北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

いよいよ当別開拓へ出発

 
貨物輸送船の喪失によって開拓資金を失った岩出山支藩伊達邦夷(史実では邦直)主従は、堀大主典(史実では堀基)の配慮で石狩の開拓使番屋の工事を請け負うことで資金を確保しましたが、物語は、その棟上げ式の場面に戻ります。
 
工事を請け負った岩出山藩士たちですが、大工の専門職ではありません。指導者として大工の三谷三次を雇いましたが、数年前まではお上と下々の関係であっただけに現場ではストレスもあったようです。それが棟上げ式の祝宴で爆発。現場責任者であった松岡長吉は三谷三次の仲間に襲われました。
 
半殺しの目に逢いますが、松岡はじっと振るわれる暴力を耐えます。一夜明けて発見された松岡を家老の阿賀妻謙(史実では吾妻謙)は「よくぞ耐えた」と褒め称えました。松岡がかっとなって腰の日本刀を振るえば、移住計画そのものも頓挫したでしょう。
 
そして阿賀妻は、いよいよ当別開拓に向けて出発すると一同に宣言しました。
 
『当別町史』S47が記す史実は次の通りでした。
 

明治4年五月24日、札幌本府より、当別を踏査した者一人出向くようにと呼び出しがあったので、吾妻が札幌へ向かった。本府で吾妻が当別踏査の実情を述べ、貸付けの許可を得たのが5月28日であった。吾妻は6月1日夕刻、シップに帰着した。
 
この日、東久世長官は従来、函館において執っていた政務をことごとく札幌に移し、また、西北海道の裁決を代行していた小樽仮役所の業務も併合。開拓使庁と称し、根室を出張開拓使庁とする機構改革を行なった。
 
石狩普請工事は毎日着実に進捗していた。6月22日、人数を分けて当別道の測量に従事した。その先頭に吾妻,横尾,安陪,湯山らの面々がいた。
 
「測量係は火煙を揚げて方位を定めその路線を実測し」(村史28頁)幅6尺(約1.8米)内外に伐開して進んだ。
 
そして7月3日、その作業を終えてシップに帰着した。つづいて7月20日、石狩普請の竣功をみたので、この日より17才以上の男女総人数が道路開さく工事に従事した。
 
石狩物揚場を工事起点にして、23日高岡に、26日シリアツカリ沢に、29日材木沢に仮宿しながら進んだ。

 

 
第三章

 
 

(七)

 
たたき大工をもって任じてはいたものの、松岡長吉には棟梁の扱い方に自信が無かった。年期を入れたわけではない。大部分は見よう見真似で、それに、持って生れた器用さと自分の工夫が役立ったに過ぎない。それでも今の場合の彼らの家中に於ては、この建築の仕事のために進んで責任を持たなければならなかった。
 
景気よくはしゃいでは見せたが、心の中は陰気になるばかりであった。好きでもない冷たい酒を一ぱい猪口に受けて、いささか持てあましながら棟梁の三谷三次を眺めていた。
 
暗くならないうちに、ほどよいところでこの座をうちあげねばならなかった。あれこれと、物のきまりを自分で指図して行かなければならぬのであった。彼は隈の多い顔に目を光らせて、せわしなくあたりを見まわしていた。
 
内心ひそかに阿賀妻の見えるのを待っていた。こういう乱れた座になって、はじめて彼には、中心になる阿賀妻という人間の大切さが解った。彼が傍らにいることがどんなに心強いか——それを考えていたのである。だから、冷酒の酔いは頬の周囲を赤く染めただけであった。
 
彼は門田与太郎の袖をひいた。
 
「そろそろおひらきにしようか」
 
「何でえ」
 
棟梁が聞きとがめてそう云い、ひらき直るのであった。
 
彼は棒のように痩せた逞しい風体をしていた。生れつき色白な皮膚に渡世のしみがまだらに浮んでいた。相当の年輩に達しているのだ。恐らく、わかい頃、道具箱ひとつ肩にかついで渡って来たのであろう。やがて拓けるであろうというこの土地に、ただ何となく本能のようなものに導かれ、辿りついた。都合よく仕事にもありつくし、そのうちには妻もめとって棲み馴れた。それがこの場所であった。
 
そういう彼は、朝はやく目ざめまぎわの清澄な心のときには、義に感じて一肌ぬごうという気持にもなったのである。それも偽らぬ心であったと同時に、追々と界隈の人気や、勢力家の好悪、その人たちの考えなども伝えられ、うっかり税庫の棟梁をひき受けた自分のうかつさをくやむ気持も真実であった。金さえ儲かればそれで宜いという考えは、それは親方の気持で、これら職人の間にはまだ公然と通用していなかった。
 
即ち、今日はこれで済ましておれても、明日の仕事となればまたまたその親方にまわして貰わねばならぬ破目に陥るからである。義理を欠いたことは仕事から締めだされることであった。そういうことにならないとは誰も保証してくれないのだ。
 
だが今更逃げだすことも出来ないのだ。腰にある二本のわざものが脅かしていた。それはたしかに、それだけでも気持よいものではなかった。しかし、重苦しく足蹴りに出来ないものは、却ってしがない職人である彼自身の内にあった。これもやっぱり一聯の支配者なのだ。今は同等に交際っていても、いつかは自分の上に立つものにちがいなかった。いや、——立っていたものであった。その姿を見ただけで、はッと何か冷酷なものを彼らの胸に反射する親ゆずりの畏怖に駆られていた。
 
しらふのときには、それと同じ気持が五体を従順に立ちはたらかせていたのだが、酒を飲むにつれ、さかさまに流れだした。目の前の恐れがしれびてしまうのだ。そしてその代り、心の内側に秘めていた反感がむかむかとおしかえして来たのだ。
 
棟梁三次は五郎八茶碗でぐいぐいとあおっていた。初めにさッと赤く顔にでた。そのときは見るもの聞くものことごとく嬉しげなのだ。そこまでが日頃の「一ぱいつける」限度なのであろうか。ほろ酔いの機嫌にまかせて飲みつづけると、あとは見る見る蒼ざめて、うすい瞼の裏にくりくりした出眼が血走って来る。唇が乾くのだ。絶えずそれを舐め湿して、それから毒舌になるのであった。荒涼とした港々のあらい人気をこの鑿一丁でこじあけて来たという猛々しい言葉であった。意識したり、あるいは無意識のうちに滔々とすべりだして来る悪口である。
 
「やい、おひらきだア?」と彼は身体をねじって松岡にからみついた。
 
松岡はもう酔ってはいなかった。薄暮のひやッとした空気が川面から動いて来た。
 
「日も暮れますゆえ」と彼は仕方なしに笑って云った。
 
「なにがおかしい——ごまかすない。酒が無えんだろう? 無えなら取って来い。金が吝しいなら俺の家から持って来い。菰かぶりの一本や二本なら何時でも用意してあらア。そこえらの、けちなさむらいとは、ちっとばかり異うんだから。なア若えの——。
 
ところで、おい、そこの半ぱものの長吉、酒を持って来い、何ちったって今日のこの場合は、俺が棟梁だ。かしらだ。文句があるやつアずーっと前に出ねえ。——承知するかしねえかは、万事この俺の、胸三寸にあるというもんだ。なア、半ぱものの長、長吉!」
 
どんと胸をたたいてぬッと肩をそびやかした。血のけのない顔に静脈を隆起させて、ぴくんぴくんと蠢めかせる恰好は、それはそれとして一種の凄みを見せていた。が、誰もおどろこうとはしないのである。みんな興ざめた顔になった。酒乱のものが現われたと見て取って腰をうかしはじめた。
 
「そいつは不可ねえ」と誰かが云った。トビの連中の一人であった。きれいに仕切りをつけろと云うのである。
 
浮腰たった人々を大きな声で呼びとめて、彼は松岡長吉にめくばせした。
 
「みなさん——」と、彼は云った。
「手をしめますからお願いいたします、お手を拝借いたします」
 
シャン、シャン、シャンと手拍手が鳴りわたった。
 
「野郎ッ——だれの許しで」
 
棟梁はそうどなって、手許にあった五郎八茶碗を投げつけた。松岡長吉は首をすくめた。柱にあたってがちゃンと砕けた瀬戸ものを流し目に見ながら彼はしずかな声で云った——云うことが出来た。無頼な職人の恫喝が、その声を聞くたびに彼の気持を落ちつけていた。それを云いながら彼には、なすべきことがひとりでに目の前に描かれて来るのだ。
 
「みなさん、ご苦労さんでした。お引き取り願ってどうぞゆるりとお休みを」
 
遮るように云うものがあった。
 
「——それでは棟梁をどうなさる?」
 
松岡長吉はその声に向って、急にぶるぶると怒り、小柄な身体をけだもののようにふくらました。云いかけたものはそれに気づいて口をもぐもぐさせた。——棟梁送りはどうなるんだ、と、わかりきったことを咎めていたのだ。
 
しばらく睨めていた松岡は、うん——と、くびれた顎をしゃくった。忘れたわけでもないものをまるで失態のようにつつかれると、彼の自尊心は火のようにのぼせ上るのだ。
 
そして彼の腹のなかでは、どうしてくれようという狂暴なものが頭をもたげ、よしと、その方法もきまってしまった。あてがい扶持の低い家禄のものとして、余裕のないその日その日は、気の持ちようまでもぎすぎすさせ一図にさせたのだ。ひびき渡る声で彼は云った。
 
「拙者が、送ってつかわす」
 
額に血がのぼったにちがいない。そこへ夕映えが赤くぎらぎらときらめいた。彼は跳ねあがったのである。彼の両の掌は、へっぴり腰を立てた酔眼の棟梁を殴りつけていた。交互にぱたぱたと、霰れのように、肉の鳴る音がひびくのだ。何かを呻いてげっと俯伏せになる酔漢の腰をけとばしていた。その男はかんな屑の上にながくなった。泳ぐように両腕を投げだし、胴体をよじ曲げていた。ふいの打撲で申し分なくへばってしまった。
 
——もちろんそれらはあッと思う間に起きた出来事であった。誰か二三人とびだして行ったらしかったが、それさえ気にならぬほど茫然として了ったのだ。彼らはそれを取り囲んだまま表情もなく見おろしていた。のびたものがうめきだしたときにはペッと唾をはいた。
 
「おい門田——」と松岡はその人々のなかに親しい朋輩を呼んで云った、
 
「あとを片づけて引き取って貰ってくれんか。自分はこの、腰のぬけた棟梁を送りとどけて来る」
 
「一人でか?」
 
「ああ一人で——。一人で——ちゃんと引き受けておりますから」
 
彼は腕をのばして倒れた男のえんびを引き起した。よろける奴を邪慳にこづきまわした。このとき、度胆をぬいてくれた松岡は慥かに一歩機先を制していたのだ。もはや相手は彼の云うなりであった。叱咤して歩かせた。にじむように昏れだした宵やみのなかに酔漢はふらつき、数歩のうちにばったり倒れた。
 
「起きろ、おやじ——」と松岡はそのものの腕をつかまえた。
 
肩にぐったり凭れかかって、もしもこのまま硬ばったとしても、そのものが彼らに加えた侮辱にくらべたなら、その酬いはまだ軽すぎるというものだ、——松岡はそう思った。彼は相手を肩にひきずるようにして低い河原におりて行った。宵のうす暗さとは云え、こういう荷物を背負って街を歩くことはさすがに避けたい気持になっていた。こちらの岸べは、水に濡れた砂がかたまって足の運びも早かった。川風が肌をなでつけて、夜のおちつきとともに昂奮は消えるのだ。棟梁も立って、そして、四五間はなれて歩いていた。流木の破片や崩れた草の根や、ときには白い貝殻がそれと見わけられた。
 
ここまで来ては、たとい相手に正気がかえったとしても云うことは無かった。妥協の余地はないと彼から暴力を買って出た気持のうちには、松岡長吉は最後の腹をきめていたのである。
 
あの場合の腹立たしさが、そのときこういう考えの結果として腕をふるったものかどうか——そのせん索は今はもうどうでもよかった。彼は自分のやったことに責任を持つだけであった。
 
そもそもあの税庫建築にあたって、土民どもの示した迫害や侮蔑は、すて置くことの出来ないものであった。こういう方法がよい悪いは別として、とにかく曲りなりにもその面目をささえた。
 
そう思って彼の気持はいくらか軽くなった。そして何故か、この上の恥を取らぬためと思った、——彼は脇差の下げ緒をもって強くそのつばもとをゆわえつけた。
 
川下に向ってだんだん街のあるあたりを遠ざかっていた。足裏にじっとりと水気が草履をとおして、河口のあちらからは潮の匂いがただよって来る。海も間近かになっていた。片側は丈なす縞萱の原ッぱになっていた。刃もののようなするどい葉が川に向って伸び、どこまでもつづき、人家を出はずれるのだ。
 
歩いて行く彼らの肩や手にふれ白い葉裏が夜目にも見えた。割れた月が川の上のあお黒い空に浮きあがってあらわれ、まだ光らず、黄色ッぽい色に波にくだけていた。
 
「おやじ、帰れ」と松岡は立ちどまった。
 
そこから先は縞萱つづきの砂っ原であった。やがて板のような砂洲を越えると海であった。あたりは風雨に近すぎて人の住む家も無く、漁師の小屋さえ見あたらなかった。
 
「きさまの住居から、これでは却って行き過ぎになるだろうが———少しは酔もさめたであろう」
 
「さめた、さめたが——」とながい脚をずんと支え棒にして立ちはだかり、棟梁は鼻をこすりあげて云った。
 
「しかし、だ。そうじゃア無えか。半ぱもの——このまま帰れるかどうか。おい」
 
肩をせりあげて、蹴合うおん鶏のようにじりじりと近よって来た。
 
「だまって帰れ」
 
「なんだ、と」
 
そう云ってにゅッと伸ばして来た腕を、松岡は肱ではらった。はずみをくらって棟梁はよろけるのである。けれどもそれは、棟梁にとって煮えくりかえる結果になった。どたりと尻餅をついて、なお彼はどなった。
 
「斬れるものなら斬ってみろ。てめえらのような三ぴん野郎におどかされすごすご立ち戻ったと云われちゃ、三谷三次の男が台なしだア。さア、斬れるものなら斬って見ろ」
 
終りの方は悲鳴であった。
 
とにもかくにも彼の家では、やがて木遣りの唄もいさましく送られて来るであろうこの男を待っていたであろう。それは目に見えるような事実なのだ。だから彼らの渡世では、神聖な儀式になっている建前から、こんな濡れ鼠のような恰好で帰って行かれるわけはないのだ。意識がはッきりするにつれて彼は収拾のつかない自己嫌悪に駆られていた。
 
「斬れ、斬れ——。斬れえッ」
 
彼はやけくそに叫んだのだ。
 
しま萱の原ッぱは月の光りに白っぽく見えていた。かなたに黒く棚びいて見えるのは彼らの街であった。その間の高低起伏はうすぼんやりとよどんで、そして左右にただよっているようであった。その原ッぱを登ったり沈んだり、おしわける萱の葉に首をさされたり、棟梁の身内が近よっていた。知らせによって迎えに押しだした。怒りに駆られて探しはじめたのだ。
 
ひえびえとする呼号が、散らばった彼らの口から吐きだされ、右に左に伝わって行った。棟梁がうおーと答えた。萱の原ッぱが風にあおられたようにざわめいた。
 
松岡長吉は水際に身をひいて、うしろに川を置き、構えるようにした。捉えどころのない漠とした凄気を身に受けた。
 
そのとき、彼らは夜に乗じていた。いと口はこんなつまらぬ口論でよかった。蓄えたくわえたうっ憤を晴すためにおらびあっておしかけて来る——それであった。大工とトビの連中が一塊りになって松岡にとびかかった。
 
波の音とうちよせる潮のとどろきが消えたようであった。人声と跫音が入りみだれたようであった。しま萱のしげみがざわめき立ったと思った。そうして松岡は、ひどい静寂と喧騒を同時に感じたのである。
 
だッと音たて棍棒が自分の足をさらうのをはっきり見たように思った。いや、それはうなる空気でそう感じたのだ。目は燃える火をはっきり見てとった。たかい岸の上に赤く焚かれて、それは彼らの出て来た建築場のあたりであった。棟あげした柱だけの家の下にちがいなかった。素木の白さが見えるようであった。彼の帰りを待ちわびて木屑などを燃しはじめたのであろう。
 
にげることは出来なかった。そのとき彼の一切は無になった。明日、自分がいなかったら、あの普請は出来ないのだ。——彼はそれだけのことを自分に云って聞かせ、そして、あとはどうでもよくなった。何かたいへん気持のよいのんびりした気分のなかで、ふわりと身体が浮んだのである。
 
「門田——たのむ」と彼は叫んだ。そう思った。
 
 

(八)

 
 
朝まで彼は叫んでいた。けむりのように弱まった意識のうちで、そのことだけはありありと浮び、徐々に濃くなり、凝固して来るかのようであった。
 
「たのむよ。門田」
 
「よしよし」と、その当人は鼻をおさえて大きな声をだした。
 
頭にまいたさらし木綿は滲みでる血で褐色に染まっていた。打撲の皮下出血や裂傷から無理に吹きだした血の色であった。それが凝結し変色して、人相も見えないほど深い繃帯にくるまれていた。川のほとりに打ちたおれていたことも、発見されてかつぎこまれたいきさつも彼は知らないのだ。
 
焼酎で洗われた傷口の疼みなどもいつかの夢のように遠いかすかな記憶であった。従って、執拗いほど門田与太郎を呼んだことも、耳許で喚きかえされてようやくそれと感づいた。そう云えば、人々の話しごえを意味のない風の音のようにざわざわと聞いていた。
 
松岡長吉は腫れた瞼をおしあけた。あたりを見ようとして目のたまを少し動かした。天井のない屋根裏に白い陽の光が斜めに流れこんでいた。しばらく棲んだ自分の小屋でありながら、下からしみじみ見あげる自然木の垂木や小枝の木舞いはひどく馴染みのないものであった。炉火の煙がそのあたりに揺らめいて、隙間を洩れる陽の光を青く幾すじかの不規則な縞にして見せていた。
 
今日も天気は晴れているのだ。
 
「門田どの」と彼は云った。繃帯にうずもれたもぐもぐという声であった。それでも直ぐにわかって貰えた。
 
「うん、うん」
 
骨ばった顔を彼の上に持って来て、こちらの眼の瞳の孔に見入って話しかけた。
 
「ご家老さまも——」と、その『も』に力を入れて彼は云った。「見えられとるんだ」
 
そのほかおおぜい見えているという意味であった。松岡のこの遭難も気になったが、それと同じほどに、いや、それよりもっと切実に、八分目ほど出来たあの工事をどう始末するかが、口には出さないがそれぞれに問題と感じていた。そのことに関する限り、一切を松岡長吉に委ねていた。
 
おのずから出来た暗黙の誓約によって——これからも屡々おこるであろう家中のことに関するいろいろな工事について——共同しなければならぬ彼らの部落の建設にこういう仕事はぜひとも必要と思われていたからだ。云わばこの度の困難をきりぬけて、松岡長吉には、腕のある棟梁になって貰いたいというのが家中一同の念願であった。
 
自ら出向いて来て、「よろしく配慮を——」と云った主君邦夷の言葉がそれを如実に語っていたのだ。
 
松岡の鎮まった神経の先々から、これらの事情が浮び出して脳裡に集まって来た。そこからうしろのことは、悔いても取り返しはつかなかった。熱っぽい額の下で、それでは、前にあることを取りあえず解決しなければならぬ——にぶい思案がそう囁くのだ。大部分は目の色に云わせて彼はまた門田を呼んだ。
 
「あとは左官と屋根の工事だ——。代って、やって下されよ」
 
「うん?——いや、わかっとる」
 
「おぬしで、充分——もう」
 
「そうか、充分か」と傍らから念を押すものがあった。
 
近よって来る声の主をたしかめるまでもなく、言下に松岡は湿んだ眼を伏せるのだ。文句なしに肯定していた。
 
「そう、そう」
 
音には出ないで、つぶった眼と額と——繃帯のすき間にあらわれている彼の皮膚の色艶が、間ちがいないと請けあっていた。
 
「——やって貰おう。さっそく」
 
そう云ったのは阿賀妻であった。脚の装束をつけたまま彼は立て膝で松岡長吉の枕もとに寄っていた。けれども彼は、怪我人の容体を懸念する前に、彼の前にいる門田与太郎をまともにのぞきこんだのである。
 
出目やそっ歯や、ひろくもない額に年より早い横じわの見える門田与太郎の顔は、それは見ただけで、人の上に立ち、人をひきいてはきはき処理出来る貌とは受け取れなかった。それにも拘らず奮い立たさなければならない場合に立ちいたっていた。
 
頼もしく見えるのは、ま一文字に黒々と、塗りたくったような太い眉毛だ。拙くてのろのろしているが、一旦こうと決めてしまったら、生命がすりきれてもそれに喰いついて離れないのではないか——阿賀妻は見ていた。落ち着きはらった眼であった。
 
どこかにこやかな微笑を包んだような彼のまなざしは、唯ながめているに過ぎないのだが、見つめられている相手には身動きも出来ない——何か底力をもって圧されていた。門田与太郎は腕を組んで、ふるえる身体をおしつけていた。
 
やっと眼をあげた。
 
「やってくれ」と怪我人が下から云うのであった。「身どもも二三日したならば」
 
「やりましょう」と門田は腕を解いた。
 
きって落すようなひと声であった。
 
「いや、いや、そう願わずは立ち行かんところだからのう——。何と申しても松岡どのを措いてはおぬしが一番その道にくわしゅうござるで、なおまた、いよいよとなればサッポロあたりから職人を連れてまいるという法もある。それでは」
 
阿賀妻はそう云った。最後の言葉は指図であった。そして、身を退こうとする阿賀妻を、仰臥した怪我人はとぎれた声で呼びとめた。これだけは聞いておいて貰いたい思いをこめて、あえぎながら云った。
 
「ご家老。相済みません、身ども、土民どもにも脆くも負けてしまいました」
 
「なに?負けたとな?」
 
「負けました——」と松岡はくりかえして溜め息を吐いた。
 
蒼ざめた、——腫れた頬肉の底に瞼はきれこんで、堕ちて行くように深く閉じた。それを手繰りあげるように阿賀妻は力をこめて云った。
 
「それはたわ言!」
 
彼は家人に目くばせした。それから、怪我人の枕もとの脇差を取りあげて目の上にふって見せ、つづけて云った。
 
「これを見なさい。この通り、おぬしは抜かずに済ましとる。そこで勝った——。今日から土民どもはおぬしの前に手をつくよ。金輪際じゃま立ては致すまいよ」
 
「そうですか?——」と松岡の眼がぱちぱちと瞬いた。
 
「暑い季節ゆえ、気をつけて、化膿さえなければ、傷は大したことはない。家中のものがおぬしの後には控えておるさ。心配しなさんな」
 
ここにも妻女と子供がいた。四ツか五ツぐらいのその子は、母親の着物の裾にすがって添えもののようにあちこちし、まるい眼はきょとんと阿賀妻を見ていた。
 
「坊はおとなだのう」
 
「はい、坊は大人でございます」
 
母親が代ってそう答え、夫の枕もとで手をついた。
 
阿賀妻はちょっと頭を低げ、上り框に手をかけてぽんと一跳ね土間に突っ立った。蠅がわアんと飛び立った。
 
戸外はもう照りつけていた。陽も高くなっていた。人々はそこで黙々と待っていた。思わぬ出来事のため部署がみだれるだろうと思い、彼らは次の命令を待っていた。阿賀妻はその期待のなかに出て来た。跫音に突然あたりがひっそりした。
 
人々はあわてて見まわした。見たところ何も変化はなかった。ただ、何かの虫がそこいらの草蔭でしんしんとすだいていたのだ。彼らはそれに気づいて、藍色をふかめた彼方の海を、遙かにそッとながめやった。
 
背中にはこんなに暑い陽を受けていながら、こちらの鼻ッつらには迫り来る秋のけはいを感じている。何かせき立てられていた。そわそわと心せわしくより集まった。菅笠のふちに手をかけて相手の言葉を見ようとした。
 
「昨夜のご協議のとおり——」と阿賀妻は云った。
 
「どうぞ、おのおの」
 
六十名に近い家中の老若が動きだした。定められた持場の責任者に指名されていたものが首を立ててこの命令を復唱した。最初に門田与太郎のひきいる小分隊が本隊と切り離された。軽く会釈して、この建築係りの一隊は河畔の請負の工事仕上げにすでに前進を起していた。
 
分隊の切れ目のうしろは、仮りの住いの家々であった。送って出た女房や子供が連れ立ってこの聚落の出外れまで従いて来ていた。何れにせよ彼らにとってはこれも門出にちがいなかった。
 
定めたことを成し遂げるまでは、なかなか戻って来ることもあるまいとする彼らの倫理が反映して、彼女らもまた、そこまで、そこまで——と送ってとうとうここまで来てしまった。路の上や小屋のかげに膝先ついて、見るような見ないような——そのくせまざまざと自分の大切な人を感じながら静かに控えていた。
 
阿賀妻は手をひろげて、「明日は一ぱい」とこれらの家族に裕かな身ぶりをして見せた。
 
「そのところにな——」
 
顎で示すその方角には海があった。その海に船をまわして、こんなに一ぱい——とそう微笑んで、
 
「よろしいか、兵粮米を廻漕してまいりますぞ。兵粮米をはじめ、くさぐさの雑貨なども求めてまいりますぞ。よいか、よろしいか——」
 
旅装束の大沼喜三郎が前に出ていた。
 
「それでは大野どの——。あとはよろしく」
 
これが第二分隊の出発であった。くるりと後向きになって、二人のものはとっとと小さくなって行った。黒い韮山笠のうるしがときどき艶光りして見えた。オタルの港に出かけて行くのだ。
 
自然の巌壁を天のめぐんだ船澗にして、ようやく商業地の栄えを得つつあった港だ。帆船から汽船、木造から鉄づくりの巨船に——と、日ごとに外国型の海運に転じていた近海航路には、砂を吐きだし積みあげて、いよいよ遠浅になったイシカリ河口の船着き場は、役には立たないのだ。
 
たかだかそれは、和船や底の浅い川崎船などの廻漕にのみ役立つ波止場になっていた。これらの古い昔の船々には、西蝦夷地のイシカリ港と喧伝されたこともあったのだが——その頃の目をもってすれば、後の従五位下の開拓判官松浦竹四郎にしても、その名著『西蝦夷日誌』に於て、「不日大阪の如き繁栄をいたさん」と謳っていた。けれども船脚ふかい蒸汽船はとうていはいることが出来なかった。
 
サッポロに府が置かれて、いわゆる大阪の繁栄はイシカリ港の西方十里のオタルに移っていた。ただしかし、この天与の海港は何分ともあのオロシャに近かった。彼方の兵力をもってしては一衣帯水の危険とも思われた。そういう為政者の躊躇にも拘らず物資の集散は日毎にはげしくなった。
 
西蝦夷の生命をささえる咽喉にあたっていた。従って、大きく纏った取引きはこの地に来なければ埓があかないのだ。そこに慇懃を通じなければ糧米をととのえることが出来ないのであった。
 
十里の道は彼らの脚では一日の行程であった。白い砂のなかにぽっちり二粒の黒点のように浮いて、また沈んで、まもなく消えてしまうのである。
 
残ったもののおもむく部署はその反対の方角に聳えていた。あるいは埋もれていた。山であり野であり、とにかく涯しない原始林である。大部分のものはまだ見たこともない——しかし彼らのトウベツの地であった。
 
昨夜この小屋の主人を待つあいだ、あの川ばたの建築場で、焚火を囲み、藪蚊をうち殺しながら相談した結論を、この一隊は実行しようとしているのだ。行こう、行こう、とうわずった声で叫んだ。やっとその目的地に立ち向う段取りになったと云うのだ。
 
だが、空翔けて行くことは出来ない。妻と子と、じじとばばと、先祖代々の位牌と——すなわち彼らは、彼らの背中にそれぞれの家を背負って、この脚で歩いて行かなければならぬのであった。
 
一呼吸入れて立ちあがったわけだ。この一呼吸に一年と半年に及ぶながい月日をつぶしてしまった。そして幾人かの伴侶を見うしなった。そういう困憊もこれでおしまいであろう——昨夜はそうも考えた。
 
けれども今、あかるい陽の下で見るこの見とおしも利かない茫洋とした野山はどうしたものであろう。どこを通って行こうというのだ?——いやまず、通るに適う途をひらくのがまッ先の仕事であった。
 
ほそぼそながらそれによって、彼らの探した新たな故郷のトウベツは、港町イシカリに通じ、そうすればそこのイシカリから、海の水は続きにつづいて、代々の親ごたちが眠る生れ故郷にもつながりを持ったと考えられる。
 
「前々からのお話しに従って——」と大野順平が云った。
 
彼の二段あごには汗が流れていた。それを手甲で拭きとって、彼はゆるやかな、波紋を描くような声で述べはじめた。
 
「荊棘、密林のことゆえ、これまた一日二日の仕事ではない、とっくりと腹をすえてかからねばなりませぬ。どれが先でも後でもないが、秩序を立てて、この途通ぜざれは再びまみえぬ決心にて、——先導の測量係りには、はばかりながら拙者その長として戸田どの、富内どの大滝どの、千葉どの、早坂どの——」
 
呼ばれたものは一足前に出た。
 
「第二には小屋係り。この長は、僭越ながら指名のお許しを願って、矢内亀之丞どの。第三の道路係りとして関重之進どの。よろしく、ここの係り最も重要な本部隊なれば、税庫の落成次第門田与太郎どのの一隊がこれに合する筈、第四に炊事係りとしては遠藤丹次どの、第五には物資の運搬ならびに連絡係りとして——と」
 
彼は涸いた唇をなめてあたりを見まわした。大沼喜三郎を宛てるつもりでいた。彼はそれを阿賀妻に連れて行かれていた。
 
すッと前に出たものがあった。見ると相田清祐であった。すげ笠のかげで、彼の白髪はいぶし銀のように清々しく光っていた。
 
「拙者ではどうでしょうかな?」
 
彼はそう自薦するのだ。
 
「相田どの、あなたは——」と云っただけで大野順平は吃ってしまった。
 
考えたことがすばやく言葉にならないのであった。女子供のなかに、主君独りを、おいとくことも出来ぬのだ。もともと彼らはこんな老体の相田清祐を勘定に入れていなかった。
 
「その大切なしんがりのお役目を拙者が引き受けて進ぜる、何を躊らうことあろう、さっさと人員を割りつけなさい」
 
大野順平は流れる汗をふいた。なぜかそうなれば、逆らうことは出来ないのだ。彼は心覚えに書き付けて置いた懐中紙をだして読みあげた。そこにいる家中のものは、係り係りにふり別けられた。そして最後に一人だけ残っていた。読み了った大野順平は目をあげてそのものの泣きだしそうな眼にぶっつかった。
 
「そなたは?——」と彼は云った。
 
「高倉祐吉」とおろおろ声で名乗った。
 
「高倉どの——と、さアーて、どこかそなたに望みがあれば」
 
「測量係り」
 
「測量係り?——」と大野順平は繰りかえした。
 
とめる隙も無かった。高倉は跳び立って自分の家に駈けこんだ。必要と覚しい道具を取りそろえて来るためであった。
 
「それにしても相田どの」と大野順平は前に出た。先程からの懸念がやっとまとまった言葉になったという風に、短かく、ゆっくり云うのであった。
 
「たとい建築の方からは、夜分に戻ると致しましても、殿おひとりをこのようなところに」
 
「あれに見えられましたわ」と、老人は手をふった。
 
邦夷は近づいていた。脛でくくった義経袴をちらッと見ただけで大野順平は眼を伏せた。何とも云いようの無い感動が彼の全身を駈けめぐっていた。笑うことも泣くことも出来ず茫ッとしてしまうのだ。
 
その人に相対したときには、表情のない表情でしか自分の気持をあらわせなかった。そうしてそういう出会いは、彼にとって、ひしひしと胸迫る思いであった。
 
彼は用意の背負いごをひきよせた。頑固な火繩銃のつつ先が出ばっていた。
 
 

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