝おきしていたので、播種の方がひときまりつくと新しく、少し家らしい家を作ることにかかった。
 
多少はやまご(樵、こびきなどのこと)経験もある西谷が指導者格で、樹林地の中の素性のよい塩地を切って割板をこしらえた。これは直径一尺二三寸ぐらいまでの塩地を、六尺ほどの丈にきり、その丸太の切り口に、斧で直線に割り囗をあけ、これに楓の木で作った割矢(くさびのようなもの)をいくつも噛ませてうちこんでゆくと、気持よく割れる。この方法を繰り返して、はじめは二つ割り、次は四つ割というふうに半分ずつに割っていって、一寸二分ぐらいの厚さまでには割れるのだが、その面は鉋をかけたように滑らかでいい板が出来るのだ。
 
その板を使って今度は床が出来た。床板の上には乾草を敷き莚をならべた。この家は丸太の桁も棟木もあり、垂木には特に真直ぐな木と塩地の割板を使ってなかなか堅固なものが出来上ったが、垂木を留める物のほかにはどこにも釘を使わず、湿地に生えた菅を干して綯った縄で縛った。
 
尾根も、周囲の壁も、中仕切も苅に干した野草で、この自給自足の新築家屋は、三間に十間のかなり大きなものであった。もっともその半分は中央から仕切って廐にした。
 
 
新しい小屋に移ったのは六月の終りであった。もう削り蒔きしたトウモロコシが艶のある長い葉をそよがし、ばら撒きした蕎麦は赤みざして密生し、間もなく白い花をつけようとしていた。
 
その夜は心ばかりの新築祝いに、久樽の町から珍しく地酒を三升買って来た。肴は小鳥の丸焼に塩をつけたのと、夕張川で釣って来たウグイの魚田であった。──開墾地には勿論白米や醤油は薬ほどもなかった。白米を食ったり、醤油を使ったりする者は、辛抱の足りない、さきの見込みのない奴として笑われるくらいである──小鳥の焼ける匂いがプンプンと、戸外で農具の仕末や馬の世話をしている男たちの食欲をそそった。
 
日は長かった。八時になるという頃、やっと空が染まって、大きな日輪が朱の円盤に変り光茫をひそめて、模糊とした地平線のあたりに落ちようとしている。
 
「いい天気がつづくなぁ、内地じゃあ今時分は梅雨だんべえによう──」
 
「今頃こっちであんな雨がつづいた日にゃあ、作物はみんな凍えてしまわなぁ」
 
「だけんど、よくしたものよなあ、作物の延びの早えこと、おっかねえみてえだなあ。この土にやぁ、よっぽど肥料(こやし)があるだんべえ」
 
「それにまぁ、よく生えるものさ、まるで子供の悪戯みてぇに、荒地に穴をあけて種をうめたり、プラオで起こしたばかりんとけえ種をばら撒いて、ハローでかきまわしたりしてよ。俺あ、とても見込みはなかんべぇと思っていただぁに」
 
健吉と政一が話しながら、家の前をいくらか庭らしく草けずりしていた。
 
「お晩です。秋月さんいなはりますか」
 
珍しくおちかであった。見違えるほど陽やけして肉のついた体がよくしまり、目もとに女らしい潤いがまして、唇になにやら男をそそる愛嬌があった。
 
健吉は政一と意味ありげな目まぜをして小屋に入った。いれかわりに運平が手を血だらけにして出て来た。
 
「あれぇ、まあ、どうしなはったん?」
 
「いや、いま小鳥の料理をしかけていだんでね。何か用かい?」
 
秋月は目のやり場に困ったらしく、汚れた手を前につき出して右腕で額をこすりながらいった。
 
「へえ、あの、山形さんで、おかみさんが、あの──産まれそうやから今夜は伺えへんいうて──」
 
おちかも、なんとはなしに言葉につまった。秋月の自分を見る目が、どこか変っているようでもあったし、使いの内容が男にいうには恥ずかしい気がしたのでもあろう。
 
「ほう──赤んぼが生まれるのか。そうか、そりゃあ大変だ──お前、手伝いに行ってるのかい?」
 
「へえ──さっき山形さんが呼びにきやはりまして」
 
「そうか──産婆はいるのかな。おい、山形んとこでお産だとよう」
 
運平は小屋のなかに声をかけた。
 
「あら、まあ、そりゃあお目出度い」
 
お民が顔を上気させて出て来た。
 
「まあ、おちかちゃん。このあいだは針をいただいてありがとぅ──私、なんにも用意してこなくてねえ」
 
「いいえ、どう致しまして、長いのよりなくて──」
 
「でも、おかげて助かりましたよ、山形さんじゃあだれかお産婆さん頼みなすった?」
 
「あのう──岩隈のおかみさんが取り上げ出来なはるいうて、さっきから、来とりなはります」
 
「あらそうですか。まあ、あのひとお産婆さんも出来るんですかねえ」
 
お民は秋月と顔を見合せて笑った。
 
「なるほど、口も八町手も八町な婆だなあ」
 
「おいおい、魚が焦げてるぞう──」
 
小屋のなかから杉山がどなった。
 
「あら、大変だ。おちかちゃんまた雨でも降ったら遊びにおいでなさいよ」
 
お民はあわてて小屋に入っていった。おちかは所在なげに一寸もじもじしていたが、
 
「立派な家ができましたねえ」
 
と高い家の棟を見あげた。うす赤い雲が、掃いたように流れている空であった。
 
「どうだい? 草取りで忙しいんだろう?」
 
運平もおちかと並んで家をみていたが、そっぽを向いたままいった。
 
「岩隈はんの方は一番草すんでしもうたんやけど、堀井の家じゃまだ燕麦の中打もすまんさかい、姉さんがやかましゅういうて──」
 
「山形がそういっていたが、おちかさんは、岩隈の養女になるってほんとうかい?」
 
「―」
 
おちかはうつむいて答えなかった。垢じみてはいるか、さすがに娘らしい襟足が赤い半襟からのぞいている。
 
「みんな、いいかげんに騙されないようにしろって兄さんにいいなさい」
 
「うち、もう兵庫に帰りとうなりましたわ」
 
おちかは心細げにいうのだった。
 
「なあに、おちかさんがいやなら、どこまでも嫌だってがんばればいいさ」
 
「でも、うちなどなにいうたかて、誰も相手にせんもの」
 
あんまり無理なこといったら、俺のとこへおいで、といいたかったが、秋月は言葉をのみこんだ。
 
「さあ──あんまり林が暗くならんうちに帰りなさい。山形のところには夜でもいってみるといっといて下さい」
 
運平は向こうから西谷が馬を曵いてきたのをしおに、そういっておちかをうながした。
 

 

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