北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部


  

(2)

 
五尺三寸の中肉中背の若い体は、春が近くなるにつれて、樹液を吸いあげた楡の幹のように、なにか、外へむかって力を発散させたい欲望にうずきはじめる。
 
三月の中旬をすぎると、気温は、ぐんと昇って、嘘のように明るい日光がふりはじめる。道路の雪が、いちはやく瘠せていき、冬中の馬糞を溶かしてあめ色のざらめのようにジャリジャリしはじめる。街の西南をめぐる山々は、うっすらと、もやにかすんで、針葉樹のみどりまでが、いくらか生気をおびてきたようだ。
 
傾斜のはげしい柾ぶき屋根をすべっては、かたまった雪が、ときおり、ざあっと大きな音をたて、軒先に落ちてくる。
 
運平は、瀬沼が出て行ってしまうと、食器は流しに放り出したままで、跣足袋にはきかえて外に出た。この貸家についた三町歩の土地を相手に、運平は自分の出来る限りの耕作をしてみようと計画した。
 
まだ、他の屯田兵の家ではじめないうちに、プラオと馬を借りて畑を起こしてしまおうと考えたのだ。隣家では、子供が漢字を習いに来ているし、男世帯の秋月逹には好意を持っていたので快く農具や馬を貸してくれた。
 
耕地は、家のすぐそばからひろがっていて、雪から出たばかりの土は掘りかえしてみると、黒々と水分が多く、まるで生きているように鮮やかな艶をしている。
 
家のまわりは、去年野菜畑だったとみえて、大根の腐ったのや、キャベツの株や、玉蜀黍の切り口が穢らしくちらかっていて、まだところどころには煤煙に汚れた雪がうす黒く残っていた。
 
跣足袋の爪先からしめってくる上の温度は、まだかなり低く、プラオの先にあたる土の表面に近い部分はいくらか凍ってでもいるらしい手応えであった。
 
「おう──秋月さん、せいが出ますなあ」
 
家の裏手に立って声をかけたのは珍しく関谷宇之助であった。
 
「上川の許可はまだきませんかい?」
 
馬をまわして、こっちへ耕しながらひきかえして来た運平は、関谷が今日はなにかひどく浮き浮きした調子なのに、反動的な無愛想な顔をしてむき合った。
 
「いつのことだか分りゃあしません。今年は、ここの小作をしながら貸下地をみつけることに決心しました」
 
「いや、そのことでな、今日は耳よりな話があるんで、儂もあわててとんで来たんですよ」
 
関谷はそういって、井戸のそばの古材木に腰を下し、例によって腰から煙草入れをひき抜いた。いつもの店にいる時の、手織縞の筒袖の半纏に、地厚な紺木綿の店の名を織り込んだ前掛をかけた姿である。
 
「貸下地ですか?」
 
運平は耕馬をつないで関谷のそばに帰って来ると、現金にせきこんでいった。
 
「いや、貸下地じゃありませんが、土地を売るという人があるのですわい」
 
「売地ですか──」
 
そうきくと、秋月はがっかりしたように声を落とした。
 
「だが、良いところですぞ、幌向川の縁だそうだ。およそ百町歩ほどあるのだそうですて。家の近所の道庁に出ている松下さんが貸下げをうけて持っとるのだが、最近退職して、何か出版業を始められるのじゃそうでな、至急に誰かに譲りたいそうで、買手を探していなさるというのですよ。今朝、家内が松下さんの奥さんにきいて来たのですわい。どうです? 秋月さん、買いなさらんか」
 
「道庁の官吏の土地ですか。例の──」
 
運平は、国家の土地を、自分の知己、親戚の名儀で貸下げをうけ、機をみて売り払うという噂のある官吏の横暴を、さんざん憤慨しつづけてきているので、関谷の話も癪にさわるほうがさきになった。
 
だがお浪との結婚問題を、あんなふうに断ったりしても、やはり変らぬ好意で、なにやかと世話してくれる関谷には、こころから有難いとおもうのだった。
 
「そんなことは、別に、こだわる必要はありゃしない。買いなさい。儂はきっといいと思う。何しろ官吏が目をつけた土地だ、きっと地味はいい。五百円だといいますがな、何とか相談しようによっては、もっと安くなるとおもう。なにしろ、大分急いでいる様子じゃから──」
 
「五百円ですか──」
 
心は大分動いたが、無一物の運平には、大金である。誰かに借りるより他は出どころはない。
 
「貴方がその気なら、儂が立替えてもよろしい」
 
関谷は湯銭の立替えでもするような調子である。だが、運平はこの間からの行きがかりもあって、関谷に借りる気は毛頭ない。彼は、本家の新助に借りるよりほかはない、と思った。
 
見込みがあると、自分が目をつけ、そのまま率直にいってやれば、新助は、きっと貸してくれる。運平は、それが正しい情熱であるなら、きっと人を動かすことが出来るという信念を持っていた。
 
「なにしろ、百町歩といえばこの札幌ぐらいはあるんですからな。大したものですよ。話をきいてみると、どうも、夕張道路の、そら、幌向川の釣橋がありましたな、あの付近らしいですよ」
 
「行って見て来ましょう。すぐ、これから」
 
運平は青年らしい性急さで立ちあがった。
 
「地味や地勢をしらべて来ます。その上で、僕の理想通りだったら、松下さんに逢ってみます」
 
「そう、そう、それがいい。儂は、秋月さんの、その調子が好きなのじゃ、行っていらっしゃい、これから行くと九時の汽車には、らくに間に合う──」
 
「道庁じゃあ、自作開墾希望者には、無償で土地を貸下げて、保護奨励するというたてまえなのに、その道庁の官吏から土地を買うっていうのは、盗泉の水を飲むようなものですなあ」
 
運平は自嘲の調子でいった。
 
もはや、その幌向原野の上の大きな魅力には打ち勝てなかった。身支度をして関谷と一緒に出かけようとするとき、珍しく、例の立派な髯をたくわえた郵便配達夫が、運平あての封書をおいて行った。たどたどしい文字で宛名を書いた馬追のおちかからの手紙であった。
 
相変らず炭山へ行くトワタリ工夫らしい人々と、行商人などをのせた汽車は何かもう小樽から持ち込んであった生魚の匂いにみち、安煙草の煙と人いきれでむっとするようだった。
 
だが、運平にとっては、そのみすぼらしい車室も、希望への虹の渡殿にもみえ、体中が燃えたぎる期待のために熱くなるようであった。
 
江別をすぎて遠く春がすみに淡い馬追山の姿をみると、運平は、おちかの手紙を思い出して封を切った。
 
それは、読みにくい平仮名ばかりで、句点もない書きながしの手紙だった。それによると、おちかは、ひきつづき岩隈の家にいるのだが、去年の十二月末になって、岩隈の家出した実の娘が、子供を連れて帰って来た。
 
家を出るとき一緒だった男には、子供が出来ると間もなく捨てられ、あちらこちらで出面取り(日雇いのこと)をしたり、宿屋の飯たきをしたりして生活してきたが、とうとう意地も張りもなくなってみじめな様子で馬追に帰って来たのだそうだ。
 
その娘と子供が帰って来たとなると、さすがに岩隈夫婦も実子の方が可愛く、おちかには、ことごとに辛い仕打をするようになり、出て行けがしにあつかわれているらしい。
 
しかし、兄の堀井夫婦は、おちかの身の代金同様な借金を残したまま、夜逃げをしてどこへ行ったか行方知れずなので、出て行く先もなし、毎日泣いて暮らしている。
 
もし、秋月さんが上川の土地へ入るようにでもなったら、どんな仕事でもするからつれて行ってもらいたい。たとえ、土間の隅にでもおいてくれるなら、このおちかも死なずにすむ。というようなことが、薄いにじんだ墨で、くどくどと書かれてあった。
 
かわいそうなおちか、運平は久しぶりで、なにか人間らしい感情のうごきを感じて馬追の山を見やった。そして幌向原野の売地を見てから、馬追にまわって来ようと思った。おちかに逢って、よく様子をきき、岩隈から彼女をひきとってやろう、と心をきめた。
 
だが、あの岩隈の奴、おいそれと、おちかを渡しはせぬかもしれぬ。あまり厄介なことをいい出したら、さらい出して来るだけのことだ、とはいうものの、まさか、札幌の住居に一緒におくわけにもゆかず、どこかに落ちついて開墾の仕事がはじまるまで、関谷にでもたのむか──と運平はそんなことを、とつおいつおもいめぐらしていた。
 
女房にする気かと、このとき誰かにいわれたら、運平は否と答えたろう。おちかの書いたとおり、土間の隅にでもおいてやりたいとそう思うだけなのだった。
 
だが、その日の夕方、もう薄暗くなって、岩見沢の駅から、また逆に札幌への汽車に乗り込んだ時の秋月運平の胸には、おちかのことなど、小指の頭ほども残ってはいなかった。
 
彼は、土地を見て来たのだ。素晴らしい未開地。五百円という金さえ出せば、自分のものになる百町歩の処女地である。運平の頭から、足のさきまで、その幌向川沿岸の沃土で一ぱいになってしまっていた。
 
馬追にまわろうと思ったことも、おちかのことも、もはや彼の念頭にはなかった。一直線に札幌にひき帰し、その足で松下氏を訪ねて交渉する、ただそれだけだ。
 
今夜の中にも、だれか、他の人間が、あの土地を手に入れる約束をするかもしれない。こうして、このいやにのろのろしている汽車に、揺られている間にも、誰かと売買の交渉がすすんでいまいものでもない。そう思うと、ほんとに羽でも生えればいいと考えるくらいだった。
 
岩見沢を出て、幌向太の停車場につく少し前に、汽車は小川の鉄橋を高い音をたてて渡った。これが幌向川で、その上流の、ここから見ると、三角の小山が三つほどその頂上を春暮の空にならべたその麓のあたりが、今少し前まで運平のさまよい歩いた未開地であった。
 
川はうねうねとその草原の間をめぐり、草木は裕かな天然の肥料によって素晴しく繁茂している。その大体は運平の理想どおりの草原で、しかも、残雪の下から出た去年の枯れ草をみると、ナツツバ、ボウナ、ヨモギそれに熊笹が身の丈をかくすほどに延びている。どれも沃地に限って生える草だ。百町歩のうち凡そ川に添った三四十町は、ニレ、イタヤ、カツラ、クルミ、シナノキ等のこれも地味最良のところにだけ生える巨木が、大空に枝を延ばし、いずれも三四百年は経っていようと思われる原始林であった。
 
その売地の中央部と思われるあたり、全地積の約六割は肥沃な腐殖土の草原であり、その他は湿潤な芦原で泥炭地もあったが、そこには直径一尺内外で、枝下六七間もある真直な塩地の木が処々に生えていて、開墾すれば、立派に利用出来ることを物語っていた。
 
よし、あそこだ、今まで見て歩いたどの土地よりも肥沃で、しかも石狩平野の東はずれ、鉄道は間もなく、あの土地の西側を通って岩見沢に通じる工事中だ。交通の便は勿論保証されている。土地の南に、川をへだてて小高い丘陵がめぐっているのも、四、五月頃のあの強い南風をふせげるから、農作にはもってこいかもしれぬ。
 
運平の胸は、初恋の女を見出したような興奮におどり、頭の中はただどうしてあれを自分のものにするかという細密な設計だけが、それからそれへとおもいめぐらされているのであった。
 
 

 

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