(6)
バック掘は、秋月が相手にしないので、何かぶつくさいいながら、ふらふらと町の方に向かっていった。ふりかえると、おちかがおびえたような瞳をしてそばに立っている。
「しようがないな、ああ酔っぱらってばかりいて──」
運平は、くずれた着物の襟をなおしながら苦笑した。
「あのひと素面のときないみたいやわ」
「だから、いつまでもバッタ掘親爺なのさ」
「うち、酒飲み大嫌いやわ。なにが面白くて、あんなもの飲むのやろ。家の兄さんも、鈴木の小父さんも。そして、賭ごとばかりやって──」
二人は、いつか人混みをはなれて、川べりに近い野の中に立っていた。
おちかは、あおむいて月光にぼやけた緑色の夜空を見あげている。秋月は野の草をみるような目をしておちかを見た。いつかは、兄たちの犠牲になるように約束されているとしか思われぬこの娘の運命のさきが見えすいているのだ。
「仙吉君、この頃は行かないかい?」
そういう秋月の問いに、おちかは赤くなったらしく、
「ええ──」
と、ちょっと息をはずませたが、
「そのことで、うち、阿呆や、阿呆やいわれとるの──お前のような阿呆は、冬になったら、あの、白首屋(ごけや)に売ってしもういうて──」
と、終りの方はききとれぬくらいな声であった。
「まさか、そんなことはしないさ」
運平は打消したものの、内心、なんともいえぬと思った。おちかも、運平の言葉が単なる気休めにすぎないと思っているらしく、ちっともそのために明るい顔はしなかった。仰向いた円い頬を涙が光ってころがりおちた。
「うち、これから、どうなるんやろ」
おちかは、自分にいうように低い声でつぶやいたが、急に袂のなかにかおをふせてすすり泣き出した。若い運平の心は痛まないわけではない。しかし急に泣き出したおちかを、どう扱ってよいのか、運平は気の毒そうな困ったおももちで見下しているばかりだった。盆踊の夜の興奮が、急にこの涙に変ったものらしかったが、女のあつかいかたを知らぬ運平は、そばにつっ立つたままどう慰めてよいのか弱りきっていた。
「馬鹿だなあ、取り越し苦労なんかして、大丈夫だよ、お前を売るなんて、そんなこと兄さんたちだってしやあせんよ。さ、もうよしなさい」
運平は、とにかく、気休めをいって、仕方なしに、ためらいながら、そっとおちかの肩に手をおいた。浴衣の糊が、しっかりと夜露にしめっている下で、しゃくりあげる円い肩が震えている。
「ほう、こりゃお安くありませんな」
小用でもたしに来たのか、夜目にも色白な仙吉の顔が月光のなかで作り笑いをしている。
「どうも、秋月さんらしいと思ったが、ハハハ………よもやあなたのような堅人が、こんなところで女の子を口説こうとは、いやはや、人は見かけによらんものですなあ」
仙吉は、酔っているのか、芝居もどきにからんでくる。おちかは、仙吉を見ると、はっと、身をちぢめて秋月の後にかくれた。
運平は、妙な雰囲気のなかで、いやでも仙吉と対立する形になってしまった。秋月は内心むやみに、いまいましくて答える気にもならない。
「ねえ秋月さん、偉そうなことをいったってあなただって、おちかに気があるんじゃないですかね? ハハハ………だからあなたの情婦かっておきき申したんですよ」
「なんとでも、君のいいように解釈し給え。僕は、ただ、君がそうやって、ねちねちからんでくるのが一番いやなんだ」
「へ、それは済みませんな。だが、このねちねちは持って生まれた性分でしてね。それでもあなたのように、いきなり横ッ面を殴るよりはましかもしれませやね」
「よし給え──おちかがほしいなら、さっさと女房にしたらいいじゃないか。女の腐ったのみたいに、いいがかりをつけるのはやめてもらおう」
秋月は自分を抑え抑えいっているつもりだったが、口調は烈しくなるばかりで、胸のそこからつき上げてくるものを制しきれないのであった。おちかは、運平のかげで息をはずませている。
「女房に? ハハ………女房にか、飛んでもない。そんな泥っ臭い女が──あなたならいざ知らず、この私が、そんな女を、女房に出来るとお思いですか?」
仙吉は軽蔑しきった調子ではきすてるようにいった。
「じゃあ、なぜおちかの尻を追いかけ廻しているんだ」
運平は思わず一歩前に出た。
そのときだった。二三人の人影が運平の背後に近づいてきたけはいで、彼は、はっと息を殺し、とっさに身の構えを変えた。三人の男は道路工事の大夫たちらしい。
「此奴だ、こいつだ」
「生っ白い面しゃかって」
三人の男は、秋月には目もくれず、相手はかえって仙吉の方であった。
「生意気に馬になんか乗りやかってよ──旦那面がきいてあきれらあ」
男たちは、浴衣がけもあれば、半裸体のもある、揃って逞しい体にありったけの気負いをみせているのだ。
「おう、関谷農場の旦那、お前なんだって俺等の道を踏み荒しやがったんだ」
「なんの恨みがあって、六号線にあんな馬の跡をつけたんだ?」
運平は、おちかに、帰れと、顎で示して、それから腕組をした。彼はこのときになって、やっと事件の真相がのみこめたのであった。この辺には、今新しい道路工事がはじまっていて、原野を切り開いての新道が造られている最中だった。ことに、泥炭地に近いあたりの道は、地下六尺も下に川柳などの丸太を隙間もなく並べ、そのうえに盛土して恒久的な作業が営まれているのだった。仙吉は、そのような道路のひとつを、得意な馬の蹄で目茶々々に足跡をつけたものらしい。
「おい! 何とか返事をしねえかよ」
「まさか嘘だとはいうめえ。六号線は、昨日の夕方地ならしがすんだばかりなんだ。後はローラーをかけるばっかりってとこへ、うぬ、よくしゃあしゃあと馬を乗り入れやがったな」
仙吉は、さっきの勢はどこえやら、真蒼になって今にも逃げ出したい恰好だ。だが、逃げ腰になれば、男たちはすぐに殴りつけそうなけはいである。
「なにか私か、君方に不都合なことでもしたっていうのかね?」
声はうわずっていて震えをおびているが、それでも運平の手前もあるので、どうやら、関谷農場の親方の威厳をたもとうと骨折っている。
「うぬ、知らねえとはぬかさせねえぞ。昨日の夕方六号線を馬で行ったのは、関谷の若造だって。ちゃんとだるまやのお千代がいってるんだ。へ、でれでれしやがってよ。お千代の女(あま)あ笑ってたぞ、色男面がきいてあきれらあ」
そのなかの目玉のキョロリとした痩形のが、肩をそびやかしにくにくしげにいった。
「昨日の夕方六号線を馬で帰ったのは、いかにも私だが、それが──」
「それだからよ、血のめぐりの鈍い奴だなあ。お前の馬のおかげて、せっかくの地ならしした道は大痘瘡(とうそう)よ。車馬通行止って字が読めねえのか」
「そ、そりゃあすまなかった。なんだか馬鹿にぬかると思ったんだが──」
「あたりめえよ、ローラーのかけてねぇ泥炭地の新道だ。地面はまぁだ処女(おぼこ)娘みてえなもんだ」
「プッ!! こいつに、そんな味が分るけえ」
「ちげえねえや、お千代の女(あま)にいい気になってはまり込んでよ、なあ、松兄いがついてますよっ、てんだ」
「よせよ、そんなこたあ後廻しでいいんだ」
と、そのなかの松兄いと呼ばれるらしいずんぐりしたのが前に出た。
「旦那、さあ、何とか御挨拶がうかげえてえもんですな」
眉の上にひっつりのあるひとくせありげな面構えの男は、ものやわらかななかに凄みをみせていった。
仙吉は、三人につめよられて、狼狽の極に達していた。今は、運平への見栄も何もない。助けをもとめるように、運平の方をぬすみ見るのだが、運平はわざとそしらぬ顔で少し離れてつっ立つたままだ。おちかの姿はもうなかった。
「おう、何とか挨拶をしろってんだ!」
丈の高いのが、とがった声でどなった。三人は、おじけづいている相手が面白くてならぬらしい。
「まったく、その、気がつかないで、すまないことをしました。謝まります」
仙吉は、日頃の屁理屈はどこへやら、すなおなものだ。だがそんな挨拶で満足する相手ではない。
「へ、すまねえと? すまねえですむと思ってんのか」
と、のっぽの男。
「旦那御挨拶はそれだけで?」
いやに慇懃な松の方が気味が悪い。
「じゃあ、ど、どうすればいいんだね?」
仙吉の声は震えている。
「おれたちゃあ三人、いいかげん悪態をついたから、少しゃあ胸も空いたが、仲間の奴らあみんな腹が納まらねえんだ。なんとか、色をつけてもれえてえもんだ」
「松兄い、めんどくせえ、やっちまえよ」
一番若いのがわざとらしく腕をさする。
「その、生っ白れえ面をひっぱたかせろってんだ」
声の大きいのっぽが又どなってつめよった。運平はこのときになって、おだやかな調子で三人に声をかけた。
「まあ、待って下さい。僕が関谷農場の責任者の秋月運平です。この人は、まだ土地の様子がよく飲み込めとらんので、とんだ御迷惑をおかけしました。いや、僕の不注意でした」
運平のいるのを忘れていたらしい三人は、横合から名乗って出た相手にうさん臭そうな目をむけたが、
「おう、あんたが秋月さんか」
と、松というのが向きなおった。
「秋月さんなら物がわかろう。お聞きの通りの仕末なんで──」
運平は、ことによっては仙吉をかばって殴り合いも覚悟の前であったが、相手が急に調子を変えたのが気味悪かった。
「いや、よくわかりました。そりゃ、みなさんお憤りになるのも御尤です。どうでしょう? まあ、だるまやにでも行って、一杯やりながらお話をつけようじゃありませんか?」
だが、どうやら、松と呼ばれる男が、自分の名を知っている様子なのに自信を得て、運平は、いつになく、さばけた調子で三人を誘った。他の若い二人は、何だか、まだ仙吉をからかいたい様子であったが、松になんとかいわれて、結局、運平の申し出をうけることになったらしい。ほうほうの体で人混みの方に帰って行く仙吉を見送ると、運平は三人をうながして野を横切り、街の灯の方にむかった。
まだ盆踊りは爛で、一々は、一層狂乱に近いさわぎをつづけているらしい。もう家に帰る人でもあるのか提燈が鬼火のように野の道を動いていた。