このむこうに、ながい暗い冬が待っていようとは、どうしても思えぬような、そんな明るい日があった。
なにもかもが秋の色に染まっているだけに、太陽の光線はいっそう鮮明だ。ただ一度の霜で、原生林は、すっかり相貌を変えてしまった。山葡萄の葉が小鳥の血で濡れたかと思われるような色にそまり、槭楓(いたやもみじ)のきれの深い一葉(ひとは)が、空気に透明な黄色い翳(かげ)をつくっている。
原始林の中には、熟れたコクワや山葡萄のかおりが漂い、草原地にはみのった草の実の匂いがしている。雪国の秋は、その期間が短いだけに、また冬が長いだけに、悲しいほど美しく、自然の最後の栄光と輝きをもって土を飾るのだった。
移民達は、そこが、もう十年も二十年も住みなれた土地ででもあるかのような錯覚にも気づかず、陽気な、大まかな収穫に我を忘れている。彼等の郷里ならほとんど一カ村分にも当りそうな処女地に新しい種子を蒔き、春から夏への汗が、結晶したという満足で、すべての労苦はねぎらわれているのだった。
一日中くたくたになるほど殻竿を動かしつづけた腕は、夜になってのばすと、まるで自分のものではないみたいな感覚だ。箸を持っても、他人の手で食べているようで、どうにも勝手が違いさえするのであった。
西谷も、他の二人も、床につくとすぐ正体もなく寝入ってしまって、体格のよい西谷の大きな鼾(いびぎ)が正確な間隔をおいて続き、時折、政一がキリキリと歯ぎしりをする。仙吉だけは、カンテラの火で何かごそごそ書きものをしていたが、間もなく燈を消して、馬鹿に行儀のよい寝息をたてはじめた。
運平は頭のなかに、なにかいっぱいにつまっている重苦しさを感じているくせに、どこか一箇所が冴えきっていて、どうあせってみても眠れなかった。
無理もない正午頃からの高熱で、まる三時間近くというもの、カタカタ震えつづけ、お民が一升瓶に熱い湯を入れてぼろ布につつんでくれたのを後前に抱きかかえたまま、海老のようにちぢまっていた。
昼食に帰えって来た杉山や、政一が蒲団の上から、おいかぶさるように乗ってくれても、体の震えは止まらず、火のような体温で口中がすぐカラカラになってしまうのだった。体の関節が石のように重くなって、手足を動かすのさえ容易ではなさそうだった。
くたくたに疲れきって、うとうとしはじめたのは四時頃でもあったろうか、奇怪な夢の連続のあとで、ひょいと目がさめると、もうみんな畑からあかって夕飯をたべていた。お民のこしらえてくれた、特別に煮干でだしをとった大根のおじやを、それでも二ぜん食べると、やっと、どうやら人ごこちがついてきたのだった。
これは、上川原野視察の帰りに大雨に逢い、体中ぐしよ濡れになったのが原因らしく、馬追に帰って三日目に発病し、岩見沢から老人の医者が馬に乗って来てくれて、キニーネを飲ませてくれたが、未開地に流行する瘧(おこり=マラリアの一種)という病気だといった。その時は一週間ばかり寝ていて平癒したが、それから、こっち、どうかすると、すぐにこの発作がはじまる癖がついてしまった。
別に生命にかかわる府病気でもなし、あまり烈しくないときは、医者も呼ばずにおさまることもあったが、運平は、大事なときにきて、とんでもない難病にとりつかれたものだと、つくづく悲観せずにはいられない。のんきな杉山は、「オコリの運平さん」などと時々冗談にしてからかうのだが、当人にしてみれば、むしろ怒りたくなってしまうくらいのものだ。
上川の貸下地の願書は、十月初旬にすっかり揃えて道庁に提出した。それは、上川原野三万坪の貸下願書で、願書に付けた起業方法書には、着手のときから三カ年間に毎年四千坪ずつ一万二千坪を拓き、四年目から六年目までの三か年間には、毎年五千坪ずつ一万五千坪を開墾し、風防風致及び薪炭用地として存置すべき林地は全地面積の一割、即ち三千坪を残す。都合、全地積を六カ年間に開墾するという詳細な書類をつけるのであった。
成功の上は、特定地として、無償で付与されるはずなのである。これには、財産証明書が入用なので、無一物の運平は、あらかじめ用意した郷里の実兄の名儀の願書と、その財産証明書をつけなければならなかった。
道庁からは、まだなんの通知もない。
秋は、素早い足どりで冬へ通りすぎようとしている。運平は希望のとばくちを見ただけで、じっとまた待だなければならなかった。目をつぶっていると、上川原野の山脈や川のうねり、原のひろがりが、そのままはっきりと浮かんでくる。
あそこが、果たして、ほんとに自分の生涯の仕事の場所になるのだろうか。それとも、ふとみた夢のように消えてしまう希望なのではあるまいか。運平はむしろ後者だと思って、あまり期待をかけまいと考える。期待の後の失望が、やはり、若い運平には怖しいからである。
子供の頃から、あまり幸運に恵まれなかった運平には、希望をそのまますなおに喜べない癖があった。自分では軽卒でないのだと、思っている。欠点だと気づいている気短な性格も、自分で押えているうちに、よほどなおってきたようだ。馬追の土地に来て、とに
もかくにも、他人を扱っている中に自制する力が養われたのかもしれない。
だが、この思いがけない瘧の発作だけには、辛抱強い運平も参ってしまう。これを繰りかえしているうちに体力が弱って、せっかくの土地が手に入ったにしても、仕事なかばで放棄しなければならなくなるのではあるまいか、などと、あまり取越苦労をしない彼も、ときどきは考えさせられる。
物音ひとつない夜のただなかで、冴え冴えと目をあけていると、希望と不安が一せいに頭をもたげてきてねつけなかった。せめて、月の光でもさせばよいと思う。目をあげて、窓に垂らした莚のすき間を見るが、外は星明りの静けさで凍りついたように虫さえ嗚かない。
すると、突然、なにか、小屋をとりまく空気にはげしい動揺がおきたようだ。うとうとしかけた運平は、はっとまた目をさまされた。
そのざわめきは、遠い地の果てから押しよせてくるけはいだった。いくらか風さえ交って、夜の時雨が通りすぎていくのだった。霰でもまじっているのか、何か硬いものが地面に当る音がする。それとも、雨の粒が、そんなに大きく烈しいのだろうか。
外便所の莚が風にあおられて、パタンパタン嗚っている。梢から叩き落とされる乾いた木の葉が、カラカラと地面をころがる音がする。長い冬の前ぶれのように、秋のなごやかさを吹きはらってゆく風と雨であった。
と、思う中に風もすぐに遠のいて行って、少しの間、かすかに原始林を渡る風の音が聴こえている。
なにか、故郷をはなれて、遠く来ているわびしさが、隙間風のように心をふきぬけていった。
時雨は、樹林地をぬけて、山形の開墾地をすぎ、やがてもう、岩隈の家のあたりへいったろうか。ひょっとするとおちかも、この夜の底で目ざめていて、同じわびしい雨の音をききはしなかったろうか。運平は偶然のような形でおちかを心に浮かべたが、それは偶然ではなくて、今日の午後彼女が見舞に来てくれてから、幾度となく、無意識に考えつづけていたことであった。洗いさらした赤い唐縮緬の半幅帯と黒々とつぶらな二重まぶちの瞳は、暗がりの中で、ひどく鮮かに想い描かれた。
おちかは、何かいいたそうだったが、仙吉がいたので、ためらい勝ちに見舞いをいい、兄の堀井が銛でついたという生きのよい生鮭を片身おいて帰って行った。
おちかが、もじもじといいたかったことは運平にはわかっていた。おちかは、岩隈の家の養女にきめられ、やがて冬にでもなったら、働き者のトワタリでも婿にすることにきまったらしい、と山形が昨日いっていた。白首やに売られるよりは、ましではないか。岩隈のことだから、ほん気で籍までどうするかはしれないにしても、堀井夫婦の厄介者でいるよりはまだ幸福かもしれない。
だが、そうはわかっていながら、運平の心には、なにかそれではすまされない部分があった。勿論、おちかを妻にしようなどとは毛頭考えてはいない。それでは、すぐにも身をまかせそうなおちかを、ひとときのなぐさみものにするか。そんな、さもしい量見は運平は持っていないはずだ…。
また、ぱらぱらと時雨の音がしはじめた。
運平は、はっと我にかえった。そして、いままで落ちこんでいた恥ずかしい妄想のなかからあわてて身をひいた。彼は闇の中でひどく高くきこえる自分自身の胸の音に、なにか、たまらないみじめさを感じた。