夕張山脈の最高峰芦別岳を起点とする夕張川は、無尽の石炭層を埋蔵する山々のあいだをぬけ、南に大きく迂回して石狩平野の一隅から北上し、平坦肥沃な原野をうねうねと気のままのだ打ちまわって、支笏湖から流れ出す千歳川と合流し江別で石狩川にそそいでいる。
馬追原野は、この夕張川が最も奔放にその水路を曲がりくねらせている部分に当っているので、ところどころに気まぐれな水流がとり残していった古川が、いつか沼に変って濁った水をたたえている湿地をまじえた沃土であった。
夕張川沿岸は、地味も肥沃だったので早くから移住者が開墾をはじめていた。運平たちが、夕張道路を久樽(くったり=現岩見沢市栗沢町栗丘)から右にそれて夕張川の渡しをアイヌのあやつる丸木船でわたり、はじめて馬追原野の入口に入ると、そこにはもう四五戸の移住者が貸下地の開墾に着手していた。
また、ここから、一里余の夕張川上流には、明治二十一年仙台藩角田領から団体移住をした泉麟太郎ほか数十戸が村落を開いていた。
久樽は、いま、岩見沢から室蘭及び夕張に通じる鉄道の工事中で、二三十戸の市街地には不揃な歯並みのように板囲いの家が立ちならび、荒れた肌に白粉をぬった女たちが客を待っている姿も見うけられた。土地が開けて、人が住みつきはじめると、第一に入り込んでくるのは、烏と白首(ごけ=淫売婦)だと言われていたが、夕暮時の白ちゃけた新開地にたたずむ女たちの姿はわびしくもすさまじいものであった。
ふと目が醒めると、莚(むしろ)を垂らした窓の隙間から細く白い朝の光線がさし込んでいた。ここは、関谷が去年から入れた小作の山形権四郎の開墾小屋であった。
運平は、このまえ関谷と一緒に来たときから山形とは馴染みになっていたが、家が狭いので、六人のトワタリたちは、その隣の開墾地の岩隈という家に頼み、米、麦、味噌なども分けてもらって自炊させ、昨夜は一同をそこへ泊まらせた。
今朝早朝には、六人をつれてこれからもっと奥の新しい開墾地に入って小屋掛をするつもりだったので運平は、寝すごしたかとあわてて飛び起きた。
味噌汁の匂いが空腹にしみるように立ち込める一間きりの小屋であった。土間につづく名ばかりの台所で、主婦は何かコトコトきざんでいたが、秋月の起きたのを見ると、炉に新しい薪をくべてくれた。
「ああよく眠りましたよ。今日は早いうちに小屋掛にかからなけりや──山形さんはもう畑ですか」
「朝の中に夏大根を蒔いとくといって──なに、すぐ家の前の畑でがんす」
細君は東北人らしい色の白い健康そうな顔をしていた。短く端折った絣の着物にモンペばきで、頭髪は白い三角の布できりっとゆわえ、もう畑に出るばかりの身なりをしていた。
運平には、その北国風ないでたちが、彼の郷里あたりの女の野良着姿よりもよほど甲斐甲斐しく美しいものに感じられ、これじゃあ、夫婦きりでも、結構五町歩近い開墾をしおおせるであろうとも思うのであった。
山形が畑から帰って来ると、三人は炉に足をふみ込んだなりの形で麦ばかりの真黒な朝飯を食った。
「白い飯を食いなれた人にや食えんでしょうなあl」
山形が気の毒そうにいったが、
「いや、うまいですよ。私等の郷里でも、白い飯を食うのは盆と正月くらいなもんです。なあに、働いている者には麦だって粟だってうまいもんですよ」
連平は痩我慢ではなく答えて、太い切干の入った塩辛い味噌汁を吸った。
「それに、なんでがす──新墾地つうもんは楽しみなもんでがすよ、去年は二町歩ほどのところから蕎麦と粟が五十俵近くあがりましたからなあ。何しろ肥料なしでこれだから勿体ないようなもんでがすよ」
山形は幾分得意そうに話したが、またつづけて、
「儂も札幌でなんか商売をはじめるつもりで来たんだども、悪い奴にひっかかって──文無しになりましてなぁ、関谷の親方にこうしてもらわねば、今頃は土方にでもなるよりほか仕方なかったところでがすが──」
と正直に素朴な感謝の気持を見せていた。
そんな話をしているところへ外からあわただしく入って来たのは、昨夜トワタリたちの宿をたのんだ岩隈の女房だった。もう五十の上を大分出ているらしい小肥なお歯黒をつけた女は、息をはずませて大形な身ぶりをしながらいった。
「えらいことが起こりましたよ。あんたあ、あの、トワタリたちが、ゆんべ、ブシを三葉とまちごうて食ったげな」
「えっ! 何? ブシを食った?」
秋月はぎょっとして茶碗をおいた。ブシとは、鳥兜(とりかぶと)のことで、昔からアイヌが毒矢に使ったのは、この草の根からとる毒薬だときいていた。
「みんないつまでも寝とって起きんさかい、納屋さ行って見たらゆんべ腹痛うて眠られへんかったいうとるのさ、何か変ったもの食うたんやないかと思うて、ようきいてみたら三ッ葉を汁さ入れただけやいうさかい、どんな三ッ葉や思うて残りの汁みたら、あんた、ブシやないか──」
「それやあ大変だ」
秋月と山形は朝飯もそこそこに岩隈の所へかけつけだ。山形の新墾地をへだてて二町ほど久樽よりのところであった。
運平は、とんだことになったと思った。熊を殺すほどの猛毒かおるとすれば六人とも助からないのではなかろうか。少しでもさきに北海道に来ていて様子を知った自分が、彼等と一緒に泊まらなかったのは、大変な失策だったと、秋月は蒼くなっていた。
「大丈夫でがすよ、ブシの芽を汁に入れたくらいじゃ死ぬようなこともごわせんでしょう」
どこか鈍重な感じの山形は、のんきそうにいった。
四月とはいえまだ朝夕の気温は低く、白々と吐く二人の息が昇ったばかりの朝日を受けて虹のように光った。
岩隈の納屋の入口をあけると、薄暗がりに雑然と寝ていた人々が顔をあげた。
「どうしたい?」
運平は、うんうんうめいて苦しんでいるのかと思った人々が案外に静かで、なかにはぐっすり眠込んでいる者さえあるのにほっとしていった。
「昨晩(ゆんべ)は、ほんまに、ひどい目にあうてなあ──夜中から腹が痛うて痛うて、みなはくやら下すやら、寝られんと苦しみましたわ」
鈴木は少し体をもたげ、だるそうにいった。
「ここのおかみさんにきいたら、毒を食うたいうやないか。知らんというは怖しいこっちや」
「秋月さん、わてら死にまへんやろか?」
おれんが腫れぼったい目をあげた。
「大丈夫さ、もう痛みはとまったんだろう?」
「へえ──明け方からやっと少し眠れましたん」
「思いもつかんこない淋しいとこまで来て、毒食うとはほんまにまぁ何ちゅう情けないこっちや──」
雌牛のような堀井の女房が、秋月を見あげると急においおい泣き出した。
運平は、とにかく一同の生命に別条なさそうなのをたしかめて、やっと安心した。だが命に関らないとしても、とても、今日から仕事をはじめるわけにはいきそうもないので、一同の世話を岩隈の妻君に頼み、自分だけさきに開墾地へはいることにした。
「へえへえ、よろしいともな、わてらと郷里も近い人等やけん、よう世話したげますよって」
岩隈の妻君は、昨夜六人の宿を頼んだときとは打って変わって親切そうな調子だった。
「汁のみくらい岩隈でやれば、こんな大事にならんですんだに」
岩隈の家を出ると、山形は吐き捨てるようにつぶやいた。
「あの夫婦は評判のけちぼうでしてなぁ──」
彼の話によると、岩隈夫婦は三年ほどまえに、この関谷の地つづきに貸下げを受けて入って来たが、入地したときは、夫婦と娘と、その養子婿の四人暮しであった。娘夫婦は少し人がよすぎるくらい温和しい人たちだったが、岩隈夫婦は揃いも揃って気の荒いしわん棒であった。
入地したその年の秋、何でも、種にする印のつけてあった玉蜀黍(とうもろこし)を、養子が食ったというのがもとで、普段から大食いだといわれつづけ、いびられていた養子はいたたまれずに逃げ出してしまった。
娘にはその後また、漁場から流れて来た男を婿にしたが、相変らず人使いのはげしいのと、嗇いので、男は早々に愛想をつかして出て行ってしまった。今度は娘の方も、よほど男が好かったとみえて、一緒に増毛の方に行ったとかいうことで、
「今年の蒔つけには、夫婦二人ぎりでは、どうにもならんとこぼしていますが、ああ囗やかましい夫婦の所へは手伝いに来る人もごわせんわい」
山形は、明らかに隣家の人々に好意を持っていない様子であった。
運平は、そんなところに六人の世話を頼んだのが心もとない気はしたが、今更ほかにどうしようもなかった。とにかく、一日も早く小屋掛けだけでもして、一同を呼びよせなければと、その日さっそく奥の開墾地のはいることにした。