(5)
今度の新しい土地までは、山形の所から、また樹林地を十五六町も奥で、馬追原野の中心部に近く、楡(にれ)、塩地(しおち)、槭(いたや)、栓(せん)などの巨木が鬱そうと立ちならび、下草は身の丈ほどの熊笹が生い繁っていて、一歩入れば方位も、目当てもつかむ原生林であった。
秋月一人になったのを見かねて、山形がどこかから連れてきた顔じゅう無精髯の、年配もわからぬドモリの大男と運平と、山形の三人は、小屋掛の道具を山形の馬につけて、道もない樹林地を、木の皮を白く削って交通の目印にしたのを頼りに開墾地へ向かった。
「関谷の親方たあ、俺も昔からの友達でなあ、一緒にバッタ掘人夫をやったこともあるども、あの人はとにかく偉物(えらぶつ)だでや、とうとう札幌に腰をすえたもね。俺ぁ相変わらず馬追しとるども──」
とその男はいった。薄汚れた犬の毛皮の袖無しを着ている。運平がバッタ掘人夫とは何だと聞くと、
「ひどいバッタ(蝗)でなぁ、あれはたしか十三年の夏だべか。十勝の方からやって来て、まるで天もなんもまっ暗で、お天陽様がわかんなくなったもね。何十町歩って作物が一晩でわやになるさわぎさ。俺や関谷の親方は、そのバッタが秋になって土にもぐったのを土を掘っちゃあ殺したのさ。お上ではあの頃バッタ掘人夫をうんと雇ったもんだて」
というのが、この男のバッタ掘の説明であった。
関谷の新しい八十何町歩の貸下地は、周囲小一里もある細長い沼をへだてて平田某の貸下地に対峙しているだけで、半里四方に一戸の人家もなかった。
時は春に向かっていたし、相手の男たちもものなれていたので、小屋掛仕事は思ったよりもはかどった。陽が平田農場の西の茫々と広がる樹林地に、赤々と最後の光芒を投げる頃、皮もはがぬ塩地の丸太と枯草で囲ったA字形の拝み小屋が出来上った。
間口二間半の奥行四間というかなり大きなものではあったが、なんのことはないテントを草でこしらえただけのことで、部屋の少し端に行くと体をこごめて歩くほかはない。床といっても土にいきなり枯草を厚く敷きその上に新しい莚をひろげただけだ。
炉は上間からつづけて掘り、長いままの枯木をそのまま土間からころがしてくべるのであった。乾いた枯草の匂いは快く、三人は炉に足をいれてひと休みしているとついうとうととしてくるのであった。
暗くならぬうちにと、山形とバッタ掘が帰って行った。林の奥で二人が何か話して大声で笑うのが、ひどく大勢の人々の声のように妖気をおびて木魂(こだま)して来たが、やがて後はしんと静まりかえってしまった。
運平は夕方のこの原始のままの鳥の影さえも見えぬ未開地を前にして、いつか遠からずここが見渡す限りの耕地に変り、関谷の理想とするような合理的な耕作法が営まれ、小ぎれいな住宅の立ちならぶ日が、ほんとにあるのだろうかと危ぶむ気持が起こった。
だが、踵をかえすと、夕焼の雲を写した沼を背にして、いま自分たちが建てたばかりの小さな小屋がそれ自身もうひとつの性格を持っているように居据り、棟の一方にあけた煙出しからほの白く煙が漂い出していた。
(6)
運平は大きな口をキュッと結んで、炉に足をふみ込んだなりでホシの紐をむすんでいた。これも、それから赤い跣足袋も、囚徒のはいた払い下げのものであった。これを、どんな囚人が履いていたのかと、運平はちょっと口もとをゆがめた。
小屋掛けをした翌朝であった。昨夜は夜中に、不気味な獣とも鳥ともつかぬものの啼き声がして、運平は一晩中あまりよく眠れなかった。熊かと思って、どんどん火を燃し、銃をそばにひきよせたままでごろ寝をしたのであった。
その奇妙な声がやむと、今度はあまりに静かすぎた。静かなら静かなほど、この小さな小屋のまわりには、おそろしく大きな自然の重圧が感じられるのであった。
だが朝になると、運平は昨夜のことを思い出しもしなかった。なんでもかんでも鍬が持ちたかった。新しい土の匂いがかぎたかった。今日もよく晴れた日で、林のなかには急に小鳥の声が多くなったようであった。
運平は、先ず沼に近い立木の少ないところから手起こしをはじめようとしていた。
関谷からは、すぐにも、プラオやハローや馬などの開墾用具と屯田兵あがりの馴れたプラオ・マンも送ってよこすことになっていたが、この二三日の気候の暖かさには、後からぐんぐん追いたてられるような気持で、運平は土を起こさずにはいられない。
種蒔は一日早ければ一日早く芽が出るわけだから、とりあえず、野菜物の播種だけは早くすまして、みんなの副食物に不自由したくないと思っていた。
腐りもせずに縦横に折り重なった虎杖(イタドリ)のみきを取りのぞくと、そこにはもう早い三葉やフクベラが芽を出しはじめていて、そのなかにトワタリたちの間違えたという鳥兜(とりかぶと)の赤い芽が鞠のようにかたまって生えていた。これをまた、どう間違えて三葉と思ったのだろうと、運平は思わず苦笑していた。
虎杖をふむ足音がした。ふり返ってみるとおちかが前掛の端をつまんで立っていた。
「おや、どうしたい? みんなは──」
「あの、みんなこっちへは来んいうとります」
おちかは、しばらくもじもじした後で思い切ったように赤い顔をあげていった。
「来ないって? なぜだい──」
運平は鍬をすてて近よった。
「あの──みんな、岩隈さんのところで小作させてもらういうとります」
「なに? 岩隈のところで小作?」
「へえ──こっちは伐木したり開墾したりせんならんさかい、いややいうとります。岩隈さんのところで小作させてもろうて、すぐ種蒔するんやいうて──」
「ふ──ん」
といったきり、運平は後の言葉が出なかった。無意識に手近の小枝をピシリと折って足でふんずけた。自分の人の好さがおかしくもなってくる。
「折角ここまでつれて来て、人に横取されるたあ、いい面の皮だ」
運平は湧き上る怒りを、むしろそんなヒョウキンな言葉に変えた。取られて惜しいような人たちでもないが、とまた負けぬ気で考えもした。だが、そのまま放ってもおけないので、おちかと一緒に行って見ることにした。
「秋月さん。うちあんたに告げに来たことみなにいわんとってねえ」
おちかは困ったような目で運平を見上げた。運平は、一同に無断で報せに来たという素朴なおちかの好意が擽ったく(くすぐったく)もあって、
「うん──」
と怒ったような顔をして答えたものの、ふりかえっても見なかった。
山形の家へ来てみると、山形はこれから鈴木と一緒に運平のところへ出かけようとしていたところだった。
「いったいどうしたっていうんだい」
運平は自分よりもずっと、年上の鈴木のおどおどした様子をみると、怒りの感情よりもむしろ気の毒な気持の方がさきにたって、口を出た言葉は案外おだやかなものであった。
「どうもはや、何とも申しわけあらへんが。儂ら、開墾ちゅうのには馴れとらんし、やっぱり郷里でやっとったように小作の方が気が楽だで、ほんまにすんまへんが関谷の親方にもよろしゅういうといておくんなはれ」
鈴木は、体をまるめるようにしていくども頭をさげるのだった。
「岩隈のところの小作にはいるというんですよ。どうも、俺も昨日の岩隈のかみさんの様子がおかしいと思ったでがすが、鈴木さんはもう、小屋掛料も受け取って証書を入れたというんだから、秋月さん、どうもこりゃ仕方ごわせんわい」
山形はいまいましそうな調子であった。なるほど関谷は別に鈴木を相手に証文のやりとりをしたわけでもなく、幾らか小遣ぐらいはやったとしても、別に小屋掛料をどうするなぞという話にはなっていなかった。
北海道に来て食いつめている人々を集めて、持って行きどころのない労働力を有益に使おうという関谷らしい目算からきていたことであった。関谷の大ざっぱな考えでは、恐らく、開墾の出来具合によって、収穫を頭割にするつもりでもあろうか、別に給料の定めも出来てはいなかった。
考えてみれば、運平自身のように経験のために仕事をするというのとは違って、そのまま生活にとりつこうとする鈴木たちにとっては、これでは不安定な頼りない気もするであろうと、運平はいまさらのように気づくのだった。
ことに岩隈のところは大半開墾も出来ているし、小屋掛料だ、起こし料だ、と目の前に金を並べられればその方に行きたくなるのも人情だし、また、彼等にとっては、この勝手知れぬ土地に来ては、やっぱり内地でやっていたように小作をする方が、どこか頼りどころがあって気楽なのであろう。
「まぁ、君方がどうしてもそうしたいというならしょうがないさ、俺から関谷さんにもよく話しておくが、岩隈はなかなか食えない男だというから、よく気をつけた方がいいよ」
幾度か同じことを繰り返している鈴木に、とどのつまり運平は匙を投げた形でいった。
鈴木は運平の言葉をきくと、今度は、しばらく、ぽかんとした顔をしていたが、やがて、目をせわしなくしばしばさせながら、
「えらいすんまへんなぁ、それではなにぶん関谷の親方によろしゅう願います」
と、ほっとした様子で帰って行った。
「ひどい奴があるもんだ、とうとう人夫の横取りをしやぁがった」
運平はつぶやいたが、山形から紙と筆を借りて関谷にことの次第を報告した。
「これをひとつ、岩隈の門口へ張って来てやれ」
運平は筆のついでに半紙に書いた狂歌のようなものを山形に見せた。それには四角い几帳面な字で「牛馬を捕る熊おろか岩隈は送る人夫の横取りをする」と書いてあった。つい一昨夜も山形の話に、去年の雪中はだいぶ方々の開墾地の馬が熊に喰われたと聞いたのを思い出したからであった。山形はそれを読むと、
「これは巧い、秋月さんは学者でがすなぁ」
といやに感心した後で、ほんとにその紙切れを岩隈の戸口に張りつけに行った。