北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

当主・伊達邦夷(史実では邦直)を筆頭に主従挙げて北海道移住を決めた伊逹岩出山支藩。与えられた厚田聚富は農耕に不向きな荒地でした。加えて入植団の荷物を載せた貨物が行方不明に。
 
最初の冬を越す資金が心配される中、入植団の中には本州への引上げを求める声も上がりますが、リーダーの阿賀妻謙(史実では吾妻謙)は、開拓使の建築事業を入植団で請け負うことで越冬資金を確保することとしました。明治4年に建設された開拓使の石狩番屋です。
 
開拓使としても岩出山主従を見捨てることはできず、かなり強引に建設工事の入札に参加させます。無事に落札になりましたが、強引な進め方に業界の反発もうけながら、石狩番屋は辛くも棟上げ式を迎えました。
 

 
第三章

 
 

(三)

 
 
下小屋の一番はずれは木挽場にあてられていた。
 
崖になったその岸のうえに捲きあげられ、丸太材は横にならんで陽に照らされた。それは、生木のまま水に投げこまれ、ながいこと流されていた間にすっかり湿っていた。
 
だから、筏を解いてからの暫らくは、日向の河岸に並べて天日にさらすことが必要であった。涸れない材木はほぞがあまくなり、ひ割れをひき起すのであったから。
 
川に浮んでいたときはあんなに小さく、扁平に見えた木材が、陸にあげられてこんな風に目の前に並ぶと、向う側の男の胴体もかくれるほど巨きかった。木挽らはそれを挺子棒でかつぎ起した。叉を組んだりゴロの上を転がしたり、彼らの咽喉は重さに耐えてうなるのであった。
 
泥が擦りあらされ、おが屑の山がおしひろげられ、木材は巨大な虫が這いずるようにずるずると小屋に運ばれて行った。その瞬間小屋のなかはまッ暗であった。木屑のにおいがうむれて、つんと、あま酸ッぱく鼻にぬけた。
 
胴びろの鋸が木口から噛みついて行って、ざっくん、ざっくんと、眠いような音を立てた。近くでは鉋のすべる音が交錯していた。たんたん、のみを打ちこむ槌の音。ぴしりとたたきつける墨壺のはりきった糸。
 
それらのざわめきも今はなかった。下小屋の連中はその持場を出だして棟木を待つだけになった柱組みを取りまいた。仕上げた自分の仕事をしみじみと眺めてみたいのだ。そして、間もなく祝われる上棟式を、満ち足りたしずかな心で迎えようと思うのであった。
 
「阿賀妻さん、行ってみましょうか」
 
「どうぞ、お先に——
 
彼はこのとき同職になっていた相手にそう云った。矢内一亀之丞という武士らしい立派な姓名より、今の彼の恰好は木挽きの亀さんと云った方がもっともふさわしく見えた。ごま塩の小さな髷を手ぬぐいで包んで、尻からげの上にうしろ手を組み矢内亀之丞はゆっくり出て行った。その他意なげな後姿が見ている阿賀妻の胸をつめたく浸して来るのであった。仕事は進めねばならなかった。
 
しかし、その仕事がともかく成功することは、彼らがあのように卑めていた、より低い階級に、すいと乗りうつることであった。出来たんだ、出来あがったんだ。——そういう喜びに浮かれて、そのとき足はふわふわと次の身分に辷りこんでいる。
 
「それではお先に——」と、ふり向きもせずに矢内は云った。
 
建築場のあたりから、微風におくられた人々の気配が伝わって来た。
 
「すぐに参りますで」と阿賀妻は追いかぶせて云った。
 
彼の前には、鋸の刃を吸いつけた角材が立ちあがっていた。墨の色は途中で消え、そこまで挽かれて何日か投げだされてあったものだ。今の場合、是非ともその鋸の柄に手をかけねばならぬわけではなかった。
 
だが、彼は手をかけずには立ち去れぬ気持になっていた。ペッと掌に唾をつけてそれを掴んだ。引こうとした、押そうとした、抜きさしならぬ堅さに締っていた。鋸の鉄は木の筋にしめつけられて動きが取れぬ。
 
手にあまる抵抗であった——それを意識した阿賀妻のそげた頻から血がひいた。どこかの一点をぐいと睨んだ。瞳が白く光って、それは彼の挑む姿であった。もはや思念は、鋸と材木に凝りかたまった。唇をひんまげるのだ。腰をかがめて楔形の矢を取った。
 
それを木口に挾んで一歩うしろにさがった。手許にあった掛矢をふりかぶった。二度三度と叩きつけた。堅い枯れた木の矢は、ずしんと音たてて挽き材の間に喰いこんだ。鋸は白い刃をさか立てておが屑のうえに落ちた。
 
松岡長吉はその音に導かれてやって来た。草履をひっかけた彼の足音は、やわらかいおが屑のなかに消えてしまった。彼は立ちどまってふと相手をうかがうようにした。掛矢の柄を杖づくように腰にあて、木材のうえに立ちはだかっているこの大きくない男に、手軽く近づけぬものを感ずるのであった。
 
その男はあちらを向いていた。間違いもなくイシカリの濁った流れ、それから際涯のないイシカリの原野を見わたしていた。そこに何が見えるというのであろう?見えるもの、見ようとしているものは、野の底にあるトウベツの地である。彼はつきとばされたように駈けだした。
 
「阿賀妻さん——
 
気配を感じた彼がふり向いた。同時に彼らは眼を見あわせた。そして何でもないように外らした。
 
「いよいよはじめたいと思いまして——」と松岡は云うのであった。
 
言葉のきれめで唇をかみしめた。話しながら、そこに膝をついて蹲んで了い、俯向いて云いつづけた。
 
「きこえて参りますでしょう?——あの声、あのざわめき、われらシップの住民は、賑いと云うことがこの世にあったと、今日はじめて思いだしたです」そうとぎれて、彼はまた唇を咬んでいる。
 
両手をのばして、彼は傍らにあった大きな角材を、その角のところで捉えていた。
 
「うれしげに、今日は餅まきがあるといよ、と、子供らは云うまでもない、われわれの家内や老人どもも、まるで童児のようにそわそわしてやって参ったのでございますよ。みんな連れ立って、ほこらしげに街を歩きながら、われの夫やわれの父親や、または伜と云われるものが、ごらんなさい、これこの通り、やれば何でも出来るのだ、と、うちそろって見にまいったのです、建前のお祝いにあやかりたくもありましょう。変った時世をこうして生きぬくという力も見たいのでありましょう——。ご家老さま、今日の日を今日の日らしくと仰せられたあなたのお指図によって、拙者は、いや、身どもは——わたくしは、ねずみのような忙しい思いをさせられました。それだのに、あなたはまた、こんなところに隠れていなさる——探しましたよ、ご家老?」
 
松岡長吉は咽喉をつまらせて笑った。一気に云ってしまって、だから気持も落ちついたのであるが、直ぐには顔があげられなかった。
阿賀妻は鼻のうえに、波紋のような音のない微笑を浮かべていた。彼は掛矢の柄を板囲いに立てかけ、からげた着物の裾をおろした。
 
「ご苦労をかけましたな」
 
「そう云われます、と」と松岡は手を揉みながら阿賀妻を先に立てた。
 
「棟梁は?」
 
「すっかり晴れ晴れしい顔をいたしまして」
 
「薄氷をふんで、ついに渡ってしもうた、か——松岡どの?」
 
阿賀妻はそう云ってふり返った。下小屋を出外れようとするとこで、人々のざわめきは野風のように聞えていた。うしろにいた松岡は唾をのみこんだ。瞼のあたりを赤らめていた。その眼をそっとあげて、言葉の真意を相手の顔に読みとろうとした。
 
そして彼はぶるッと震えた。阿賀妻の肩ごしに女の顔が見えたのだ。手ぬぐいをかぶった丸まげの大きな髷がきらりと光った。結いあげられた黒い髪の毛に、油と精気がにじんでいるのであろう。青い眉の剃りあとがせまるように明瞭りと見えた。
 
「なんじゃ」と歩きだした阿賀妻は、そこに、身じまいをした自分の妻を発見した。
 
彼は自分の女をじろじろと見おろした。
 
「何しにまいった?」
 
「お召し替えを」と彼女は低く答えた。
 
小腰をかがめて胸にかかえた風呂敷包みに目をおとすのである。それから側に退いて倉庫の白い骨組みをそっと見やった。それのために羽織袴が入用でありましょう——と、彼女は夫の顔色をうかがうのである。
 
「よかろう——のう、松岡どの?」
 
彼は着衣の裄をひっぱって右から左と見まわした。はっぴ姿の松岡はおうように笑うことが出来た。
 
「どちらでも——でも、せっかくのこと故、お召しになられた方が」
 
それを途中で手をふってとどめ、阿賀妻は云うのだ。
 
「拙者らの建築であったならばのう——じゃが、所詮あれは他人のもの、政府の税庫となるべきもの。ふん、なぜにわれら貧しい請負い人が建前に金をかけねばならんかということよ。が、まアそんなことはどうでもよろしい」と、そのあとを彼は女に向いて云った、
 
「そなたも久しぶりで人間の顔を見るわけじゃ。まもなく餅撒きがはじまりましょう故、縁起を拾うそうそうに戻るがよい。衣類はこれで上等」
 
彼は眼をほそめた。
 
柱や足場の間から人々がこちらを見て手をあげた。五間に十二間の長い一廓を遠巻きにして直接関係のない人々も群れていた。聚落から来た家族であり、街にすむ老幼男女であった。
 
梁の上に板をならべ、南東の方向に面した祭壇に供物が盛りあげられている。榊の代りには水松の小枝を用い、白いご幣が、黒いほど濃い緑葉のなかに清洌な対照であった。
 
烏帽子をかぶった神主姿の男は棟梁の知人のなかから捜しだして来たものであった。それで間にあうのだ。棟梁と呼ばれている三谷三次がたたき大工であっても構わないのだ。この界隈の、まだ全く未成熟な住民の気ッ風にあわせて、その限りで納得の行くことをやってのければよかったのだ。
 
明日がどうなろうと、たらふく食いたらふく飲むことであった。それは一皮むけば、えぞ三界まで流れて来た職人どもの啖呵なのだ。大工の三谷三次は「かしら」を連れて来た。工事の下まわりを指図するというのであった。そしてその二人だけが、今日のために、紺のにおう新しい法被を着て待っていた。
 
そこに阿賀妻らはあがって行った。
 
棟木のうちあげがはじまった。その間、ながく低く吼えるような木遣り歌であった。棟梁はいくらか蒼ざめていた。仕事の神聖さに圧されて硬ばるような緊張をおぼえた。彼は木槌をふりあげて棟木をうちおさめた。痺れをきらしていた神主が厳粛な顔をして祝詞をあげた。
 
川面を吹きぬけて来る湿った風が彼らの半顔をなぶり、白いご幣をひらひらさせた。阿賀妻が先ず榊をささげた。つづいて棟梁、頭——あとは職人どもであった。先ごろから僅かのあいだに、あわただしく、しかし必要にせまられて仕事をたたきこまれたこれら新しい職人が、入れかわりたちかわり榊をささげた。
 
直ぐと神酒がひらかれた。土器をまわして一わたり冷酒をなめた。見あげていた群集がほっと溜め息を吐きだした。
 
「さア餅撒きだ」と誰かが云った。
 
そのときまでには大人もつめかけていた。海岸の漁夫部落からは半分裸の男もおしかけて来た。声高に、わめくように喋りながら、海岸づたいにぞろぞろ集って来た。
 
群集することは、彼ら一人々々の気持に関係なく何か浮き浮きざわめき立つものであった。亢った上気であった。足を踏んだり手をふったり口を鳴らしたりした。おまけに夏の陽が照りつけていた。暑さの刺激はじっとしていられないのである。汗ばんだ他人の体に思わず腕を触れ、怒りとも笑いともつかぬ賑かな喚きがどっと各所に湧き起った。
 
「やあーい、さっさと、餅ば——撒けえッ」
 
そう叫ぶ声があった。
 
「うおーッ」と人々のうめき声がそれに和した。
 
図星をさされたように群集は梁のうえにある祭壇を見あげた。そこでは阿賀妻が立ちあがって、白木の三方をかかえるところであった。その上にのっている白と赤の大きなすみ餅がぱッと眼に映るのであった。
 
集まったものは一度におーと吼った。どっと東の隅にかたまった彼らの折り重なった顔は、むらがり咲いた名も知らぬ野の花のようなものだ。さしあげた手は風に吹かれる穂波であった。口々に何かを大ごえに叫んでいる。ひろげた指は掻き寄せようと、鈎になったり熊手になったりしてあがいている。しかし彼らの願望は上までは届かなかった。
 
阿賀妻はその祝い餅をつかむや否や、槍を投げるような——胴をはらうような身のこなしで、首をひねる間に、すでに抛っていた。餅は黒いかたまりになって線をひいてすっとんだ。あわててうしろ向きになったのであるが、もう遅かった。
 
はじめから遠慮して後の方にいた彼らの家族の前にそれはずしんと墜ちていたのである。たちまち二つ目が追いかけてとんで来た。それに跳びつく彼女らの嬌声が——彼女らもまたこんなはしたない声が出せるのかと、そう驚くほど花やかに周囲にひびきわたった。
 
だが、はたして誰が拾ったか、それを見定める隙もなく、それッ、と、うしろの方で叫んだ。幸運の餅は反対の隅に向って投げられるところであった。先を争う人間がひと塊りになって、泥をかくようにして西側になだれ寄った。餅はもう墜ちていた。その地ひびきをどすんと耳にして、気弱いものは呼吸をはずませながら立ちどまった。
 
こんどは、と、ひらめくように次の方角を考えて夢中で駈けだした。南は川であった。イシカリ川の黒い水が相かわらずゆったりと流れていた。人々は、そこの切り立った崖ぶちとこの建物とのあいだに、狭い空地いっぱいに塊った。
 
しかし、目あての餅はすげなく彼らの頭上をとんで行った。誰も拾いてのない川の中に、彼らのいるところよりは可成り低い水面に、抛物線を描いてずぶりと墜ちた。流れの下にすッと潜ったような落ちかたであった。もったいない、そうつぶやく声に、ほんとにさ、と、別の声が応じた。まだ何か毒づきたくてむかむかしていた彼らの頭の上を、今度は赤い餅があざ笑うようにとんで行った。
 
「また!」と舌打ちした。
 
けろっとしている水面に向ってつンと手ばなをとばした一人の男は「おンや?——」と背のびした。
 
「いるんでねえか、ほら、あしこに——
 
彼はその短かい顎の先で、遠い川向うの砂ッ原を示すのであった。白い砂に腰かけて、二人の男が小さく見えた。よく見ると、それはただの男ではなかった。街の男は何とはなしに硬くなって梁の上を見あげた。
 
餅撒きの阿賀妻は川に向って凝然としていた。彼の視線をたどって、丁度それが向う岸の男らにぶつかったとき、おもちゃのように小さい先方の人間が陣笠をふりだした。
 
白たたきの表も光るし、金色の裏も輝いている。実は彼らには、どちらが表でどちらが裏かも判らないが、それは対岸の白い砂に点描されてきらりと動き、たしかに高貴に見えた。高貴な人の謙遜な意志をあらわしている——漁夫は漁夫なりにうなずいて眼をそらした。
 
伊達邦夷が陣笠を振っていたのである。そばに控えているもう一人のものは、それは云うまでもなくあの相田清祐であった。
 
 

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