秋月運平の日記
九月十六日 晴 朝食後一行三名、各自座頭の天薗(あたま)大の握飯を作り腰につけ、一夜の宿借りし、ぽんびばい川辺の焚火に水をかけて消し、世帯道具を始末、例の如く駄鞍の横にっけて出発せり。
歌臼は市街予定地なれども、殆ど民家無く橋のたもとに僅に二三戸の茶店あるのみ。此のあたりより空知川縁迄、新道をはさみて、両側は白樺の樹林なり。蒼白なる大小の樹幹群立し、未だ緑鮮かなる林中に寂として鳥声なく自然の妖気満ちたるに似てもの凄かりき。
木の香新しき空知川の橋を渡り五六町にして空知太に至る。空知太は岩見沢より戸数多くして有望なる市街地なり。ここに関谷氏の知人越智喜三郎氏、旅館を営まれ居れり。三人馬より下りて休憩す。茶菓子を食すれば、相当なる茶代を置くの余儀なきに至るを思い、小児よりなお喰辛抱なる三人、涎を飲みて我慢し、湯茶のみ多く飮みて少しばかりの茶代を置き出発す。
昼食の握飯は、各自不定時に馬上にて平げたり。空知太の市街を出抜けたるあたりの両側に空知太屯田兵の住宅立ち並び、道悪し。途上、半径以上を泥土に埋めたるまま放棄しある車輪を見たり。
須磨馬内(すままない)、沖里河(おきりか)等、十二戸の茶店あるのみにして、場所の名なるや、茶屋の名なるや判明せぬ所を過ぎ、水量豊にして、秋空を写せる石狩川に添いて進む。
音江法華(おとえほっけ)と云うあたりに来かかりし時なり、道路の南方に開墾地あり、その家屋の前なる三十歳前後の男、鉄砲を持てる余を呼び止めて日く、今夜我が家に泊り給え、必ず狐を撃つことを得ん、と。時すでに夕刻なれば一行三人その民家に泊る。
上野栄三郎という人にて此春貸下げ地を受け、妻君と二人入地せりという。地味肥沃ならず、附近は白樺、柏等の疎林と、萩、女郎花、桔梗等秋草としては美しけれど瘠地に多き雑草繁茂せり。此のあたり、概して、地味肥沃なる土地はすでに屯田兵村或は有力者の占有地にして、其の他は殆んどかくの如く見込みなき土地なり。
この家の主人は容貌骨格共に立派なるに反し、妻君は、至って無口の人にて、瘠せ姿の、チヂレ毛、赤ら顔の女なり。とはいえ、北辺の未開地にして、女人少き折なれば、主人はこの妻君を玉の如く大切になし居れり。
主人の言によれば狐は毎夜十時頃、必ず家の近くに来り、家の窓より六七間先の表庭に掘りたる穴に毎日の食品の残物、魚骨など投げ棄て置くを漁るにて、家人未だ寝に着かず、声高に談笑し居るも尚恐るる様なしという。
余は、暗中の狐に狙いを定むるの難きを思い、その家の主人にランプを持ち出させて、その穴の上に下げさせ、それを狙をつけ、銃身は窓際のテーブルの上に据え付け動かぬようにして、障子の穴より銃口を出し装弾し、引金を引くばかりにして狐を待つこととせり。
されど、開墾地の夜次第に更けいき、杉山瀬沼らも談笑に疲れて眠り、チヂレ毛の妻君も炉の向こうにて居眠り始むるに及び、余も亦日中の旅行疲れにて、とても起きては居られず。困ったことを引き受けしものかなと、心ひそかに後悔せり。
察しのよき主人は、余の困惑に心付きしならん。狐が来たら私が引金を引きますから、お客さんはお休み下さい、という。余は、勧めらるるままに主人にまかせて、そのまま毛布にくるまり炉端にてごろ寝せしが、少し寝たと思う頃、突然、お客さんお客さん。里子々々。と呼ぶこえに眠をさまされて飛び起きたり──里子とは妻君の名なりき──見れば主人は大きなる狐を提げ来りて土間に投げ出したり。
主人の語るをきけば、彼は、根気よく寝ずに待ち居りしが、果たして狐来たりて穴のまわりを徘徊す。主人は胸波立ち体震えてうまく撃てそうにもなく、よほど余を起こさんとせしが、その中に獲物の逃走するを恐れ、思い切って目を閉じ、夢中で引金を引きしという。弾丸は見事命中し、狐は二三度飛び上りて後斃れしとなり。主人息をはずませ、手柄顔なり。チヂレ毛の妻君もはじめて笑顔を見せ、気味悪げに死にたる狐に手など触れ居りたり。
九月十七日 晴 昨夜は狐のさわぎにて、あまりよく眠れず、早々に、この家を辞せんとすれば、主人余をひきとめ、狐をお持ち下さいと云う。重ければ皮だけでも剥いで、と切にすすむれど、宿料の足しにと、受けとらず音江法華を出発せり。杉山は少し残念げに、あいつを煮て食うたら美味かったろうにといえり。
風少しあれど、秋空は、いよいよ高く、余等が望まんとする上川盆地はもはや六、七里の先なり。このあたり、石狩平野せばまりて、丘陵左右より迫り、やがて、風景絶佳の名ある神居古潭にかからんとす。一行三人高らかに詩を呻じつつ馬上勇将を気どりて進む。
道は、石狩川を離れて丘陵にかかっていた。
いたやと落葉松の林をぬけると、そこは、ほぼこの小山の頂上でもあるのか、測量の三角点がたっていて、明るく展らけた草原で三国峠と新しい棒杭が立っている。三人はいい合せたようにここで馬をとめた。
「こりゃあ素晴しい! 見ろ、見ろ、大きな原野だ。広い土地だぞ!」
運平は、思わず興奮した声で仲間を喚びかけた。北方、石狩川を隔てて茫々と連なる一面の草原地である。これこそ、運平の理想とする一眸平濶な草原の沃野だ。秋空のはるかな方に増毛の山脈が霞んでいる。
「あれだ。あれだ。あそこがいい。素晴しい土地だ。広いぞ、広いぞ──」
運平は、わめくようにいった。馬が乗手の心の動揺を感じてか、少し土を蹴った。
「あれか──」
瀬沼は冷静だ。
「駄目じゃよ。ありゃ雨竜郡だ。駄目じゃよ」
「何か駄目だ?」
運平は、馬を静めながら憤ったような調子でいった。
「あの辺一帯は、もう、二三年前に三条、菊亭、蜂須賀の三公爵が共同して、一億五千万坪の貸下げを受けとるんだ」
瀬沼は、運平の興奮を哀れむように、そして、なにかいくらかは誇らしげな声音だった。
「公爵だって?」
運平は、紅潮した顔をむけた。瀬沼の、何か勝ち誇ったような態度がぐっと癪にさわった。
「そう怒ったってしょうがないよ。何でも華族組合というんだそうじゃ」
「一億五千万坪っていえば──君、五万町歩じゃあないか」
運平は思わず嘆息をもらした。
「そうだ、五十町歩、百町歩というのとは一寸けたが違うさ」
「だが、まあだ、さっぱり人は入って居らんじゃないか」
「心配せんでもいいさ、華族さんたちが、そのうち金も人も入れるんじゃろう」
運平は、何だか、どうも腑に落ちぬ妙な気持で興奮のやり場に困った顔をした。それにも関らず相手の瀬沼はいやに落ちつきはらっているし、杉山は相変らずにやにやして煙草を吸っている。運平は、自分ばかり興奮したのが少し決まり悪くもなって、妙にてれてしまった。
寝た間も頭を離れぬ土地を求める熱情が、しょせんは、ひとつの夢にすぎぬのではあるまいか、という妙な虚無感が空の果から押しよせて来るようで、運平は黙っているのがたまらなくなってきた。背負っていた銃に弾丸をこめると縹渺とした増毛の山脈に向かって引金をひいた。虚空への反響があった。こころに沁みとおる無声の反響である。ひととき、ひっそりとした秋風のなかで虫の声がしていた。
「せいせいしたか?」
瀬沼が紙袋から出した黒砂糖をほおばりながらいった。
「うん、いい気持だ」
「ハハハハ」
運平は、まだ焔硝臭い薬莢をぬきとり、カチリと音をたてて銃身を閉じると、今度はわざと、元気のよい調子でいった。もはや平常の自信に満ちた彼であった。
「上川盆地は、もっといいところだぞ。地味はいい、夏の暑さは烈しい」
「そうだ。なんでも今年あたり上川の農作試験場で、米を試作してみたそうだ。暑いから出来るだろうというのじゃがのう」
「水田か?」
「そうだ、この間、道庁の役人たちが、そんな話をしおるのをちらと聞いた」
「米が出来りゃ問題はない」
運平は、目の前に展がる沃野が、もしこのまま水田になるのだったら、と夢のような想いの中に沈んだ。
北海道が、仮に水稲の耕作に適した風土であるとしたなら──農耕牧畜適地と撰定された二十八億六千六百八十万坪、即ち九十五万五千六百町歩の中、二十万町歩が水田となったとして、反当り二石とみて、四百万石の米が収穫されるわけだ。惜しいことに、この土地の米作は、まだ希望がうすい。
「水田がいいなあ──僕は、やっぱり米が作りたい」
運平は、目の前の未開の平原を、青々とした稲田におきかえてみながらいった。
「だから、俺は、他日のために、必ず平地を選ぶ。しかも、水利の便のありそうなところだ。きっとここもいつかは水稲が出来るようになるに違いない。今、ここらでやっている陸稲でないほんとの米作だ。日本は瑞穂の国だ、稲の出来ないはずはないんだ。だが、僕は、やっぱり百姓の子だな。どうも今年一年稲を見なかったので、妙に稲田がなつかしい。今頃は、郷里じゃあ、もうそろそろ色がつく頃だぞ、なあ──」
杉山をかえりみて運平はいった。
「そうよなあ──稲刈り頃はいいなあ」
杉山も空の果てに、郷里の色づいた水田を思い浮かべているような瞳をした。
「貴公らあ、やっぱり水田のなかにはいって、蛭に脛を喰われたいのかのう」
瀬沼は、ちょっと軽蔑したような笑いかたをして馬の手綱をひき、
「さあ、出かけようぜ、もうじき神居古潭だ。日暮までには忠別太じゃ」
と、二人の感傷を払い落とす調子でさきにたった。だが秋月運平は、なかなかにこの沃野を目の前にして離れがたない気持であった。九十五万余町歩の選定地があるというのに、耕作されている土地は、わずかに五万二千町歩にすぎないではないか──土地は、こんなに荒れたままで石狩川沿岸至るところに放りっぱなしにしてあるというのに。そして、このように、土地を探しまわり、自分の生涯を打ち込んでしようとする開拓の志を抱きながら、空しく時を過している者かおるというのに。
そうだ、もっと合理的な上地の開放が行なわれて、勤勉な農民が沢山に移住するなら、二十万町歩の水田が稲穂を揃える日もくるかもしれない。稲の品種の改良と、水稲の耕作法の研究によっては、四百万石、否、もっと多くの米が、この北辺の土地から日本の富として産出される日がほんとうにくるかもしれない。
彼は思いに沈みながら馬を駆った。だが、もはやたれにも、そんなことは語らなかった。それは彼一人の夢であって、他の二人には通じない百姓の子のあこがれであった。