北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部


 
 

関谷宇之助の集めた開墾地行きの人々は、どれもあまり頼もしそうには見えなかった。
 
先日、関谷の店で逢った鈴木のほかに、その女房のおれんという鼻のひどく低い目の赤く濁った女と、その父親の六十がらみの老人。それと同郷だという堀井夫婦とその妹のおちかの六人であった。
 
彼等は今こうして自分たちの来ている北海道が、日本の国土のどの辺にあるものなのか、又これから入って行こうとしている馬追原野がどの方角に当っているものやら、皆目そんなことには無頓着に、郷里の誰彼の噂や、郷里(くに)を出る時二束三文に売って来た家財道具の話などを、歯切れの悪い関西弁でくどくどと繰り返しているのであった。
 
道は、夕張山脈につづく小山の尾根を横切って、去年、樺戸の集治監の囚徒たちによって開墾されたばかりの、岩見沢から夕張炭山に通ずる新道であった。天然の雑木林の中を、まっすぐに切り開き、半里か一里おきに草小屋の茶店(注:駅逓所)があるきりで沿道には一戸の民家も見当らず、すれ違う人さえもなく、ただどこまでも未開の樹林地と草原地がつづいているばかりであった。
 
豊富な幌内炭山の石炭を運搬する目的で、すでに幌内太、手宮間の鉄道は明治十五年十二月に開通していたから、岩見沢までは曲がりなりにも汽車の旅であったが、ここから馬追原野までは四里たっぷりの道を歩かなければならなかった。
 
一行の引率者秋月運平は、手織木綿の筒袖の半纏に股引、ホシという紐のついた脚絆に因徒のはいた払い下げの赤い跣足袋といういでたちだったが、連れのトワタリたちは一向にしまりのない身なりで、男たちは、ダラリとした角袖に、中には白縮緬の三尺をぶらさげている者もあり、よそ行きらしい絹物の羽織を着ている女もあった。
 
運平は、すでに関谷と一緒に下検分に来ていたので、勝手の知れた道ではあり、他人の土地とはいうものの、久しぶりで土と取り組める興奮を身内に感じ勇みたつ思いであった。
 
ことに、今度の関谷の計画が従来の小作にまかせるというやりかたではなく、米国あたりの農業を真似て、機械を使って大農経営の方法をとってみようとしているということに興味を感じていた。
 
友人たちとそんな方法の良否もたびたび議論になったことでもあり、北海道の農業は内地の山間の土地を耕すような方法ではこなしきれないと思っていたところであったから、秋月にはよい経験にもなりそうであった。
 
だが、そんなことには一向に無関心なこの相棒六人は、何だかまるで僻地に送られる流刑の人々のように意気があがらなかった。
 
今年の雪解けは早く、三月の終りにはどこの道もすっかり乾いていたが、この夕張道路は土地が粘土質のために四月になってもまだひどくぬかっていた。そのうえ馬蹄のあとで、こねかえしこねかえししているのだからたまったものではない。
 
凸面に足をかけたと思うとつるりとすべって、ピシャリと泥水のなかに足が落ちる。はね上っだ泥は足や腰だけではない顔にまではね返ってきて、気がついて見ると誰の顔にもうす青く乾いた泥がこびりっいていた──さすがにみな尻まくりで歩いている。
 
後から馬子が一人、道に添った林の中を走るようにして、巧みに七八頭の駄馬を追いながら近よってきた。これはまだ鉄道の通じない夕張へ物資を運搬する唯一の方法であった。
 
馬はどれも毛色もわからぬほど泥を浴び、バジャンバジャンと悪路を喘ぎ、背中の荷をゆすりゆすり速足で一行に追いついて来た。馬追いの四十男は髯の中から卑猥な調子で、
 
「オーイ姉コだち、もっとうんと尻コまくってけろでや、んだば俺、後からついていぐぞ──」
 
と声をかけたが、運平の顔を見ると、
 
「夕張さいぐのかね?」
 
と急に真面目な様子でたずねるのだった。運平が馬追原野だと答えると、
 
「んだば、久樽で夕張川渡って右さいぐんだぞ。まあ、陽の暮れんうちに行けでゃ──」
 
いいすてて馬の後を追いかけて行ったが、すぐに起伏する道の果てにかくれてしまった。
 
岩見沢から小一里も来たころであろう、道はやっと目先のきかぬ樹林地を出て明るく小高い草原地にかかった。
 
やや斜に傾いた春の陽が、さんさんと道の右手にひろがる未開の石狩平野にあふれていた。その遠く空につらなるあたりは、さっき汽車で迂回して来た江別あたりでもあろうか、石狩川の水が湖面のように白く光っていた。南西にうす紫に淡く、樽前、恵庭、札幌岳なぞの山々の影がつらなっている。
 
「札幌はあの見当にあたるかなあ──」
 
と運平が鈴木に指し示すと、相手は心細そうに、
 
「えろう遠く来たもんやなあ──」
 
と目をしばしばさせている。
 
「秋月さん、この辺に熊おるやろか、うちら、さっきから怖うて怖うて、かなわんわ」
 
堀井の女房が雌牛のような体を夫にすりよせて頼りない声を出した。
 
「阿呆なこと、おったかて、秋月さんが鉄砲持っとるやないか」
 
と叱った堀井も内心は心細そうであった。
 
兵庫あたりの山間の郷里で、箱庭ほどの土地を丹念に耕していたこれ等の人々には、この茫々と広がる無人の平原はむしろ恐ろしい重圧を感じさせるらしかった。彼等は身をよせ合うようにして目の前の巨大な土地に茫然と視線をさまよわせ、故郷の見なれた山の姿を思いうかべているのでもあろう。
 
幌向川にかかった皮もはいでない釣橋のたもとに、堀立小屋同然な茶店があった。秋月は一同をそこに休ませて、男達には一杯ずつのモッキリ(コップ酒)をふるまい、女だちと自分とはその店先のガラス蓋をした箱のなかにわずかばかりならんでいるうす黒い餅を食った。
 
運平は川辺りに下りて、雪解けの切れるように冷たい水で顔を洗った。もう川柳の芽が大分ふくらんでいて、頭の上で鶇(つぐみ)が人おじもせず高調子に囀(さえず)っていた。朽ちたおれた柳の木が水にひたされたまま木肌をみがかれている。
 
おちこみそうに川縁につき出した胡桃(くるみ)の木には、丸い目をしたリスが素速く姿をかくし、またそっとのぞき見ているけはいだ。この川はまだ何の人工も加えられない太古のままの姿で静まりかえっている。
 
秋月はしばらく暗く繁った川上を見ていたが、こうして人間が自然のなかへ平気でふみこんで行くことに、ふと一種の畏れに似たものを感じた。
 
一行の中のただ一人の娘のおちかが後から下りて来て、気づまりそうに体をちぢめて顔を洗いはじめた。この粗削りの自然のなかに、おちかのしめている赤い半幅帯がひどく鮮やかに運平の目にしみた。
 
 

 

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