北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部


 
 
(2)

 
早朝の露をふんで、関谷宇之助が馬追の開墾地を出かけていってから三日目の夕刻であった。今日は、一日中測量に出かけていた運平が、ボンデンをかついだ杉山や政一だちと汗みどろになって帰って来ると、樹林地の入口で、息せききってかけて来た山形権四郎にぶつかった。
 
「秋月さん、大変でがす──」
 
ここで権四郎は大きく息をはき、額の汗を手の申ではらい落した。
 
「どうしました?」
 
大柄な体に似ずとかく些細なことにもあわてるくせのある山形の平常を知っているので、運平は、またかというような薄ら笑いを含んで立ち止まった。
 
「大変でがす。関谷の親方が──」
 
「関谷さんが?」
 
「夕張川の縁で行きだおれになりなすって──」
 
「夕張川? いったいどうしたんです。関谷さんは一昨日札幌に帰られたんだ。なあ? 一昨日の朝だったなあ?」
 
運平は杉山たちと顔を見合せた。
 
「それが──札幌さ行ぐに、江別まで歩いて出られようとされたらしいんでがす」
 
「はあ──そうか」
 
運平は、やっと解(げ)せた面持になったが、急に関谷の様子が気づかわれ、
 
「で、大丈夫なんですか、生命は?」
 
と肩にしていた測量器を政一に渡し、急に自分もあわてだした。
 
「バッタ掘の親父が、魚釣りに行って見付け出したんでがす。もうはあ、すっかり弱っとられて──」
 
五月の中旬に瀬沼と二人で久樽から江別に徒歩で未開地の道もない原野を抜けて札幌に行ったとき、関谷は、二人の冒険を羨ましそうな面持ちできいていた。
 
二人とも若いのう、いい、その意気だ。関谷はしきりに、そんなことをいって感心していたが、とうとう若い者に負けぬ気で、江別まで歩いて出ようとしたに違いない、それでこそ久樽まで送るというのを無理に断ったのだ、と思い当ると、運平は、妙に子供じみた老人の自負心が微笑ましくなってきた。
 
だが、八時をまわっているのか、やっと逢魔が時らしく樹々の影におぼろなものが添いはじめている小道をせかせかと歩いて行くうちに、なにか妙な不安が横切って行った。老人の子供らしい稚気というものが、ぞっとするような不気味さでせまって来たのだ。それが、ひょっとすると関谷宇之助の一生涯を支配したものではあるまいか、と云う疑いであった。
 
それは、丁度、巨木のかげから、ふと、なにか奇妙な小動物がのぞいたのに似ていた。運平は、それを、いまここに書くようには感じたわけではない。なにか無意識に心にさした翳のようなものであった。それが、この馬追の開墾地に結びつけられて考えられたのは、かなりときがたってのことであった。
 
この仕事が、決して運平自身の考えているように、土地に根をはってゆく確実性を持っていそうもないというおぼろげな不安は、あの朝関谷が奇妙な目をしてつぶやいたときからはじまっていた。
 
関谷宇之助は企業家の一人にすぎない。
 
黙々と山形の後を歩いて行くうちに、運平は、はたと思い当った。この仕事に運平自身が打ち込めないひとつの原因もここにあったのだ。
 
おれは、企業家の番頭にはなりたくない。そんな反撥に似た思いで運平は肩を張った。
 
山形の開墾小屋には、それのあるために一層暗さを呼ぶようなカンテラがともされ、その灯かげの、やっととどくあたりに、死んだような関谷が寝せられて居た。一昨日別れたときの関谷とは、まるで人の変った小さな老人の寝姿を前にして、運平は言葉もかけずにのっそりと坐りこんだまま腕を組んだ。
 
白いものの交った髯がたるんだ皮膚にぼうぼうとのび、眼球が深い骨の底に落ち込んで、濃い影を作っている。ごく低いけれど、たしかな呼吸をつづけるたびに、いくらか小鼻が動いていた。唇には血の色はないが、それでも相変らずに口端を下げ気味にしっかりと結んでいるところだけは、関谷のまだいかにも生きつづけるぞという意慾がはっきりと感じられて、運平は、どう云うわけか妙に小憎らしい気がしてくるくらいであった。
 
山形の家の赤子が、急に甲高い声で泣きはじめると、関谷は、ぽっと薄目をあけて、いかにも視力の乏しいまなざしを勣かした。運平は目のまえに顔を持って行って、緊張の後のひからびた声で、
 
「御気分はどうです?」
 
と笑ってみせると、関谷は嬉しそうな表情で安心したように目を閉じてうなずいてみせたが、そのままに昏睡の状態に入っていった。
 
 

(3)

 
 
「どうにも儂は若い者のすることが羨ましくてならんのですわい。ハハ……年甲斐もなくと笑わんでください」
 
そう前置きして関谷宇之助の語ったところによると、その遭難の顛末は大体次のようなものであった。
 
秋月さんに別れて久樽まで行くうちは、別にそんな冒険をやるつもりもなかったのだが、渡しを渡って空を見ると、あの日は風もないし、暑さもさしてきびしくはなく、なんだか奇妙に心が浮きたつような日でしたわい。ふと、あの堤の上で左の方を見ると、くっきりと晴れた空にひろびろと平原がつづいていて、ひどく平坦にみえました。
 
江別はあの見当だ、なるほど、それを、わざわざ逆に岩見沢まで四里の道を歩いて行って、汽車に乗るのはどうにも馬鹿々々しい話だ。若い人たちが歩いたというところだ、それに自分はもう北海道には馴れている。四五年前には、漁場稼ぎの後、ちょっとした山師をやってスッカラカンになり、船にも乗れず増毛から空知太へ山越えをやった経験がある。
 
もっとも、そのときは、あのバッタ掘と一緒で、民家からもらった南瓜(かぼちゃ)で三日も生命をつないだりしながらではあったが、なあに、今だって、あの頃から大した年をとっているわけでもないし、それに江別までは平地のことなのだから、あの山越えにくらべればらくらくと、正午少しすぎには着けるだろう。そう思うと儂は、そのまま土手を下りて道をそれたのですわい。
 
どうも、昔からの性分で、思い立ったことは、すぐそのまま実行に移さないでは、矢も楯もたまらないという悪い癖で、このときは、もう歩くということだけに気をうばわれ、磁石も持たず、弁当も用意していないことなどは念頭には浮かびもせんのでした。
 
ひどく愉快な、若々しい気持で、五尺にあまる萱(かや)や七つ葉、蓬(よもぎ)などの繁るあの夕張川の岸近くをしばらく行くうちに、いつか地質は卑湿になり、芦(あし)が六七尺も伸びていて、目さきがきかなくなりはじめました。
 
それをおしわけてすすむと、又しばらくして芦がだんだん短くなり、矮生の榛(はしばみ)やサビタの木が疎生する泥炭地に変ってきましたが、気がついてみると川に添って歩いていたつもりが、いつか川からは離れてしまっていて、どの辺に夕張川が流れているのか、皆目見当がっかなくなってしまいました。
 
頼りにしていた夕張川を失ったと思うと、何だか、はっとしましたな。これはうっかりすると迷いそうだと思いましたが、まだその頃はなあに、この見当で行けばきっとまたあの気まぐれに曲がりくねっている川にぶつかるに違いない、少々不安ではあったがそう思って泥炭地を西に向かって進みました。
 
今度は木が小さいからさきも見えるのだが、何といっても泥炭地のことで、地盤が軟かくて、下手に踏み込めば膝まではいってしまう。さきの方には水溜りもあってすすむことが出来ないこともある。土地の硬そうなところを選んだり、水溜りをよけたり、右に行き左に曲がりしているうちに今度は、いつか木の丈が高くなって、密林のなかに入り込んでしまいましたよ。
 
そうなると、熊笹がやけに大きくなって、さっぱり方角がわからなくなってしまいました。儂も、この辺になって少々あわてだしましたわい。まず落ちつくことじゃ、そう思って、栓(せん)のたおれた木に腰を下ろして、ゆっくり煙草を吸いました。
 
さっきまで歩いていた痩地(やせち)の楢(なら)や柏(かしわ)の原生林は下草も短いし歩き易かったが、妙に寂閑としていました。ああいうところには動物も鳥もすんでいませんな。まるで死んだみたいに静かで、何百年、何千年、この姿のままでじっとしていたという様子で、かえって凄いような怖しさがあるものですなあ。
 
だが、その煙草を吸ったところは、地味が肥沃で、立派な巨木ばかり空に枝をのばしていました。この栓はいい素柱だ、いい割板がとれるわい。私は、わざと、そんなことを考えたり、古いタモの樹の木理(もくめ)のよさそうなのを物色したりして、心を落ちつけようとしました。実際、火鉢にしたらと思うようなタモのいいのがありましたぞ。花器(はないけ)にしたら専門家がとびつきそうなコクワ蔓の差し渡し八九寸もありそうなのもありました。
 
栗鼠(りす)の奴が人間なぞはじめてだとみえて、すぐそばまでやって来て、けげんそうにのぞいているのですわい。鵯(ひよどり)や黒鶇(くろつぐみ)が高い声で鳴いているし、山鳩がばさばさと頭の上を舞っていて、いや実に賑やかで陽気な気分でしたな。
 
だが、歩き出すと、熊笹が体をかくしてしまうから、どうにも見当がつかない。倒れ木にぶつかって膝を痛める。ひょいと、笹を分けた拍子に熊(おやじ)と鉢合せをしないともかぎらない。いやはや、全く、泣き出したくなりましたよ。
 
そのうちには、視界の展けたところへ出るだろう、そう思って今度は見当もなにもない。ただしゃにむに歩きましたな。もう正午はとうにすぎていました。何とか歩いているうちに、大分陽が傾きかけて林のなかが薄暗くなり出し、跫音に驚いて梟(ふくろう)がばさばさ飛び出しはじめる頃になって、やっと樹林地をぬけて草原地に出ました。
 
だがどうにも今度は江別の方角が見分けられない。測量線の標杭も有るにはあったのじゃが、悲しいことに読めませんわい。儂はあのときぐらい文字を知らないのが残念だと思ったことはごわせんでしたなあ。
 
そのうちどうやら夕張川らしい川の端に出ました。ところが、そこが夕張川の下流の千歳川なのか、それとも、久樽に近い夕張川上流なのか、或は中流なのか、さっぱりわからぬ。川について下るとしても、もし上流とすれば、江別に出るには大層な里程で、とても薄明りのうちには着けない。むしろ川を遡って久樽にひきかえす方がいいのだが、と、とつおいつ思い迷い、なにがなんだか混乱した頭でいろいろ考えては上ったり下たりしているうちにまっ暗になってしまいました。
 
日が暮れたと思うと、急に空腹を感じ出したが、手さぐりで、やっと川端に下りて川の水を飲み、それから、木の根本に蹲(うずく)まって、とにかく夜を明す決心をしました。
 
ところが大変な蚊だ。歩いているうちは、さほど気づかなかったが、坐ってみると、がんがん言うほど顔のまわりに群りによって来る。それを追っていたんじゃあ、一晩中眠らずに手を動かしているほかないのじゃ。仕方がないから、手拭を出来るだけ広げて前から後に頬かぶりをした。すると今度は襟首だ──しまいには懐の中に入り込んで、胸や背中まで食われ出した。
 
一日中歩きまわったのだから、体はくたくたで、神経がもうろうとしてくる。馬鹿に大きな草の葉が頭におおいかぶさってきたような気がするかと思うと、立木が動き出して近よって来るけはいがする。はっと思うと、目の前の柳の木の向こうに川の水が白く光って、水音がつづいている。いつか、秋月さんが聞いたといわれる野地ベコの声らしいものも遠くで聴えている。
 
寂とすると、ガサゴソと、熊の跫音がせまって来そうな気がして、梟でもなけばいいと思う。とろとろしては無意識に手を動かして蚊を追う。いやはや、あんな心細い思いははじめてですなあ。自分の居るところがどこだか、皆目わからぬくらい頼りないことはないものですて。
 
やっと東が白みはじめたときは、救われたように吻(ほ)っとしました。何だか、そのとき、遠くの方で鶏(にわとり)の声が聴こえたような気がしました。二声三声、たしかに鶏の刻を告げる声がしたのは、耳のせいばかりでもないらしかったので、儂は急に元気づき、たしかにその方角が江別で割合に、もう近くまで来ているに違いないと思いました。それから川を右にそれて、夢中になって鶏の声のしたと思われる方角に、疲れも忘れて歩き出しました。歩き出してからも二三度鶏の声を聴きました。
 
たしかに江別は近いそう思って元気づいては歩くのですが、まる一日何も食わぬから体がふらふらしている。何だか耳鳴がして目がくらみそうにもなってくる。そのうちに、どう見当が狂ったのか、いつまで歩いても江別はおろか、どこかの開墾地にさえも出ないのです。
 
鶏の声は、もう、しません。がっかりして草のうえに坐り込んでしまったが、これは、いよいよ大変なことになったぞ、と、頭の、どこか澄んだところでそう悟りました。
 
あくせくと、こう無茶に歩いていたのでは、体は疲れるばかり、何かで腹をふさがなければならぬ、と気づいたので、ウバユリの球根を掘って焼いて食おうとしたのだが、間の悪いときには悪いもので、どこかにマッチを落としてきてしまっている。煙草も吸えない。
 
仕方がないから、ウバユリの根の泥を拭いて、生で噛ってみたが青臭くって喉には落ちない。むりに汁を飲み込んだが、胸が悪くなるようだ。ふくべらの葉を生のままかんでみたり、アイヌねぎを噛ったり、なにか食えそうなものは食ってみましたが、とても餓を凌ぐまでにはゆかない。
 
二日目も、前の日のように、あっちこっちと廻り歩いたが、どうしても江別には出られない。こうなってくると、人間の脳の働きもまことにたのみにならぬもので、自分がすすんでゆく方向に自信がないから、暫く進行するうちに疑いが起こり、まっすぐにすすみかね思いなおしては、右か左かに転向する。そうして少し行くと、疑念が起こってまた方向を変えてみる。
 
そんなふうにして二日目の夕方になって、また川端に出たが、もはや、身心ともに極度に疲れたうえに、飢餓のために眼もくらむばかり、ズボンの膝頭は破れ、跣足袋の先は摺り切れて、五本の指が露出し(むきだし)になっている。上着は荊棘(いばら)にひっかかって破けほうだい。自分ながら、そのみじめな有様を見ると、もうこれは、死を覚悟するよりほかはないと、観念しました。
 
いったん死を覚悟すると、不思議なもので妙な落ちつきが出てきました。ふらふらする体で川辺りまで行き、岸の草につかまり腹這いになって、ゴクゴク水を飲みました。すると頭が急に冷たくなったような感じですみきってきました。
 
儂は、顔の水をふきながら、このうえはこの川岸をはなれることは出来ぬ、ここで水を呑んでつづく限り生命をつないでそれから死のう。それまで万が一、木材流送の人──御承知のようにそんな人のほかは、この無人境にはいりこんで来る者はない──の目にかかりでもすればあるいは助かることもあろう。こう心に決めて、ホシ(脚絆)をぬぎ、それを川から見える柳の枝に結びつけて、目標になるようにしたものです。
 
それから、楡(にれ)の木の根本に凭り(より)かかって、うとうとしはじめました。もうその晩は蚊に食われることも、さほどうるさくも感じられず、ぼんやりと、なんだか子供の頃、播州の田舎で水遊びをしていたことが思い出されたり、三十年も前に死んだ母親の声をはっきり耳もとに聴いたように思って目がさめたり、眠っているとも、醒めているともつかぬ状態で夜がふけていきました。
 
時折、ふっと、はっきりした意識が返ってくると、大変なことになった、つまらぬ死にかたをするものだ、と、吾ながら情けなくなるのですが、すぐ、また、もうろうとしてきて、この今の自分が、こういう夢を見ているんだという気がしてきたりする。どうも、一晩で人生の半分を送っているみたいな変な気持でごわしたなあ。
 
翌日の正午頃でもあったか、あの日はよく晴れて風もなく、鳥の声もあまりしないしんとした太古のような日でしたわい。儂は、太陽の光が木の梢からふり注ぐのを、神様の恩恵のようにあおむいたまま体中に浴びておりました。一晩中寒くて寒くてならなかったのですからな。そうして、何だか、人間が動物や鳥類と同じように、人目のないところで、ひっそりと死んで行くのは、大昔には普通のことであったに違いない、などと考えていたんですわい。そして、この自分の死にかたが、ひどく気に入ったような心地になって、ぼんやり楡の木の梢を見あげていたものです。
 
すると、すぐ近くで、「お──い」という声がしました。突然の、その人間の声は、どうも耳のせいとしか思えませんでした。すると、すぐまた、つづいて「お──い」と同じ声がして、二十間ほど離れたあたりで、熊笹がガサゴソいっている。儂は、ふらふらとよろめきながら立ち上った。
 
人だ、人だ。「お──い」とすぐ私もその声に答えたが、カ一ぱい出したつもりの声が、喉の奥でかすれて、向こうの耳に達したかどうか、何度も必死に「お──い、お──い」と呼びながら、儂はこけまろび、狂人のように熊笹をかき分けていました。
 
あのときなんの気まぐれか、魚を釣りに来たバッタ掘親父は、よくよく私と因縁が深かったとみえますなあ。ひょいと、向こうの顔が見えると、儂は、その場にへたへたと骨がぬけたようにくずれてしまったもんだ。
 
「ウォーウォー」と、自分の声ではないみたいな奇妙な声が喉の奥から出て来て、とめることが出来ませんでした。バッタ掘親父の顔があの時ぐらい立派なかおだと思ったことはありませんでしたな。いや、よく気をつけてごらんなさい、あいつはなかなかよい顔をしておりますぞ。
 
語り終えると、関谷は、その恐しい想い出が、まるで何か、ひどく愉しいことでもあったかのような顔をする。彼にはその冒険も、やはり、彼の生涯の数々の困難と同じように、もはや、愉快な記憶になって残されているらしいのだ。
 
運平は、この関谷の逞しい生活態度に、やはり尊敬の念を払わぬわけにはゆかぬ。あのとき、あのまま死んでいたら、などということを関谷はいわぬ。その物語りに老人らしい気弱さの見い出せぬことが、関谷自身を対照としてよりも、人間そのものの頼もしさを感じさせる。
 
──儂には、何だか、その死にかたがひどく気に入ったような気がしてきて──
 
という関谷の表現は、運平には、只彼の負けぬ気の豪放さからばかりではなしに、窮極の人間の心理として受けとれ、何か心強い安心を感じさせられるのであった。
 

 

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