北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

伊逹岩出山支藩当主、伊達邦夷(史実では邦直)主従は、開拓使の石狩番屋の建築事業を入植団で請け負うことで越冬資金を確保することができました。今回お届けするのは小説『石狩川』第3章4節と5節。4節では石狩番屋の棟上げ式の様子が語られます。皆が棟上げ式の餅まきに熱狂する仲、主人公の阿賀妻謙(史実では吾妻謙)は、一人その場を離れます。
 
5節では、入植団にこの事業を斡旋した堀大主典(史実では堀基)が登場します。堀は樺太に派遣されており、北海道に戻ったところで阿賀妻を密かに呼び出しのです。
 
樺太は安政元(1855)年に幕府が結んだ日露和親条約によって日露雑居の地となりましたが、幕末維新の動乱のなかで日本の管理は手薄になり、力によって既成事実を積み重ねるロシアが勢力範囲を広げ、幕末の頃、日本の統治権が及ぶのは稚内と対面した樺太島南端の亜庭湾一帯に限られていました。
 
明治維新となり、岡本監輔が樺太専任の開拓判官として島に渡って懸命の努力でロシアの南下を押し止めます。明治3(1870)年に黒田清隆が樺太開拓使の次官となりますが、黒田は樺太を視察して後の樺太千島交換条約につながる樺太放棄論に傾きます。軍備を増強して樺太と死守すべしとする岡本は、明治3(1870)年末に黒田の姿勢に反発して判官の職を下りました。堀はこの後任に選ばれ、急ぎ樺太に渡っていたのでした。
 
黒田も堀も薩摩閥。黒田は樺太に最も信頼のできる堀を置くことで目を光らせようと考えましたが、樺太の現地を視察した堀は北海道の直近に迫るロシアの脅威を目の当たりにして、北海道防衛の必要性を強く感じたようでした。
 
そうした思いを阿賀妻に打ち明ける打ち明ける堀に勝てば官軍の上から目線はありません。話を聞きながら阿賀妻は、この機に乗じてかねてからの計画を進めようと考えるのでした。
 

 
第三章

 
 

(四)

 
 彼は、立ちどまっては不可ない——と、音のない声で、しかも、声の限りに叫んでいる。そう阿賀妻は受け取った——さっさと続けてやってくれ、この景況をかいま見にやって来た自分らは、そッとこのままにして置くがよい。
 
 阿賀妻は職人たちに気づかれぬよう、棒立ちになって眺めていた。それと気が付いたときにはあッとくず折れそうであったに拘らず、それでもふみ耐えて、手近かな垂木をわし掴みにすることが出来たのだ。反射的に、ここで崩してはならぬと思うものが彼をしめつけていた。そして、支えが出来ると、彼は首をつっ立てた。却って傲慢に見えるであろう態度に立てなおして、遙かな川向うを一心に見つめた。——あたりのものには、これという不審を起させないほどの短かい時間であった。その間に阿賀妻は、しびれるような激動をくぐり、それを抜けだしていた。彼は目の下の群集を見おろした。
 
投げた餅はあちらの川に沈んでしまった。そぶりにざわめいたが、実は餅ははじめから無かった。——そう見て取ったようにぽかんとして、群集は次の方角に移りかけていた。阿賀妻は後を追うようにその隅に向った。けれども今は彼の手にある餅は遠くとばなかった。むしろ、故意のようにすぐ手前に落ちた。どっと人々がかけ集まって来た。そのなかに更にもう一つのを投げおとした。阿賀妻は混みあい奪いあう喧しい人々の姿がぽーッと消えるような気がした。眼がかすんだのだ。ぶるっと頭を振って、心弱いものを弾きおとすようにして彼はうしろの松岡や門田たちに叫んだ。
 
「さア、撒いたッ、撒いたッ」
 
 必要な格式は済んだのだ。お祝いの餅まきがはじまったのだ。集まった人たちはただこれだけを待っていた。彼らにとって棟上げと餅撒きは同義語なのだ、当事者もまた高らかにそれを謳って置きたい。ゆたかでもない出納勘定のうちから多少の無理を承知のうえで搗きあげた餅であった。今日の、ただこの喜びと賑いに備えていたものである。
 
「よし、来た」と彼らは一斉に立ちあがった。
 
 下にいる多勢のものは、顎をつきあげ、上にいるものの顔色を見るのだ。彼らは彼らの考えで、気前がよく与し易げな人ていをそこに見わけるのであった。そしてその下にそれぞれに駈けあつまり、何ということなしにひしめき合っていた。それに応ずるように、上のものは大げさな身ぶりで叫ぶのであった。
 
「そーら」
 
「はじめるぞオ——」
 
「こっちだ、こっちだ」と、反対側はなお更景気よくどなっていた。
 
 今は双方ともとっておきの陣立てをきめて、あらしの前の静けさのように身ゆるぎもせず、顔を見あわしている。この上と下とは嶮しさの感ぜられぬ対立の中にあった。あッぶあッぶと仰向いている白い顔、黄色いの、茶ッぽいのなど、さまざま重なり合っている顔のうちに、ときどきは見知りあったものの眼にぱッと出あった。
 
眉をしかめたり、口をすぼめたりして、これは合図をせずにはいられない場合であった。家族も来ているのだ。手をひろげている邪気のない子供らには、頑くなな顔も見せられなかった。実際は、こんなあかるい陽の下の、日ごろとは異った位置から見る肉親が、ひどく身近かに、なつかしく感ぜられてならぬのである。わけても彼らの妻女は、見直すように生き生きとしていた。彼らはほほ笑みかけた。祝いの餅を一つでも多く拾わせてやりたいと思うこちらの意志を伝えてやった。
 
 これらの袖の下をかいくぐって、きょろきょろしている高倉祐吉もそういう一人であった。彼も、この光栄ある餅撒きの役目で、是非拾ってもらいたいと思う人がいた。考えただけでも頬が燃えそうであった。むろん口にだしてなぞ云えたものではない。もしもその人の名前を云わねばならぬような破目になったら、彼は目がくらみ呼吸が絶えるであろう。
 
しかし、だからそのひとの近くに撒いてやらねばならぬのだ。——これは十八歳の男の胸にとっては、動かし得ない絶対の真実であった。そして彼は、何故か怖しくて、とても字に書いたように描くことは出来ないのだが、寝ても醒めても漠然としていて、しかもそのひと一人に通ずる歴きとした名前を、声にすることも出来ないくせに、はっきり呼びつづけていた。今も自分の心のうちでそれを大声に呼び、取りまいた群集のなかに彼女を捜していた。
 
そして、ああ——、あッ、と発見したようであった。だが、どきんと心悸がたかまり、目先がぼーっとなってはッきり確かめることは出来なかった。その同じ位置につづけて一秒と眼をすえておくことさえ出来ないのだ。ついと顔をそむけ、眼窩にのこっているそのひとの顔をちらと考えていた。
 
彼女は、誰か見知らぬ男のうしろ側に、その男の肩の下にかくれるようにつつましく立っていた。ま深かにかぶった手拭いのため、瞳もかくれてしまいそうだったが、そのときひょいと彼の方を見あげ、すると、彼女のみひらかれた瞼は、強わそうな長い睫毛で手拭の白い布地をぐっとおしあげたかと思われた。黒くて大きく底も見えぬほどの深い瞳が彼に向けて光った。あるいはこれは祐吉の幻覚であったかも知れない。けれども、彼らの年齢では幻覚もまた生きて動いているのだ。二度目にびっくりしたときには、彼の目の前の空中で、撒かれる餅の白い花が散りみだれていた。
 
「なにを、しとる!」
 
 そう背中をどやされて彼はほんとの現実にかえった。餅撒きはたけなわになっていた。威勢よく投げられた餅が、集まった人々の頭の上でぱっと花のように散開する。文字通りこれは撒かれているのであった。餅もまた花びらのようであった。まるで人々の気持に感応して、くるめくように落ちている。——そう見えるのであろう。
 
「これ!」と誰かが高倉祐吉の尻をおして云った。
 
「ひとつ所ばっかり投げるじゃないよ。ぐるぐると、四方に、まんべんなく」
 
 はんてんの短かい裾を、それさえ邪まッけに尻までからげ、今日の日のために匂うような紺の股引きをはいて来た松岡長吉は、つまり棟梁次席をもって任じていた。むろん彼も自分の妻子がどこにいるかは知っていた。しかし彼の気持はそういう私情を娯んでいる暇がなかった。一しょに喜ぶことだ。
 
気がつくと、そこには阿賀妻の姿も見えなくなっていた。すると彼はその一方の肩に、当然のこととして、阿賀妻代理としての責任も感じて来た。そんな風に気をくばっていた松岡の眼に高倉祐吉は目ざわりになった。が、一言注意すると、相手はきょんと振りかえった。目をまるくした彼は、そこに彼らの棟梁である松岡を見てびっくりした。たちまち紅をちらしたように赤くなった。やっとのことで彼の頭に周囲の様子がうつって来た。そこで彼は何か云わなければならぬと思った。松岡は手をふってそれを押しとどめた。
 
「わかれば、よい、よい」
 
 彼は節をつけるように云った。何としても、腹の底からこみあげるような喜びをおさえることは出来なかった。踏んだのか踏まないのか、足の感覚もはっきり感じ取れないこの身体の状態を、これを浮かれているというのであろう。こういう時には見るもの聞くもの、すべて好意に取れるのであった。
 
顔をあからめた少年も、ほほえましい羞恥の姿であると考えた。大人の世界にある秩序を彼はつい失念したのだ。咎めだてるには彼はまだ子供すぎる。また、咎めるほどのことでも無かった。笑って、われから、その子のおどおどした視界を出てやることであった。彼はうしろ向きになりながら、賑やかな掛け声で云った。
 
「さア、撤いたり、撤いたり」
 
 おのずと彼は、裏側になっている川に面した方に出ていた。ひやり——と、川面をすべった風が、はだけた胸の汗ばんだ肌をくすぐった。いつの間にか陽も傾きかけていた。ひろい川面は、その西から北にあたるところに、街の屋並みと粗林の木々と、——噛みつくような崖の岸を持ち、日没はいち早く片側を黒くしていた。風は波をおこし、波は風を冷たくし、おッ? と、驚くほど清涼に吹きあげて来る。浮かれていた気分がぐっと地底にひきおろされる。
 
 裏では、女や子供の疳だかい叫びごえがおいおい間遠になっていた。ひっきりなしに、砕けたり散ったりしていた歓声にもそろそろ終末が来つつあったのだ。もとより投げる餅には限度があった。それももう残り少なくなっているのであろう。この面白さに思わず惹きこまれたような男たちのだみ声ももうさっぱり響いて来なかった。子供だけがはてしなく喚いているのである。ついに俵をはらう音さえぱたぱたと聞えて来た。
 
 松岡長吉は何ということなしに手くびで、職人のように鼻の孔をこすりあげた。自分の身体のなかに、自分でさえどこかはっきりと云えない、風の吹きぬけるがらん洞が出来たような気がした。すると彼は、ふりかえるのが怖しいような気がした。空になった祭壇を前にしてぼんやり突っ立っている仲間を、今の彼の立場としては、けろんとして見すごすことも出来ないのだ。
 
——どうしたものでしょう、と、彼は相談をもちかける相手がほしかった。何故かそれは、そのときの彼にとって、もとの家老の阿賀妻でなければならぬと思った。もとという言葉を消して、すなわち、もとのあの時代と同じ気持になって、その男がいたならば、彼の見えない内心の風穴に目ばりがして貰えそうなのだ。血肉に浸み透って皮膚のいろまで染っているという彼ら代々の古い感情であったかも知れない。改めて彼は思うのだ。あの男——阿賀妻の朦朧としたような存在がやっぱり自分らの近くに無くてはかなわぬものらしい——と。
 
 彼はふと安倍誠之助のことを考えた。カラフトに出かけた彼は、出かけて行ったそこの荒涼とした風景のなかで、多分こういう風洞を一層ひしひし感じているに違いない。同じ種族は離れてはならないのではないか。
 
すーッと静かになっていた。とうとう餅は撒きつくしてしまったのだろう。彼は眼を擦って、白い砂っ原、それからひろい野になっている川向うをながめだした。どうしてこの際、そんな湿っぽいことを考えたか自分でさえ呆れた。多分今日のこのときまでと張りつめていた俄か大工が、これで建前も無事に終ったと考えた瞬間に起きた気のゆるみのためであったろう。彼は泣きべそを掻いたような顔を川に向ってさらしていた。
 
 すると彼は、波のような砂丘のかげに浮き沈みする二つの陣笠を小さく見つけた。目をこらした。白いのと黒いのと、うしろに赤い陽を受け、動くたびにきらきら輝いていた。誰であるかは云わずにわかっていた。わかりすぎていた。主君と祐筆であった。すべてを見とどけて、一足先に、気づかれぬよう帰るところだ。彼は胸がつまって、高いところにいる仲間のものをふりかえった。それと同時であった。着物のちりや芥を打ちはらって、大工たちが彼に声をかけたのだ。無事にすんだ挨拶であった。
 
「いろいろありがとうございました、お蔭さまで」
 
「あっちを見ろ——」と松岡長吉は指をつきだしてはげしく叫んだ。
 
 彼らは何事かと驚いた。柱や垂木につかまりながらのびあがって川向うを見わたした。何も見えなかった。松岡長吉の見て貰いたかったものは、砂丘のあいまに沈んでいた。
 
「何ですか?」と誰かが云った。
 
「ああ」と松岡は嘆息して首をおとした。別のものが近い水辺を指さして云った。
 
「はや、もう船に乗って」
 
「帰りよるのか——」と他のものが上半身をのりだすようにした。
 
 彼らの家族はその船に一ぱいになって、ゆっくり漕ぎだしたところであった。一船おくらした船着き場のものに向ってにぎにぎしく言葉を残し、あの風呂敷包みをたかくさしあげた。中流まで漕ぎだすと、西陽が彼女らの目を射るのだ。そこで最後の会釈をしてむこう向きになった。すると彼女らの心は自分らの草葺とびこんでいた。船が着く。ひときわ明るい夕陽のなかに、彼女らはせかせかと歩いて小さくなって行った。
 
「みんな満足して帰りおる、さ、ね」とうれしそうに云った。それは門田与太郎であった。と、誰かが突きとばすように遮った。
 
「ばかなことを云うな!」
 
 え?——という風に彼らはその声の方をのぞきこんだ。棟梁三谷三次であった。
 
「とにかく——」と松岡は促した。まッ先にかけ梯子をおりはじめた彼は頭の上にまた聞いた。
 
「棟梁はかざりものじゃねえ」
 
「そうとも、犒わなくッちゃ」
 
 すかさずそう云って、松岡はぽんととび下りた。横ッとびに駈けて、彼は自分ら大工の下小屋をのぞいた。そこには黄昏が漂っていた。その中で、ひとりぼんやり、玉目トキが酒肴の番をしていた。彼はそのことには別に不審も抱かず、自分の気になっていることをずけずけと、男の人に云うようにたずねるのであった。
 
「おぬし、ご家老はどちらか、ご存じないか?」
 
「さきほどお役所の方が見えられて、ご同道になりました」
 
「ふーん」と、松岡長吉の丸い眉の下ではまなざしの色が沈んでいた。しかし彼は、「いや、なに」と大きな声で云って気を取りなおした。快活な口調になって彼は云った。
 
「さア、そのご馳走——ならべたり、ならべたり、棟梁が無くてはお倉が建たない——ッ、てね、酒はいくらでもある」
 
 そして彼は、彼の仲間のうしろに混っている若ものを見い出だした。お膳代りに使う四分板をならべはじめた高倉祐吉を、松岡は、うしろから肩をたたいて、
 
「ちょッと——」呼んだ。
 
「はい」
 
「なにも、びっくりしなくてもよい」と松岡は一歩退きながら云った。
 
「おぬし、一ぱい飲んだら、役所に行って見てくれんか、ご家老をお呼びして来てくれまいか」
 
「すぐ、行ってまいりましょう」
 
「すぐ? うん」と、彼は目をあげて空を見まわした。
 
 日は没したが、余映は今を限りと栄えていたのだ。もくりと湧きだした厚い雲はその厚み一ぱいに陽光を受けて焼けただれていた。照りかえしは地の上まで反射して来て、在る物の半面をまっかに染めている。この倉庫の白い柱組みの一本々々も例外なしに染め分けられていた。下で蠢めいている人間たちも、その一瞬は、同じ色どりの濃淡にまびれている。赤いすきとおる光りのなかを、柱やぬきや足場の木材が、つよい黒影をつくる。ちかちかと色をかえながら、人々は行ったり戻ったりしている。棟梁送りの饗宴を張ろうとしていたのである。簡単な酒肴であったから、待つまでもなくならべられた。
 
「さア、——」と誰かが彼らの着席を促すのであった。
 
 松岡長吉は取りとめもなくうなずいて、そして気づいたように、わかい高倉祐吉の顔をしばらく見つめた。
 
「そう——直ぐ行って、ね、やっぱり阿賀妻さんが見えていなくては、と、思いますから、どうぞ、ご用、すみ次第——と」
 
 そう云いながら彼は普請場の宴席に歩みよって行った。彼は棟梁三谷三次の前に——そこだけ空かしてあるところに、どっこいしょと腰をおちつけ、目の前に据えられた徳利に手をかけた。それから顎をしゃくった。
 
 行け——という指図であった。
 
 高倉祐吉は走りだした。背中が寒けだったようなものを感じてとっとと駈けていた。
 

(五)

 
 阿賀妻は茫漠とした顔でその話を聞いていた。高机にのせた自分の腕を斜め前のところに置き、両手の指をからませてぴくりぴくりと動かしている。拇指が蛇の鎌首のように突っ立つ。人差指は、材木に巣喰って肥え太った鉄砲虫のように見える。そのとき彼の前では、自分の五本の指が全然別な生きものとして蠢めきあっている。そう思うと、それらの指もまた彼の目に異形なものとなって映るのであった。血ぶくれになった蚯蚓の胴のようなものが関節ごとに不恰好にくびれ、ふやけた肉のかたまりとなって匐いずりまわっている。ふン、ふン——と阿賀妻はうなずいていた。少なくとも頷いたように見えた。
 
話し手はだんだん声を高め、強い口調に言葉を区切るのであった。相手がどうあろうと、このことに関する限り誰でも反応しなければならぬとする重苦しい断定でぐんぐん圧して来た。すなわち、帰って来た堀大主典にとって、このことはながい間腹の底に積み重ねていた憤げきに火をつけたことであった。先月来、またもそれを掻きまわされ、そこで忙しく現地に出張して見ていよいよ灼熱してしまった。
 
「それと申すも、無責任な旧幕のものどもが残した禍根でござるのよ。しかもご一新に際して、初代の島司であった岡本権判官はオロシャの——あかえびすどもの主権をみとめたのでした、当時トウブチにいたオロシャの駐屯部隊に、権判官はこちらから出向いて行った、当人は対等の儀礼をもって修好を申しこんだつもりではあったろうが、これが彼奴らめをつけあがらした第一の原因。
 
丸山外務大丞らが見えられたが、もはや如何ともする能わず、彼奴らどもは皇帝の名に於いて侵略してまいる。われわれは太政官の方針によって一歩々々と譲歩し退いてまいった。遠淵より、突如としてバッコドマリに上陸したのは、有利な海港に根拠地を移したことと、従って、丘を越えたその裏にあるわがクシュンコタンの勢力をつぶそうがため、——彼奴ども赤夷らには情誼や人の道があり得よう筈はない、通じもしなければ解ろう法もない、どだい人間じゃアございますまいが、——隊長のデフレ何とかヴッチをはじめその司令部のシワン、チャジロフ、カルペンコの輩が——たとえば」
 
ちょっと言葉をきって彼は洋服のポケットに手を入れた。やがてその手に、紙綴りと矢立てをつかんでいた。それを卓の上において、斜め前にいた阿賀妻のそびえた鼻を横向きに見やるのであった。
 
「念のため控えを取ってきましたが」
 
「どうぞ——」と阿賀妻は云った。
 
使丁がお茶を持ってはいって来た。ごま塩の髷をのせたその老人は、永遠の使用人として満足している人間の神妙げな表情であった。さし込む赤い西陽を受け、彼の顔にある汚点まで浮んで見える。出張所の役人が立って茶盆を取った。彼は顎をしゃくって使丁を去らした。話の興味をさまたげまいとする心遣いであった。袂をおさえて湯呑を配り、さて、その話の続きを待つように隅の方に控えた。彼は堀を見、それから阿賀妻を見た。前のものは取りだした書類をひねくっていた。下ぶくれの短かい顎をきっと引きよせて、意志的な厚い唇を尖らせた。
 
阿賀妻は前に置かれた茶のみ茶碗を見ていた。彼の腕より四五寸先に、どうぞ——と云って置かれた湯あかの染みた瀬戸ものは、湛えたあかい番茶の表面に湯気のとぐろを作っていた。白いけむりのようなものが、一舞い舞ってするりと上に伸び、そして消えた。浪の音が聞えていた。
 
「それで——」と一人の役人は上座の大主典を見て云った、「さい前のお話、いかがなことで——」
 
「うん」と堀は顔をあげた。
 
期せずしてその視線は阿賀妻の目にぶっつかった。すると阿賀妻は目尻を小じわで包んで軽くうなずき、何か喜ばしげな口調でこう云った。
 
「まことにふんげきに堪えませぬ、なあ——」
 
堀は、そういうあい槌のうち方におだやかならぬものを感じた。実際そうだ——と云わせねばならぬ欲望に駆られた。彼は指につばをつけて、自ら現地に出張して取りまとめた資料の綴りをぱッぱッとめくり、早口に云った。
 
「ひきいて侵略するふてぶてしさと同時に、その兵自体が、文字通り不逞の徒でござるて、つまり、オロシャの正規兵は夜盗の徒でござる。——よろしいか」と彼は書類を睨みつけた。
 
「昨年七月十六日、日本人高田兼吉の家にてコウモリ傘が紛失した、犯人はロ国の長官カルペンコの部下であった、まぎれもなく兵士であった。翌十七日に、わがクシュンコタンの貨物倉庫二棟切り破られた場所を発見せり、念のため在庫品をしらべしところ、浜の倉庫に於て狐皮五十枚、御用達和右衛門並びに彦兵衛の荷物全部紛失。山の倉庫に於て醤油三樽、酒四樽の紛失。これがロ兵の所業なることは侵入個所の釘にかかれるラシャにて明瞭なれば、出納局の小使嘉市、長吉のほか、重助、亀太郎、土人ユウトル、又近、ユウノフをして見張らせたり。
 
かくとも知らぬカルペンコ部下の一ロ兵は、船からあげた酒樽をぬすみてバッコドマリに逃走せんとす。見張り人は時をうつさず追跡してひっとらえたり。しかるに、その日の夕刻七時過ぎには又もやロ兵二名、先刻修理せしばかりなる山の倉庫を鑿をもてうち破りつつあり。訴えによって、農民重助、亀太郎、土人ユウトル、又近、ユウノフらを指揮してくだんの賊兵を逮捕せしに、あたかもまた之と時を同じくし、浜の倉庫をロ兵三名の破らんとするあり、出納局小使の吉見これを発見し、土人コザテアンの協力によって格闘し、二人をとらえ、一人を逸せり。
 
このものども取り調べの結果共にカルペンコの部下にして、四番隊に属するシエルバコーフ、カルノボーロフ、カンデリヤテル、スルイガステンなるものにして、わが方の損害左の如し。
 
——政府の紛失品、酒四樽その代金九両也、狐皮五十枚その代金五十両也
——商人の紛失品、紺色と黒色のラシャ筒袖二十枚その代金二百両也、メリヤス上下共十五通その代金二十四両一歩二朱也、鉄色メリヤス上下共十五通、桃色メリヤス十通その代金十二両二歩也、青染と黒モジリあわせ物五十一枚その代金八両三歩也、そーめん六俵二十把入りその代金六両一歩二朱、焼酎入りの徳利二本その代金三歩也。
 
しめて合計金二百九十一両三歩也」
 
と彼は顔をあげた。夕ばえの明るさが燃え立つような赤さであった。しかし、赭土色に染めだされた彼らの顔の半分は暗い蔭にかくれていた。ほーッと誰かが溜息を吐いた。すると堀はあごをしゃくって云った。
 
「この莫大な損害を、おぬしら、わが現地の役人はどう解決したと思う? ——お思いになりますか、阿賀妻さん」
 
「さあ?」と彼は目をほそめた。
 
「その隊長のカルペンコなるものがただ一度頭を低げた——」と、そう云った堀の頬がびくびくとふるえた。云うもはずかしいこのいい加減な解決を、彼の方から先まわりして、嘲笑しようとしたが、うまく笑えなかったのだ。だから、次の言葉はわれながら疳に障ってかッととびだした。
 
「一ぺん頭を低げただけで済みましたよ——済ませましたよ」
 
「そうでしたか」と阿賀妻はにやりとした。
 
「そうでしたよ」
 
堀はにじりつけるようにそう云って相手を見つめた。切れこんだ細い瞼のうえに、鳶色の瞳をすえていた。相手の胸にぶっつけた自分の言葉がどれだけ効果をあげたか——それを見究めようとする眼差しになっていた。堀という個人の昂奮は、大主典という職務の立場にかき消された。
 
だがその阿賀妻は、まだ相手を喜ばせるに足るだけの反応をあらわさなかった。思考のすじ途がとてつもなく距っていた。堀大主典がカラフト問題を喫緊とするならば、阿賀妻は何とか目鼻の見えて来た移住の諸問題を一気に解決したかった。この男を手づるにしておくことが、そのために必要であった。
 
彼は、今しがた役所から受け取った金について考えていた。基礎工事の折に受け取った三分の一は、うっかりしていると、その後の諸雑費や雑用に消えてしまいつつあった。家中のものの労賃は見積ってなかったが、傭い入れた棟梁はもとより、その折々の特別な技術についてはその道のものを呼ばなければならなかった。すると、どこかで無理をしなければ最初の予定どおりの運用は出来なくなるのではないか。契約によれば、あとに残った金子は倉庫の引き渡しと同時に受け取ることになっている。
 
それをべんべんと待つまでもなく、明日にもオダルに出向いて糧食購入の方途を立てるべきであろうと考えた。折柄間もなく新穀の出廻り期を控え、相場の動きも顕著であろうと思われる。思い立つ日が吉日であった。明日——と彼は思うのである。そのとき彼は、今回の普請に流送人夫をやってのけた大沼喜三郎を考えていた。歯切れのよいその男を後に従えていたならば、商人どもの交渉にも負け目を見せずに済むだろうと思うのだ。
 
ひとの前にいながら、焦点のない視線を随意なところに投げかけ、しわりしわりと瞬いている阿賀妻は、そんな呆けたような恰好で、その実自分にとっては周到な先の先まで思いめぐらし考案にふけっていた。耳にひびいて来る相手の語気によって、礼をうしなわぬ程度には合槌も打っていたが。ときには言葉の意味も聞えていたと見えて、ご尤も——と首をふったりしていた。
 
「いかがですかな?」と堀は意地わるく追究した。
 
「それでご得心かな?」
 
「いやなかなか」と阿賀妻は云った。
 
「なにが、なかなかでござる?」
 
「うん、それは——」
 
阿賀妻は瞳をこらしてはじめて堀大主典の眼を見た。そして彼は、唇の端をぐいと引きさげるようにして口をつぐんだ。ようやく目が覚めてあたりの事情が読み取れた——そういう寒むざむしたものを感じたのだ。あやぶまれた税庫の普請も何とか自分らの手で成し遂げつつあった。建前を祝った今日の彼には、九分通り出来あがったと思う小さな安心があった。しかるに相手は明らさまにそれを嗤っていた。問い詰められた彼の返す言葉ははげしい音を立てて飛びださねばならぬ場合である。
 
「斬って捨てるべきじゃ——いや、少くとも」と阿賀妻は云った。
 
「われもまた兵を備えてじゃね、その赤えびすどもに対抗せずばなりますまい」
 
「ご同感じゃ」
 
「そこで、兵部の大丞黒田清隆どのを貴殿がお連れしたというのじゃござらんか。会津の士族が四百戸ほどカラフト移住を願い出たとも聞いておる。つまり、あの人らはあの日から、兵部省の支配のかせを喰わされましたから、のう——。ところで、その兵部の大丞どのがまッ先に軟論を唱えられとるとかうけたまわっておりました、が」
 
「うん、まア、しかし——」と堀は組んでいた腕をほどいた。
 
彼にとってその言葉ほど重苦しいものはないのだ。武官系で参議級の人物をいただこうと思い、わざわざ指名したその人への要望が、カラフト抛棄論となって酬いられていた。従って、あるいは堀のいら立たしげな強硬論がますます空想を逞しくするのかも知れない。
 
——それは本当に明治の初年であった。新しい政府の政府らしい信用もどうかと思われるとき単身その地に乗りこんだこの血気の男は、ものものしげな衣冠束帯の行列をつくって上陸した岡本権判官の一行を迎えて、何故かその形式に流れた施設のないやり方に納得出来なかったのだ。
 
新しい政府であるならば、なるほどと合点させる新しい手段によって既往の悪を刈り取らねばならぬと思った。そうしなければ、その土地の住民は胸を割ってみせないであろうし、むろん事あれかしと覗っていたオロシャは逼塞しないであろう。——そして、これは彼の予想の通りであった。赤えびす共の侮蔑は却って露骨になった。文官のみに限られたこちらの防備を見て取ったのだ。それ故、黒田清隆の任命に期待したこと彼より大なるものはなかった。その方針をあきたらぬとする岡本権判官や、政府の弱腰を嘆く丸山外務大丞の挂冠を横目で見送って何らの痛痒をも感じなかった。むしろ彼らの人間的な欠陥や時代的不誠実に嫌悪をさえ覚えた。
 
だが、そうして、あとに残ったものとして当然この現地にある部署を襲うと、怒りはあの人たちと同じような調子で湧いて来るのだ。どう考え直しても、結局のところは実力に訴えねば解決しそうになかった。そもそも二つの主権が同じ土地に雑居するということが不自然きわまる。占拠か抛棄かだ。同一の場所に平均することは出来ない。そして、どちらか一方がきずつき斃れるまで争わねばやまぬのである。
 
この、日毎に訴え出られ、また彼らみずからも見聞するいざこざは、このままの現状をどこまで維持しても解決されないことである。そこへ、時の兵部の大丞黒田清隆が、陸軍のなかでもこの人ありと知られたさかんな輿望を担って任を受けた。つまり軍人としては西郷の弟分にあたり、政治家としては大久保とはなはだ接近し、太政官内の受けもめでたいというのであった。従ってこれは各省並みの参議によって統率しなければならぬとする開拓使にあっては、まことに恰好な長官であったと云える。
 
しかもそのとき、オロシャの出先の官吏との間に、毎日のようにごたごたしていたカラフト使庁の堀盛にとっては、さきの日、兵隊としてはじめて洋式調練を授けてくれた人であり、戊辰の役には、その下で、歩兵伍長として率先して指揮に従ったなつかしい関係であった。その上これは、云うまでもなく郷党の先輩であり、師父のような情愛を感ずる彼らの西郷先生の片影を、とおい僻地に於いてこの人を得てその謦咳を感ずることでもある。それほど期待は大きかった。
 
だから、たった一回だけ来て見たその人が放棄すべしと唱えたと聞かされても、それが素直に胸にひびいて来ないのだ。その思いきった言葉の裏には、何か高等な政治的なかけひきが秘められている、——いなければならぬというふうに解釈した。深い昔の結びつきを信じ、国の政策である蝦夷地開拓に全身をささげようとし、そういう気持の合致が、ここに長官となり下僚として相見えたのである。
 
であるならば、自分の感ずるところの反対の極点に、かの人の意見が生れようとは考えられぬ。同じ釜の飯を食えば思うことはそんなに隔るわけのものでもない。「臣いま千思百慮して国家のためにこれを計る、カラフトの如きはしばらくこれを棄て、彼に用うる力を移して速に北海道を経営するは今日開拓の一大急務にして——」と献じた言葉には非議はないのであり、堀もまた、しばらくカラフトをそのままにして置いて、サッポロの開拓使庁に働いていた。
 
けれども「諺に云う——」とかの長官が述べはじめたとき、もっぱらその人の手によって進退黜陟の鍵をにぎられている大主典の堀盛は、例の無表情な顔に立ち戻って先を読んで行った。「蝮蛇手を螫せば壮士疾く己が腕を断つ」それを声を立て云い、彼はふと自分の腕を見まわした。目をつぶると腕を斬る疼みが伝わって来るようであった。その前になぜまむし蛇をうち殺してしまわないか。それが有毒な虫であるとは万人ひとしく認めていたところであるならば。
 
サッポロの役所は未だ草創のまぎわであった。仕事の分課も画然としていなかった。画然とさせるまでも無かったというのが至当であるかも知れない。長官の黒田は参議として台閣に列しているため常に東京に居りそこから指図して来る。従ってサッポロは判官岩村の采配の下にあった。土州出身であるその男の専断を防ぐため、はるか東京の長官は、自分の直系であるつもりでこの堀盛をその下に据えた。その気づかいも、ある日はしみじみと彼の胸を湿らせる。しかしそれほどの関係が、腕を断つと一方によって宣言されれば、他方はすいと方向を変えている。その限りでは彼はしつこく自分の面目を守って動かなかった。
 
「いよいよとなったならば——」と彼はかたく腕を組んで云った。
 
「同志を糾合してでもこの屈辱にむくいねばならんと思うとります、阿賀妻さん、政府は、政府は——」
 
彼は思いがけなくそこで吃ったのである。方針の喰いちがいが政府と彼を対立させていた。それほど手近かに、取ってかわれば替れぬこともないと思わせる若い政府であった。少くとも彼は胸のなかでそう考えていたにちがいない。そして、うっかり口をついて出たこの言葉に自分から駭くのだ。——云わばそう云うことによって、政府の役人である彼は自分の立場を否定することになっていた。
 
「ほう——」
 
阿賀妻はあらぬ方を見てそう云った。組みあわした手では彼の拇指がいどみ合った。虚々実々のたたかいをはじめていた。
 
「こうなったからには、わが北海道は自分で武装しなきゃなりませんよ。阿賀妻さん、それを云いたくてわざわざお引き止めしたようなわけです。どんどん連れて来てくれませんか、土地はいくらでもある」
 
「ご尤も」
 
「捨てるほどある」
 
「そうそう、それに就いて」と阿賀妻は云った、彼の待ち伏せしていたところまで話はついに移って来た。むっくり頭をもちあげて、襲いかかるように「即ち——」と彼は声を強めて云った。
 
「過日お願いしておきました第二次移民の資金を貸下げの件」
 
「ああ、あの話か」
 
「左様、あの話——失念なさる貴殿でもあるまいが」
 
「念のためと云われるのですな、わかっています。近日拙者東京に出るつもり。従って、すべて長官に面談した上で、必ず、——」
 
「必ず——と、云うて下さるか?」と阿賀妻はさえぎった。もはや彼の拇指は挑みあってはいなかった。
 
「さよう——かならず」と堀も気色ばんだ。
 
「ありがたい、頭をさげる」
 
「いやおあげ下さい。おあげ下さい」
 
 そう云って頬杖をつき、あおく暮れて行く戸外に目をやった。
 
 

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