明治五年に、ライマンが上川視察に来た頃は、土着の日本人は一人もいなかった。只、アイヌと交易のために上川に往来する和人が二三人あって、そのなかの鈴木亀松というのが明治十年頃から、石狩川の中島に堀立小屋をたてて土着し、アイヌのメノコ、ヤブノを妻として永住をくわだてたのが、和人の最初の移住者であった。
この和人の交易は主として、アイヌ人たちの日常の需要品で、彼等は不便な山路をつたい、石狩川をアイヌのくり木船で渡り、塩や薬や女のよろこびそうな小間物などを、獣皮、鹿角、干鮭など、交換して帰った。
アイヌたちは、明治維新前後から、次第に日本民族に押されて、ちょうど、干潟に残ったわずかばかりの水溜りに集った魚のように、この上川の忠別太付近、近文部落に住んでいた。
近文は、アイヌ語のチカプニからきていて『大いなる烏の楢む樹』の意味だが、これを音訳したものであった。この近文の石狩川添いのところは、これらのアイヌたちのためにかなり広大な土地がさかれて、特別に土人保護の施設をもった部落が形成される予定らしかった。
秋月ら一行は、翌朝はやく小林の家を出て、美瑛川を渡り、また六七町行って忠別川を渡った。馬は川を渡らせるのが困難なので、小林の家にあずけて、三人は徒歩であった。この二つの川は、橋から数町下で合流し石狩川に注いでいる。忠別川を渡ると、そこは全然、未開地で草原の中に一本永山に通じる道路がのびているばかり、農作物の試作所が、ぽつりと一軒たっているきりだった。
近文原野は、石狩川の西北対岸なので、三人は、アイヌの渡船で川を渡った。この渡守は、アイヌの娘で、十七八歳の丸顔で愛くるしい顔をしていた。
「いよう、ピリカ、メノコ(美しい女)だな。俺のおかみさんにならないかい」
杉山は、こういうところへ来ると、至って軽い口をきく。アイヌの娘は、日本語がわかるとみえて、うす赤くなり色艶のよい頬に嬌羞を浮かべたが、だまって、たくみに船をあやつりながら中流に出た。だが、どうにも、口のまわりに黒々と入れた青味がかった入墨はグロテスクで、秋月には美しいとは思えなかった。
杉山三造は、なかなか諦めきれぬとみえて、わざと娘の近くににじりよって、惚々と下から見あげている。
「杉山の目の色をみろよ」
運平が瀬沼をつついて二人でくすくす笑い出した。
「まったく、貴公は女に目のない奴だな」
「いや。久しぶりでいい保養だよ」
「よせよ、お民さんにいいつけるぞ」
船が対岸に着くと、娘はさきに岸に降りて、船を繋いでいる。さきに歩き出した秋月と、瀬沼は後で、急に女の悲鳴をきいてふりかえった。ぐずぐずと後になった杉山が、何かアイヌの娘にいたずらをしたらしい。娘は若い雌鹿のように、しなやかな体をひるがえして川下の方に逃げて行った。
「しょうがないな。みろ、おびえて逃げてったじゃないか。今にあれの親父が追っかけて来るぞ」
運平がおどかしても、杉山は、赤ら顔に好色な笑いを浮かべたまま答えなかった。
石狩川添いの地味のよいあたりに、ところどころアイヌの家があった。みな藁ぶきでその尾根は奇妙に刈り込んであった。ある一軒の家の前でロシヤ人のような立派な風貌の髯の濃い親父が、白烏を口につけて、ゴクゴク酒らしいものを飲みながら、三人を横目で見ていたが、急に白鳥を土の上におくと、少し腰を曲げた形で三人の方に近よって来た。杉山三造は内心うす気味悪い様子だ。
「タンナ。イイテッポ、モッテルナ」
アイヌは、秋月の鉄砲に目をつけたのであった。濁音を入れない言葉がいたいけない。
「お前、鉄砲ほしいのか」
と、秋月が相手になると、親父は、荒れた手で、銃身をなでてみてうなずいた。家のそばの艦の中には、子熊が飼ってあるとみえて、ウオーウオーッと奇妙な声をあげている。
アイヌは、何か秋月達に親しみを感じたとみえて、一行と一緒に、貸下地のところまで案内してついて来た。
今日も乾燥しきったよい天気だった。見渡す近文平原、運平の理想どおりの草原地で、地味はいかにも裕かそうだ。もう黄ばみかけたボウナ、蕁麻(いらくさ)が大人の胸丈までも生い繁っている。これらは肥沃な所に限ってはえる雑草で高低もあまりない。アイヌの部落が川添いのところにある位だから、水害のおそれは無論なさそうだ。
原野は、区画の棒杭が立っていて、それぞれ「近文原野一線十二番地」とか「近文原野六線八番地」との名称がついている。縦百五十間の横百間で、間に道路地がとられてあった。
秋月連平は、このなかの、どの区画かが自分の畑になるのだ、と思うと、なにか、ひどく親しみが湧き、改めてまわりの景色を見なおしたり、標杭の根もとの土を手にもってみたりした。しかし、何か以前に想像していたほどの歓喜はなくて、妙にあっけないものがあった。
三人は、その草原でしばらく休んだ。アイヌの親父は、運平にもらった黒砂糖をうまそうに舐めている。
「親父、お前いくつになる?」
と、連平が尋ねると、彼は涎(よだれ)をのみ込んで
「シチウロク」
と、答えた。
「近文に来て何年になるんだい?」
「アキアチ(鮭のこと)取ツテハ雪アフリ、アキアチ取ツテハ雪アフリ」
と、アイヌは四度繰りかえして指を折ったが四年になるといった。
「熊はこの辺にもいるかい?」
「ナシポテモイルシャ(いくらでもいるさ)」
と、彼は何がなし得意そうだ。
「そうか、君等だってやっぱり熊はおっかないんだろうな」
「男熊タパオッカナイトモ、女熊タパオカナクナイテヤ」
「何故だい?」
「女熊タパ追ワレタトキ、フリカヘッテ棒テタタケパァャマッテ逃ルトモ、男熊タパ大抵逃ケナイカラオカナイシャ」
と、無邪気な答えをするアイヌの顔は小児のようにすがすがしい。
「お前、名前あるのかい?」
「シャシャモリ、トモキチ(笹森友吉)」
肩をゆすりあげるようにして答える。
「へーえ、そんな良い名どこからもらったんだい?」
「オヤカ、チュケタニキマッテルシャ。アイヌタカテ(アイヌだといっても)オナチ天子シャンノ子タモノ、パカニスルナテヤ」
なるほど、杉山もこれには一本参ったらしい。三人はひどく陽気になってアイヌと話しながら帰路についた。
忠別太へ帰ると、小林にいとまごいも早々にして、三人はすぐ馬上になった。馬追原野の収穫時期のせわしなさが、急に心にかかってきたからであった。
あそこに、この自分が永住するのだろうか。あの土が、自分の一生を支配するのだろうか。秋月は、幾度か馬上で後をふりかえり、山の姿や川のうねり、そこここに散らかつた樹林地を見まわした。なんだか、まあだ、それが実感にならず、なじめぬ思いがするのだった。
馬をかえすとすぐに馬追の開墾地の様子がなつかしく思い出され、やっぱり、一日も早くあそこに着きたくなってきた。彼は郷里をおもうように馬追の小屋や、土地のことを考えている自分に心づくと、妙に気はずかしいような感じがした。